第九話「月明かりを友にして」

 新たな級長を決めるのに少しだけ時間がかかったものの、一年生の教室は既に日常を取り戻し始めていた。

 多歌子が座っていた席は撤去され、二番目に座っていた生徒の席が繰り上がって最前列へと移動する。たったそれだけの儀式で、藤伊多歌子の存在は一年生の教室から消え失せてしまった。

 衣吹は、その光景をただただ無感情に眺めていた。


   ***


「ようこそ、いらっしゃい衣吹」

「再度のお招きありがとうございます、七奈お姉さま」

 そして日曜日。衣吹は再び生徒会寮を訪れていた。以前と同じように七奈会長と生徒会直属シスターズの出迎えを受け、応接室へと案内される。

 テーブルの上には既に例のハーブティーが用意されており、カップに注がれる前から強くかぐわしい香りが漂っていた。

(……あのお茶、本当に飲んで大丈夫なものなんだろうか?)

 以前にあのハーブティーを飲んだ時は、夜寝る時まで身体の火照りが収まらなかった。気分もどこか高揚していて、そわそわとした気分にさえなった。

 輝などは「媚薬でも盛られたんじゃないの?」と楽しそうに言っていたが……案外、冗談では済まないかもしれない。

「あら、衣吹。どうしました? 座らないのですか」

「あ、し、失礼しました」

 いつまでもソファに腰かけぬ衣吹の姿に、七奈が心配そうな表情を見せたので、慌てて座る。どうやら、自分で思っていたよりも緊張しているらしい。

(警戒はするに越したことないけど、怪しまれたら逆効果なんだから。しっかりしろ、あたし)

 心の中で自分を叱咤し、衣吹はお茶会に臨んだ――。


 そんな衣吹の気合とは裏腹に、今回のお茶会も実に平和に進んでいった。

 七奈は衣吹が学園での生活に慣れたのかどうか心配してくれていたようで、あれやこれやのアドバイスと共に学園生活の快適な送り方を教授してくれた。

 時折、お嬢様らしからぬ小粋なジョークを挟んでくるのは、流石は生徒会長といったところだろうか。

「確か、衣吹のルームメイトは輝でしたね。あの子、頼りになるでしょう?」

「はい。入学以来、輝さまにはずっと助けていただいてますわ」

「うふふ、本当ならあの子にも生徒会に入ってもらいたかったのですけれど、ずっと振られているんですのよ?」

 輝は表向きは優等生で通っている。教師からのウケもいいし、どうやら七奈からの信頼も得ているらしい。

 ――その本性を知るのは衣吹と、あとは寮長の小野田くらいのものだろう。

 この学園の生徒会は、基本的に現役の生徒会役員からの推薦によって新メンバーが加えられる。中等部高等部問わず、「これ」と思う生徒に勧誘をかける――そのきっかけがこのお茶会だと聞いている。

(そういえば、消えた多歌子はお茶会に招待されることを熱望してたんだっけ)

 ふと、消えてしまった級長のことを思い出し、衣吹の胃の辺りがキュッとなった。衣吹は被害者なのだから責任を感じる必要は全くないのだが、それでも、見知った人間が行方知れずになって平静でいろ、と言われても難しい。

(会長は、多歌子のことを知っているんだろうか? 自分を慕っていた後輩が消えたことを)

