第十四話「帰ってきた少女」
「あら、どうしたの? 衣吹。輝も。お化けでも見たような顔をして」
衣吹も輝も、咄嗟に言葉が出なかった。
それはそうだろう。つい先日、衣吹を殺そうとした女が、何食わぬ顔で挨拶してきたのだ。身も凍るほどの恐怖しか感じない。
しかも、それだけではない。二人は目の前の七奈に、何か違和感のようなものを覚えていた。
「嫌だ、そんな顔で見ないでくださいな。お化けじゃありませんよ? ほら、ちゃんと足もあるでしょう?」
七奈が、そのすらりとした脚を惜しげもなく晒す。黒いタイツに包まれたそれは、艶めかしいまでに生命力に満ち溢れている。確かにお化けの類ではない。少なくとも生身の身体だろう。
――と。
「皆さまご覧になって! 七奈お姉さまよ!」
「お姉さま! どちらにおいでだったのですか? みんな、心配していたのですよ?」
七奈の姿を目ざとく見付けた生徒達が彼女のもとに殺到した。
「あらあら、うふふ。ごめんなさいね? 心配をかけたわね。実は、野鳥の研究の為に山中の小屋に数日間泊まっていたのだけれど、連絡が行き違ってしまったようね。戻ってみれば先生方が大騒ぎしていて、何事かと思いましたわ」
「まあ! ただの行き違いだったのですね!」
生徒達の間に「安心した」といった雰囲気が広がっていく。七奈は一人一人と挨拶を交わし、心配をかけたことを詫びていく。なんとも平和な光景だった。
――ただし、衣吹と輝以外にとっては。
***
「生徒会長帰還す」の知らせは、その日の内に学園中へと広まっていった。
朝の騒ぎに出くわさなかった生徒が休み時間の度に三年生の教室を訪れ、七奈の無事を確かめては安堵する姿は、何かの巡礼のようでもあり、ある種異様な光景となっていた。
その様子を、衣吹と輝は不気味な生き物を眺めるような目で見ていた。
「……輝、気付いてる?」
「もちろん。衣吹も真っ先に気付いたよね」
七奈に会う為に殆どのクラスメイトが出ていった教室の片隅で、肩を寄せ合いひそひそと話す。そうやってお互いのぬくもりを感じていなければ、頭がどうにかなってしまいそうだった。
殺人未遂を犯した人間が、何食わぬ顔で被害者に挨拶をしてきた――確かにこれはホラーだ。だが、二人が最も恐怖を感じているのは、そこではなかった。
「……あの会長、中身は全然別物だ」
「同感。僕の探偵センサーにもビンビン来たよ。あれは別人だってね」
――そう。二人には分かってしまったのだ。あの七奈は、確かに肉体と記憶は同じだけれども、細かい仕草や雰囲気のようなものが全くの別人になっていることを。
「輝の言っていたことがやっと分かったよ。親戚のお姉さんの『中身』が違う。……うん、言いえて妙だね、その表現」
「でしょ? って、喜ぶべき場面でもないんだけど、ね」
恐らく、幾人かの生徒は今の七奈に違和感を覚えるだろう。今朝の昇降口でも、七奈が惜しげもなく脚を晒していたことに驚きを隠せなかった者が何人かいた。以前までの七奈であれば、あんなはしたないことを公衆の面前ではやらないはずだ。
だが、顔も同じ、身体も同じ、記憶も同じ、声も同じ……そんな状況で「別人」と判断できるほど普通の人間は大胆ではない。「中身が違う」等という荒唐無稽な話を、殆どの人間は信じない。かつて、輝の周囲の人々がそうであったように。
きっと、人々は慣れていくのだろう。今の七奈の振る舞いこそが彼女らしさなのだと、認識を上書きしていくのだ。人間の認識など、所詮はその程度の物なのだから。
「衣吹、どうする? あの会長に少し探りでも入れてみる?」
「やめた方がいいと思う」
「え、なんでさ。入れ替わりたてほやほやの実物が目の前にいるんだよ? あいつの行動を追えば、この学園の秘密にも近付けるはずだよ?」
「あれは……何か良くないものだよ。正直、怖い。出来れば近寄りたくない。輝だってそう感じてるんでしょ?」
