第4話 どうして?

 騎士学校の東門の前で、ゆるやかに馬が止まる。ルーファスの馬術はいつも見事で、後ろに乗せてもらうだけでもかなり勉強になった。ギギーが礼を言って馬から降りると、ルーファスも降りて手綱を握り直した。

 警備員に学生証を提示し、門をくぐったところでルーファスとはお別れだ。第一学年の学生寮は東門からほど近い場所にあるが、ルーファスは西門側にある厩舎へ馬を置いてきてから東門のほうにある職員寮へ戻るので、かなり遠回りになってしまう。


「ルーファスさん、いつもすみません」

「帰るついでだからな」


 ルーファスは薬草園に雇われている職員だが、実際は騎士学校にいるほうが多く、学校の職員寮で寝泊まりをしている。いつも学校に戻るついでだと言って馬に乗せてくれるが、ギギーの戻る時間にわざわざ合わせてくれている気がした。何度か指摘したことがあるが、「偶然だ」といつもはぐらかされてしまうので、偶然ということにさせてもらっている。


「それから、これをギギーに」


 そう言ってルーファスが差し出してきたのは、重みのある包みだった。広げた両手よりも大きく、四角い形をしている。包装紙に包まれていて中身はわからないが、箱のように見えた。


「なんですか?」

「試験の合格祝いだ」

「え? いや、そんなのもらえませんよ」


 受け取ってしまった包みをとっさに突き返したが、ルーファスは手を伸ばしてこなかった。


「イアンさんからは菓子をもらっていただろう」

「えっ? あれ、合格祝いだったんですか?」


 結局はあの場で食べ切れず、お土産としてお菓子や茶葉を持たされた。イアンがお菓子を寄こしてくるのは習慣のようなもので、いくら断っても無駄だと知っているから受け取るようにしているのだ。それなのに、ルーファスにまでもらうわけにはいかない。


「でも……ただの、月末試験ですよ」


 剣術試験で合格して、エリオットが「おめでとう」と言ってくれたとき、「たかが月末試験で大げさだ」と背後から笑う声が聞こえてきた。いままで成績が振るわなかっただけに、こうして祝ってもらえるのはとてもうれしいが、実際は祝うこと自体大げさなのかもしれない。ギギーにとっては、好きなひとたちに「おめでとう」と言ってもらえるだけで十分だ。


「ただの、じゃない。なにもしないで合格できる試験ではないんだ」


 ルーファスの言う通りだ。実際、鍛錬が足りなかったせいで、ギギーは先月も、先々月も、不合格になっている。


「すみません……ただの、なんて俺が言うのはおこがましかったですね」


 ぎりぎりで合格したくせに、「ただの」なんて言える立場じゃなかった。調子に乗っていた自分が恥ずかしい。


「そうは言っていない。ギギーが努力した結果だろう」

「……はい」

「がんばったんだから、褒美くらいもらうべきだ」

「なんですか、その理屈」

「もらえるものは、素直にもらっておけと言っているんだ」


 ルーファスにまるで引く気がないとわかったので、差し出していた贈り物を自分の腕へと抱きかかえ、頭を下げた。


「はい、じゃあ、ありがたくいただきます。――開けてもいいですか?」

「私はかまわないが、門限は大丈夫か?」


 先ほど東門にある警備員室の前を通ったとき、壁にかかっていた時計は午後七時五分前を指していた。門限を破ると減点されてしまう。


「えっ? あ、大丈夫じゃない、です。このお礼は、改めて! お返しもしますので。ありがとうございました、ルーファスさん!」

「ああ、出世払いで頼む」


 こちらに向けられるのは相変わらずの無表情。本気なのか冗談なのかわからなくて、思わず吹き出してしまった。

 心の底から思う。薬草園で働けるようになって本当によかった、と。




 なんとか門限には間に合ったが、「もっと早めに行動しなさい」と教師からはお叱りをいただく羽目になった。ギギーはいままでに何度か門限破りをしているだけに、教師に目をつけられているのかもしれない。

 食堂が閉まるまであと一時間を切っているし、風呂に入ったあとは少しくらい課題を進めておきたかった。先に手早く食事を済ませてしまおうかと思ったが、食堂で厄介な生徒を見つけてしまい、入り口から入ってすぐにギギーの歩みが止まる。