 そんな疑問まで湧いてしまう始末だ。そして、一度気になってしまっては知りたくなるのが人間の性というもの。衣吹は意を決して、口を開いた。

「あの、七奈お姉さま」

「なあに?」

「実は、あたくしのクラスの級長だった藤伊多歌子さまが転校なさったんです。ご存じ、でしたか?」

「ええ。とても残念なことね。多歌子は華やかな子だったから、一年生の教室はとっても寂しくなってしまったんではなくて?」

「はい。皆さまがどう思われているかまでは存じませんが、少なくともあたくしは……寂しいです」

 衣吹の言葉は、その半分は本音だった。多歌子との付き合いは、親しみを覚えるのにも憎しみを抱くのにも、あまりにも短すぎた。全てはこれからだったのだから。

「転校先で、元気にしていると良いのですけれど」

 七奈が窓の外へ目を移しながら呟く。まるで、その方向に多歌子がいるかのような仕草だ。――だからふと、衣吹はこんなことを口にしてしまった。

「お姉さまはご存じですか? 多歌子さまの転校先を」

「それは……わたくしも存じませんわ」

「どなたか、ご存じの方はいらっしゃらないのでしょうか? あたくし、多歌子さまにまだお世話になったお礼も言えていなくて……」

「そう、ですわね。この学園では生徒の個人情報を、それはそれは厳密に管理していますの。転校先も、教えていただけたことはないの」

「そんな……」

 わざとらしくならない程度に悲しみの表情を浮かべてみせる衣吹。だが、その内心では別の感情が渦巻いていた。

(この反応……会長も、「転校」という言葉の嘘に気付いている?)

 根拠はない。だが、衣吹の直感がそう告げていた。七奈の言葉の端々に、学園への不審が滲み出ていると。

 ――だから衣吹は、賭けに出た。

「七奈お姉さま。もしやお姉さまは、『転校』という言葉に疑問をお持ちなのですか?」

「――っ」

 ティーカップを口に運ぼうとしていた七奈の手が止まる。彼女はそのまま、ティーカップを静かにソーサーの上に戻すと、ただでさえ美しい姿勢を更に正し、改めて衣吹に向き直った。

「衣吹。わたくしの立場としては、本来ならば『滅多なことを言うものではありません』……と貴女を窘めるところでしょう。けれど、ええ、ええ。他ならぬ貴女だからこそ、わたくしも本当の気持ちを伝えますね」

 七奈がその花びらのような唇から静かに息を吸い、そして吐いた。その表情は先ほどまでの憂いを帯びたそれではなく、何かを決意した顔へと変貌していた。

「恐らく、『転校』したと言われている方々は、この学園のどこかにいます」


   ***


 明けて月曜日の放課後。

「あら? 衣吹さま、どちらへ?」

 帰りのホームルームも終わり、後は黒薔薇寮へ帰るだけ、となった中、人目を忍ぶように教室を去ろうとする衣吹を、輝が目ざとく呼び止めた。

「え、ええ。少し約束がございまして……」

 完璧なお嬢様の微笑を顔に張り付けながら、衣吹が答える。しかし、その目は少し泳いでいる。

「……途中までご一緒しても?」

 輝が「完璧なお嬢様の微笑み」を湛えながらそんなことを言う。物凄い圧だった。

 ――衣吹は屈した。


「で? 会長と何の約束なのさ」

 下校する生徒達の群れに紛れながら、ヒソヒソ声で会話する。もちろん、級友とすれ違う時には二人とも完璧なお嬢様の皮を被ることを忘れない。

 その点はもう、条件反射のようなものだった。

「あたし、約束の相手が会長だなんて言ったっけ?」

「状況的に考えて一人しかいないだろ」

「それもそうか」

 ここのところの衣吹は、輝と四六時中一緒だ。だから、輝が把握していない衣吹の交友関係となると、七奈会長くらいしかいない。当然の帰結だった。

 そのまま、二人して上履きから靴に履き替え、校舎を出る。少し暖かくなってきたものの、空は生憎の曇り模様で少し肌寒かった。

「この後ね、生徒会寮に行って会長と合流することになってるの」

「へぇ、衣吹と七奈会長がコンビを組んで……何か悪だくみかい?」

「ある意味では。えっと、どこから話せばいいのかな」

 輝と二人で生徒会寮の方へと歩きながら、衣吹は昨日会長と話したことをかいつまんで説明し始めた。


『転校した生徒達は、この学園のどこかにいる』

 七奈がそう主張するのには、いくつか理由があった。

 一つは、輝が言っていたことと同じだ。転校したはずの生徒が実家に帰っていないのだ。七奈も輝とは別のルートで、偶然にそのことを知ったのだという。

 理由は他にもある。転校した生徒の荷物は、他の生徒達が授業を受けている間に片付けられていることが多い。そんな中、ある生徒が「シスターズが、転校した生徒の荷物を運び出しているのを見た」と会長に明かしたらしい。

『だから、わたくしは思ったのです。転校した生徒達は、学園のどこかに閉じ込められているのではないか、と』

 監禁されているというのはやや飛躍した論理のようにも思えたが、七奈も根拠なく言っている訳ではないらしい。この学園の敷地は広大だ。生徒達が一度も踏み入ることのない用途不明の建物も多い。

