第20話 抱きしめたいのに
12月に入った朝、教室の窓の外には、うっすらと霜が降りていた。
冬のにおい。白い息。指先にしみる冷たさ。
どれも、結月がいなくなる日が近づいている証のように思えた。
そのことばかり考えてしまう。
どんなに笑い合っても、時間は止まってくれない。
むしろ、笑うたびに時計の針は確実に進んでいるようで、怖かった。
「ねえ、美咲、ここに飾る星、ちょっと貸してくれる?」
「あ、うん。はい」
教室では、クリスマス前の飾り付けが始まっていた。
カラフルな折り紙、紙のツリー、天井を渡るリボン。
冬は、やっぱり“さよなら”のにおいがする。
「結月……寒くない?」
「へーき。寒さには強いんだ、わたし」
そう言って笑う彼女の頬が、うっすら赤くなっていた。
わたしは、思った。
――いま、この瞬間、彼女を抱きしめたい。
ただそれだけ。
言葉じゃなくて、腕のなかに包み込んでしまいたい。
だけど、手を伸ばすことができなかった。
教室という空間、周囲の目、わたしたちの関係。
すべてが、境界線を引いていた。
「抱きしめたいのに、できない」
その気持ちが、胸に積もっていった。
放課後、わたしは結月を屋上に誘った。
夕焼けに染まった空。
冷たい風が吹き抜けるその場所は、ふたりにとって特別な場所だった。
「ねえ、結月。あと、どれくらい?」
「……あと19日」
「19日かぁ……意外とあるような、ないような」
「うん。でも、今日も過ぎたら、18日になる」
結月は、風に揺れる髪を押さえながら笑った。
その横顔が、美しくて、儚くて、思わず目を逸らした。
「……ねえ、もしさ」
「うん?」
「もし、あと一回だけ、なにかお願いできるって言われたら……なにお願いする?」
結月は少し考えてから、優しく言った。
「“今日がもう一度始まること”かな」
「え?」
「今日が終わらなかったらいいのに、って。
文化祭の日も、川沿いの道も、初めて手を繋いだ夜も――
全部、終わらずにもう一回繰り返せたらいいのにって、そう思う」
その言葉が、まるで雪のように静かに心に降り積もった。
わたしは、震える手を見つめた。
そして、勇気を振り絞って、その手を結月に伸ばした。
「わたしは、“今日、あなたを抱きしめたい”ってお願いする」
結月の目が、すこし見開かれた。
「……美咲」
「ずっと思ってた。
寒くなってきたから、手をつなぎたいとか、
疲れてるみたいだから、背中にそっと触れたいとか。
でも、いつも我慢してた。
……でも、もう我慢したくない」
その瞬間、彼女は何も言わず、わたしの胸に顔を埋めてきた。
わたしも、そっと腕を回す。
初めて、自分から抱きしめた。
鼓動の音が、ふたりのあいだにあった。
言葉は、いらなかった。
それがどれだけ続いたかわからない。
でも、わたしの心にはずっと、“結月がそこにいた”という記憶だけが残っていた。
「……ねえ、美咲」
「うん」
「いなくなるまでに、もう一度だけ、ふたりで出かけない?」
「もちろん。どこ行こうか」
「わたしの、“初めて”の場所にするの。
最後じゃなくて、“最初”になるようなところ」
「わかった。探しておく。絶対、行こうね」
結月は微笑んだ。
それは、寂しさも悲しみも包み込んだような、
とてもとても強い笑顔だった。
夜、わたしのスマホに結月からメッセージが届いた。
「今日、ありがとう。ずっとずっと、抱きしめたかった。
それが叶った日として、今日をずっと忘れないと思う。」
わたしもすぐに返信した。
「また抱きしめさせて。
あなたのことが、好きだから。」
好きでいるほどに、切なくなる冬。
でも、たとえ季節が終わっても、
この想いだけは、あたたかく残る気がした。
(つづく)
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