第14話 星空の下

 食事のあと、焚火を囲みながら同じ班の生徒たちと話をしていると、エリオットがやってきた。声をかけるわけでもなく、少し離れたところで手を上げて、ギギーに合図を送ってくる。隣に座っていたレオルに席を外すことを伝えてから腰を上げ、エリオットに近づいていった。


「ギギー、おつかれさま」


 やわらかな声に名前を呼ばれて、ほっとした気持ちになる。騎士学校に入学して以来、大半の時間をエリオットと過ごしてきたせいか、訓練や授業中にエリオットがそばにいないと、どうにも落ち着かなくなるのだ。無意識に頼っているのかと思うと、ちょっとなさけない。


「エリオットもおつかれ」

「ごめん、邪魔するのも悪いと思ったんだけど」

「エリオットが邪魔なわけないだろ」

「そう? あっちのほうに行こうか」


 エリオットが指差したほうへと歩き出し、教師たちが宿泊している管理棟まで連れ立っていった。建物の裏手にたどり着き、エリオットが草の上へ座ったので、ギギーも隣に腰を下ろす。


「班のみんなと打ち解けたみたいだね」

「うん。レオルとアルスのお陰だ」


 あのときレオルが笑ったのがきっかけだった。どこかギギーを遠巻きにしていた同じ班の生徒たちが、自然と話しかけてくれるようになった。アルスがギギーによく話しかけてくれたことも影響していたように思う。


「そうか、よかったね」

「エリオットも見たら驚くよ。レオルが声上げて笑ってさ、みんなびっくりしてた」

「へえ、想像できないな。――料理は上手くいった?」

「うん、すごく美味しかった。レオルが意外と料理上手でさ。エリオットの班は?」

「みんな、はじめての料理にしてはよくできたんじゃないかな」

「さすがエリオット。ちょっと食べたかったかも……」


 学年次席であるエリオットは、当然ながら期末試験で班長を務めている。調理実習のとき、ギギーはエリオットと組んで作業をしたが、料理人になれそうだと思えるほどエリオットは見事な手際だった。今回の料理も、エリオットがいるなら問題なかったはずだ。もちろん、森の探索や魔物の討伐においても不安はない。


「僕ひとりで作ったわけじゃないよ。僕も、ギギーの手料理を食べたかったな」

「手料理って言われても……俺は芋の皮剥いて、つぶしただけだよ」


 調理実習のときは、野菜の皮の剥き方が上手だとか、味付けが絶妙だとか、大げさに褒められた。ほとんどエリオットが調理していたのに。


「それでも、立派な料理だよ」

「どこが立派なんだよ……」


 ギギーが笑うと、エリオットは目を細めて笑っていた。慈しむような青緑色の瞳から向けられる視線が心地良い。無言で手を握られて、例の『おまじない』が唐突にはじまった。


「あ……」


 沈黙が落ちても、エリオットとなら少しもいやな気分にはならない。しばらくのあいだ、遠くから聞こえる生徒たちの笑い声や、管理棟から聞こえてくる教師たちの話し声に耳をすませた。

 冬の森の空気はしんと冷えていたが、少しも寒くない。隣にエリオットがいるお陰だ。見上げる空には驚くほどきれいな星空が広がっていて、森で暮らしていたころ、母といっしょに見た夜空を思い出した。

 きっと何年かあとになって、エリオットといっしょに見た夜空を思い出すのだろう。


 ――あれ? 前にもだれかとこうして……


 ずっと前にも、母以外のだれかとこんな風に星空の下で手をつないだことがあった。そんな気がしたのに、それがだれだったのか、どうしても思い出せない。


 物思いから浮上しても、まだ手はつながれたままだった。いつもより『おまじない』の時間が長い気がしてエリオットの指輪を見ると、熱を吸っているときの光はすでに消えていた。


「エリオット? おまじない終わった?」

「ああ、ごめん。戻ろうか」


 先に立ち上がったエリオットが、つないだままの手で身体を引っ張り上げてくれる。思いのほか強い力で引っ張られ、草で足を滑らせて前のめりになった。


「おっと」


 もう片方の手を伸ばしたエリオットに抱き留められたが、エリオットの腕は離れず、それどころかギギーの身体を強く抱き締めてくる。


「――……っ」


 なんだか花のような良い匂いがして、ギギーはわけもわからず狼狽えていた。息を飲めば、腕にいっそう強い力が込められる。


「エリオット、もう大丈夫だから……」


 そう言っても、エリオットの腕の力は緩まなかった。


「ギギーは、温かいね」

「俺、また熱出てる?」

「そうじゃないよ」


 エリオットがなにを考えているのかわからなかったが、耳元でささやかれる声に不安が滲んでいるのはわかった。こんなの、突き放せるわけがない。

 背中に両手を回してエリオットの身体を抱きしめ返し、泣いている子どもをあやすように手のひらで軽く叩いた。ぴくりと腰に触れていた手が反応して、耳元でエリオットが息をつく。


「ギギー、僕はね――」


 エリオットが、なにかを言いかけたそのときだった。枯れ葉を踏む音が聞こえてきてはっと顔を上げると、視線の先にレオルとアルスが立っていた。レオルは驚きに目を見開き、アルスは気まずそうな表情を浮かべ、指で頭を掻いている。

 レオルはエリオットのことが好きなのに。ギギーがエリオットと抱き合っていたら、いやな気持ちになるに決まっている。

 そう考えて、慌ててエリオットの身体を押し返した瞬間、こちらを見つめる瞳に暗い影が落ちた。エリオットが一歩後ろに引いて、思わず手を伸ばしたが、指先はエリオットの手を掠めもしない。


「あー、邪魔してごめん」


 アルスがそう言っても、レオルは目を見開いたまま固まっていた。隣のアルスから肘で脇を突かれ、ようやく我に返る。


「うん、本当に邪魔だったね」


 エリオットの声が、凍りつくほど冷やかに聞こえてぎくりとした。すぐにいつもの笑みが浮かぶのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。


「いやー、面目ない」

「冗談だよ。むしろ助かった。――もう点呼の時間だから、ギギーを探しに来たんだろ」


 もう、エリオットはいつも通りだった。いまさら速くなった心臓の音が、身体の中でどくどくと響いている。


「あ……アルス、レオル、迎えに来てくれてありがとう」

「どーいたしまして」

「……点呼までにおまえが戻らないと、班の連帯責任になるからな」

「ごめん、気をつける」


 レオルはこちらを向いてくれなかった。また怒らせてしまった。笑ってほしいと思っているのに、逆に怒らせてしまうなんて。

 ほとんど会話もないまま四人でテントの並ぶ広場まで戻り、「おやすみ」と言い合ってからそれぞれのテントへ向かった。別れ際、ギギーとレオルが同じテントへ行くのを見たエリオットは、いびつな笑みを浮かべていた。


「ギギー、おやすみ。そこの獣に襲われないよう気をつけてね」

「え? あ、うん。おやすみ」


 エリオットの様子が気になったが、班が違うからいっしょにはいられない。いつもなら同じ部屋で過ごしている時間なのに、もどかしい気持ちになった。

 不安そうなエリオットの声が耳から離れない。


 なにか、大切なことを忘れている気がしてならなかった。

 だれかとの大切な約束を、忘れてしまっている。

 そんな気がしてならなかった。

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