「うーん、どうしよう……」


 ダニエル・ベルモンドとセドリック・ウィルソン。同じクラスの生徒で、なにかにつけてギギーに絡んでくるふたりだった。もちろん友好的な態度で接してくる相手ではない。

 入学して一週間ほど経ったころ、生徒たちのギギーに対する態度は入学当初よりも落ち着いたが、いまだにふたりはギギーに直接暴言を吐くのをやめず、ギギーに悪意を向けるよう、ほかの生徒たちを扇動している。

 今日の試験で悪口を言っていたのは、ほとんどがダニエルかセドリックと仲の良い生徒だった。ふたりとも優秀な騎士を輩出している名家の子息だから、成績不良のギギーが目障りでしかたないらしい。


 食事は部屋に持ち帰って食べることもできるが、食堂が閉まるまでに食器を返却する必要があった。食器を返すとき、またふたりに遭遇して邪魔されるのも面倒だ。数秒迷った末に食堂で食べることにして、ふたりとはなるべく離れた席に座っておいた。

 急いで手と口を動かしたが、あと少しで食べ終えるというところで、ふたりがギギーの座るテーブルに近づいてきた。急いで席を立ったとしても、食器を戻すにはふたりのいる方向に進む必要がある。


「しょうがない……」


 にやにやと笑いながら近づいてきたふたりは、予想通りにギギーのテーブルの前で立ち止まり、ギギーどころか食堂中に聞こえそうな大声で話しはじめた。


「おちこぼれは、次席殿だけじゃ飽き足らず、職員もたぶらかしているらしいな」

「まったく、毎日のようにこんな遅くまで。お盛んなことだな」

「ただの庭師をたぶらかしたところで、成績は良くしてもらえんだろうに」

「違いない」


 下卑た笑みを浮かべながら、ふたりが大声で笑い合う。利用時間が終わる直前のせいか、食堂にいる生徒の数は少なかったが、それでもあちらこちらから視線を感じた。

 自分はなにを言われてもかまわないが、エリオットやルーファスが侮辱されるのは我慢ならなかった。椅子から立ち上がったギギーを見て、ふたりが視線を交わし合い、いやな笑みを深める。


「撤回してほしい」

「なにをだ?」

「見当違いのことを言いふらすのは、やめてほしいんだ。俺がお世話になってるひとたちを、侮辱しないでくれ」


 ギギーが睨んでも、ふたりは笑うのをやめなかった。


「見当違いだって? ついさっき、寮の前で堂々と逢引きしておいてよく言う」

「そうだ。我々はしっかり見ていたぞ。いったいなんの世話になっているのやら」

「あのひとには、馬で送ってもらっただけだ」

「だけだって? こんなものを貢がせておいて?」


 セドリックがにやにやと笑い、ギギーがテーブルに置いていた包みを持ち上げる。


「返して」

「ほら見ろ。慌てる様子を見るに、よほど良いものをもらったのだろう」

「ずいぶんと重いぞ。宝石……いや、金塊だとか?」

「ばか言うな。庭師風情にそんなものが用意できるわけないだろう」

「それもそうだ」


 ルーファスにもらった包みの中身はまだ確認していない。だが、中身がなんだとしても、ルーファスがギギーに選んでくれたものだ。大切に決まっている。


「返して、って言ってるだろ!」


 ギギーが手を伸ばすと、セドリックが高く掲げた包みをダニエルのほうへと放り投げる。ダニエルのほうに手を伸ばせば、またセドリックに包みが戻った。ふたりは、完全にギギーをからかっている。まるで子どものいたずらだ。何度かふたりの間を行き来したあと、ダニエルの手に収まるかと思えた包みは、指先を掠めて床へ落下していった。


「――あっ!」


 床へ落ちる前に包みを受け止める。それだけを考えていて、まったく周りが見えていなかった。ギギーが包みに飛びついた瞬間、横から包みを奪おうとしたダニエルの腕が、ギギーの頭に勢いよく振り下ろされる。


「……え?」


 ダニエルの腕がギギーの頭を殴打する直前、ふたりの間へ割り入った腕が、ダニエルの腕をしっかりと受け止めていた。顔を上げて、その腕の持ち主を確認して、ギギーは息を飲んだ。


「……っ、な、んで」

「――食事中くらい、静かにできないのか」


 地を這うような低い声。背中まで伸びたまばゆい金色の髪。怒りをたたえた冷ややかな青い瞳は、ダニエルとセドリックをひたと見据えている。


「レ、レオル……いたのか?」

「俺が食堂を使っていたら悪いか?」

「いや、騒がしくしてすまない、レオル」

「……ダニエルとふたりで話をしていたんだが、オルランディが勘違いして突っかかってきてね」

「そう、そうなんだ。いや、参ったよ」


 ふたりにとっても、レオルが介入してくるのは予想外だったはずだ。レオルは学年主席というだけでなく、侯爵家の令息であり、一年生の中ではいちばん爵位が高い。そんなレオルと諍いを起こしたくないのだ。