「まさか。僕は名探偵だよ? 怪奇現象をいちいち怖がっていたら、真実になんて辿り着けないよ」
「それ、強がり。さっきから心臓バクバクで、背中にもびっしょり汗かいてるでしょ」
「……僕、そんな分かりやすいかい?」
図星だった。輝の探偵としての勘は、あの七奈を「危険なもの」だと告げていた。近付いてはいけないと、強い恐怖心を持って警告していたのだ。そのせいで彼女の心臓はずっと早鐘を打ったままだし、背中にはじっとりと汗をかいている。
それでも、名探偵としてのプライドを奮い立たせて、何でもない振りをしていたつもりだった。が、それも衣吹にはお見通しだったらしい。
「こういう時のポーカーフェイスは得意なつもりだったんだけどね」
「うん、分かるよ。輝の感情表現が大げさなのって、こういう時に本当の感情を隠しやすくなるからでしょう? 大丈夫、多分だけど他の人には気付かれないと思うから――あたしね、どうもこの間から変なんだ」
「この間?」
「ほら、死にかけたじゃない? あの辺りから、どうもこう……感覚が鋭くなったというか、周りの状況がクリアに分かるようになったというか」
「へぇ。臨死体験で秘められていた能力が覚醒した! とか、そういうこと?」
「そんな大げさな話じゃないよ。きっと生命の危機を感じたから、脳が興奮してるんだと思う――ほら、火事場の馬鹿力って言うし」
「衣吹ぃ、お嬢様が『馬鹿力』はどうかと思うよ」
そんなじゃれ合いをしている内に、次の授業の時間が近づき、クラスメイト達がぼちぼちと戻ってきた。二人はごくごく自然にお嬢様の仮面を被り、何事もなかったように授業の準備を始めた。この点はもう慣れたものだった。
(でも……本当に、この間からちょっとおかしいんだよね、あたし。体の中で何かが燃えてるみたい……)
――そう。どうも、ここのところの衣吹の身体はどこかおかしかった。調子が悪いのではない、むしろその逆、絶好調なのだ。
以前から人並以上だった五感はますます鋭さを増している。聴覚などは、近くにいる人々の鼓動の音を聞き分けられるほど鋭敏だ。先ほど、輝が恐怖を感じているのを看破したのも、なんのことはない、彼女の心臓がバクバクと早鐘を打っているのが聞こえたからだった。
嗅覚も同じく鋭くなっていて、些細な汗の匂いや体臭の変化にも気付けるほどだ。
そして何よりも顕著なのが、体全体に力が漲るような血の滾りを感じることだった。何故だか、エネルギーが有り余っているのだ。運動神経もますます良くなり、体育の授業の際など、うっかりすると自己ベストをあっさり塗り替えそうな勢いだ。
そしてそれは、夜になるとますます強くなる。五感は更に鋭さを増し、夜の暗闇もまるで昼間の光景のようにくっきりと見渡せてしまう。体の中には炎のような衝動が燃え盛っており、こっそり外出して学園内を走り回りたい――そんな欲求を抑えるのに必死だった。
その反面、食欲が減退していた。以前は物足りなかった寮の食事は、今ではむしろ多く感じるほどだ。なんとか頑張って平らげるものの、常に胃がムカムカして落ち着きがない。
学園に来てから身体の調子が良かったのは事実だが、古井戸の一件以降のそれは、その数倍、いや十数倍とも思える伸びをみせている。
(あながち、臨死体験で能力が覚醒! っていう輝の与太話も、的外れじゃないのかもね)
――包帯に包まれた両手を見る。古井戸の中で落下する身体を両手両足で止めたので、手の平は擦過傷でズタズタだった。だが、その傷もほぼ治りかけている。ドクターには「きっと若いからですよ」と言われたが、それにしてもかさぶたを通り越して既に新しい皮膚が出来ているのは、我が体ながら不気味だ。
本当はもう包帯も必要ないのだが、なんとなく他人に見られたくなくて、そのままにしている。特に、輝には絶対に見られたくない。何故か、そう思った。
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