 焦りの見える表情でセドリックが口にしたのはあきらかな嘘だったが、ギギーが下手に口を挟んだところで状況は悪くなる一方だろう。ギギーに良い印象を持っていないレオルが、味方をしてくれるわけがないのだから。

 先ほどレオルがギギーを助けてくれたのは、あくまで暴力沙汰になるのを防いだだけだ。学生同士の暴力行為は、校則で厳しく罰せられる。レオルが助けたかったのはギギーではなく、ダニエルとセドリックなのだ。


「これはなんの騒ぎだ?」


 揉めているうちに寮監督の教師まで食堂にやってきて、状況はますますややこしくなった。


「なんでもありません」


 最初に口を開いたのはレオルだった。先ほどの騒動を大ごとにする気はないらしい。それを聞いたダニエルとセドリックがほっとした顔になり、続けて弁明を口にする。


「ええ、なんでもありませんよ、先生」

「オルランディがテーブルから落としたものを拾おうとして、転びそうになっただけなんです」

「そうなんです。ひとりで転びそうになったところを、レオルが助けてくれましてね」

 口を出すつもりなんてなかったのに、あまりの言いように思わず声が出てしまった。

「なっ……」


 ギギーは教師からの印象があまり良くない。以前も、生徒との諍いで注意されている上に、成績は不良。担任には生活費のために働く許可をもらっているが、すべての教師が事情を知っているわけではない。ギギーが仕事で週に何度も外出しているのを、単に遊んでいると勘違いしている教師もいるはずだ。生活面の減点も、積もり積もれば成績に影響を及ぼす。


「そんな、でたらめ――」


 身を乗り出したギギーを押し留めるように、腕を強くつかまれた。飛び出しかけた声が奥に引っ込むほど驚いた。ギギーの腕をつかんだのが、レオルだったからだ。


「――こらえろ」


 ギギーだけに聞こえる小声で、レオルが耳元にささやき声を落としてくる。ギギーがここで騒ぎを大きくすれば、ダニエルとセドリックまで罰せられる可能性が出てくる。そうなるのはレオルの望むところではないのだろう。


「オルランディ、なにか言ったか?」


 教師がギギーにそう尋ねると、三人の視線がこちらに集中した。ダニエルとセドリックの顔には「余計なことは言うな」と書いてある。ふたりが望む展開になるのは良い気分ではなかったが、ギギーだって問題になるのは避けたい。


「……いえ、なんでもありません」

「そうか、もう食堂も閉まる時間だ。早く片づけるように」

「はい、お騒がせしてすみませんでした」


 ギギーが頭を下げると、教師は軽く頷いてから立ち去っていった。ことの成り行きを見守っていた生徒たちも、騒ぎは終わったとばかりに次々と食器を片づけはじめる。ダニエルとセドリックが機嫌を伺うような顔でレオルの名前を呼ぶと、レオルは深いため息をついた。


「おまえら、いいかげんにしろよ」

「あ、ああ、悪かった」

「すまない、レオル」


 ギギーがあっけにとられているうち、レオルが無言で「あっちへ行け」とでも言いたげに顎をしゃくる。それを見て、ダニエルとセドリックはすごすごと食堂を出ていった。


 先ほどの騒動が嘘のように、食堂の中はしんと静まり返っている。厨房から片付けの物音が響いてくる以外はなにも聞こえず、隣の談話室から漏れ聞こえる生徒たちの笑い声がときおりわずかに届く程度。食堂の中には、ギギーとレオル以外にだれも残っていない。

 ギギーも食器を片づけて部屋に戻りたいところだったが、レオルに腕をつかまれたままだった。先ほどの騒動について、まだ言いたいことがあるらしい。レオルが口を開くのを黙って待ったが、なかなか言い出すそぶりを見せない。青い瞳はあらぬほうを向いていて、まったく視線が合わなかった。


「あの……スタンレイ」

「レオルだ」

「え?」

「家名で呼ばれるのは好きじゃない」


 レオルが家名で呼ばれるのを嫌っているのは有名な話だ。エリオット以外に友人がいないギギーでもうわさを耳にするくらいに。だからといって、いきなり名前で呼ぶのもためらってしまう。


「ごめん……レオ、ル」


 ぽつりと、ギギーが小声で名前を呼んだときだった。青い双眸が勢いよくこちらを向いて、息を飲むほどに驚いた。わずかに目元がやわらかくなったような気がして、じっと目を凝らしたが、すぐにまた視線を逸らされてしまった。いまのは気のせいだったのか。


「ありがとう」

「俺は静かに食事がしたかっただけだ」

「そうだとしても、俺は助かったから」


 暴力沙汰に発展していたら、教師に隠すのはむずかしかったに違いない。あのとき教師がすんなりと納得したのも、証言したのが主席のレオルだったからだ。謹慎や反省室入りにもならず、けがもせず、穏便に収まったのはレオルのお陰でしかない。たとえダニエルとセドリックを助けるためだったとしても、結果としてギギーはとても助かった。


「かっとなるのはだめだってわかってるんだけど」


 ダニエルとセドリックのふたりとは、似たような口論で何度もいさかいを起こしている。


「……いちいち相手をするな。反応すれば、ああいう手合いをよろこばせるだけだ」


 レオルの指摘はもっともだ。わざわざギギーを引き留めてまで、まともな忠告をしてくるとは思わなかった。てっきりいつものように怒りや憎しみを向けられると思ったのに。


「それもわかってるんだけどさ……好きなひとを悪く言われたら、放っておけないよ」


 レオルは軽く目を見開いただけでなにも言わなかった。反論してこないのはギギーのことばにあきれているのか、それともレオルにも覚えがあるからか。両方かもしれない。

 だれといっしょにいても無表情か不機嫌そうな顔をしていて、整った顔立ちから冷たい印象を受けるレオルだが、嫌いな相手であるギギーに対して助言をするくらいなのだ。本当はやさしいひとなのかもしれない。


 相変わらず腕はつかまれたままだったが、少しもいやな気分にはならなかった。あれほど苦手だと思っていた相手から触れられているのに、不思議だ。むしろ、もっとレオルと話がしたいと思う。

 それに、レオルの手はひんやりしていて気持ちよかった。そう感じるのは、体温が高くなっているせいなのか。発熱を自覚した途端、身体がずっしりと重く感じた。もう部屋に戻らないといけないのに、身動きが取れない。


「……あ」


 ふいにめまいを覚えて、ぐらりと身体が傾いだ。レオルの手が伸びてきて、倒れかけた身体を支えようとしてくれたが、ギギーの腰に触れる直前で離れていった。舌打ちが聞こえてきて、腕をつかんでいたもう片方の手も離れていく。


「ギギー、大丈夫かい?」


 だれかの身体に背中が当たって、しっかりと後ろから抱き止められた。耳元に落とされたやわらかな声を聞けば、顔を見なくてもそれがだれなのかわかる。


「エリオット、ありがとう」

「うん、そのまま寄りかかっていいよ」

「……ん、ごめん」


 エリオットに身体を預けるだけで、ずいぶん楽になった。強い視線を感じて顔を上げると、レオルが背後のエリオットを睨みつけていた。その表情は、昼間の修練場で見たものと近かった。


「やあ、主席殿」


 エリオットがレオルに声をかけながら、ギギーの身体を抱き寄せる。あきらかに身体が楽になって、エリオットがあの指輪を使ってくれているのだとわかった。


「……ずいぶんと遅いお出ましだな、シュレーバー」

「きみが仲裁に入るのが見えたからね。僕の出る幕ではないと思ったのさ。――うちのギギーが迷惑をかけたね。助かったよ」

「……おまえに礼を言われる筋合いはない」


 レオルは苦虫でも噛みつぶしたような顔で、低い声を吐き出した。怒りに染まった鋭い視線が、痛いほどに突き刺さってくる。

 それは、いつものレオルだった。先ほどまでのできごとがまるで夢のように、レオルの時間が巻き戻る。


「覗き見とは、ずいぶん良い趣味をしている」

「取り込み中のようだったからね。邪魔しちゃ悪いだろ」

「はっ、心にもないことを言うな」


 低い声で吐き捨てたレオルがこちらに背を向け、青い瞳が見えなくなった。足音が遠ざかって、声もかけられないうちに入り口の向こうへとレオルの姿が消えていく。


「……――あ」


 どうして?

 どうして、こんなにさみしい気持ちになるのか、わからない。

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