 その幾つかにシスターズが頻繁に出入りしているのを見た、という生徒も少なからずいるのだとか。七奈の考えでは、監禁されている生徒に食事を運んでいるのではないか、ということだった。


「はぁ、監禁とはね。これまた大きく出たね。ちょっと飛躍し過ぎじゃない?」

「正直、あたしもそうは思った」

「それよりもさ、この学園にはもっと怪しい『いかにも』な存在がいるじゃないか」

「いかにもな存在?」

「日々、僕らのお世話をしてくれている彼女達――シスターズさ。実は彼女達こそが、『転校』したはずの生徒なんじゃない?」

「……ああ」

 ドヤ顔で決めた輝に対して、衣吹の反応はあまりにも淡白だった。

「あれ? なんだかつれない反応だね。彼女達の覆面、あの鉄壁ぶりは異常だよ? 僕だって何度も彼女達の素顔を拝もうとチャレンジしてるけど、後ろに目がついてるんじゃないかってくらい反応が早くてね、いつも失敗してる」

「……そのことなんだけどね、輝」

「うん」

「会長はね、見たことがあるらしいの。シスターズの素顔」

「えっ!?」

 流石の輝もその話は予想外だったのか、彼女には珍しい素っ頓狂な声が出た。

「生徒会専属のシスターズがいるでしょう? 前にね、無理を言って彼女達に素顔を見せてもらったことあるらしいの」

「で、で、どうだったの?」

「うん。みんな二十歳くらいの奇麗な女性でね。そのくらいの年代で学園の出身者なら会長も見覚えがあるはずなんだけど、誰一人知らない顔だったって。念の為、十歳上くらいまでの生徒の写真も調達してチェックしてみたんだけど、合致する顔はなかったらしいよ」

「そ、そうなんだ……当てが外れたなぁ」

 輝がしょんぼりと肩を落とす。こういう仕草もまた珍しい。

「ま、まあ、もちろん全てのシスターズの素顔をチェック出来た訳じゃないし、輝の説もまだ可能性があるんじゃない?」

「フォローはいいよ……。くっそう、名探偵の僕としたことが……まあ、いい。話を戻そうか。それで、その監禁疑惑と今日の会長との約束がどう繋がるんだい?」

「うん。会長が、『転入してきた衣吹に学園内を案内するという体であれば、怪しまれずに探索出来る』んじゃないかって」

「ああ、なるほど。会長一人で学園内をウロウロしていたらあからさまに怪しいけど、衣吹を案内するという体なら確かに自然かもね。おまけに自然に衣吹とデートも出来る! 会長、恐ろしいひと!」

 ――輝は「僕もついていこうか?」と言ってくれたが、七奈を警戒させてもいけないと、それは断った。彼女はそのまま、生徒会寮の前まで衣吹を送ると黒薔薇寮へと帰っていった。

 衣吹はそこでようやく、ほっと息を吐くことが出来た。

 実は、輝にはとても話せなかったことがあるのだ。


『衣吹は、この学園をどう思うかしら?』

 昨日、やはりお茶会でのことだ。七奈は最後に、この学園に疑念を持った一番の理由を話してくれた。

『この学園はね、表向きは「良き妻、良き母を育てる」なんて聞こえの良いことを言っているけれど、その実、ただの監獄なのよ』

『監獄、ですか? 確かに世間一般の目から見れば、随分と厳しいようにも感じますが』

 それは常々、衣吹も感じていたことだ。だから驚きはない。――驚くべきは、七奈の口から飛び出した次の言葉だった。

『世間ではこの学園のことを「お嬢様学校」だと思っているみたいですが、実態は違います。衣吹、この学園に入れられる子はね、みんな家から捨てられた子ども達なのよ』


 生徒会寮に入ると、七奈は既に衣吹を待ち構えていた。

 早速とばかりに二人は学園内の捜索を開始した。もちろん、表向きは衣吹を案内するという体なので、怪しい建物を見付けてもあからさまに家捜しなどは出来ない。外からそれとなく観察するのが限界だ。

 二人は数日をかけて、様々な場所を巡った。

 教職員宿舎、校長の私的スペースである小礼拝堂、普段は姿を見せぬ学園理事長の住まいがあるという雑木林――こちらは残念ながら、生徒の立ち入りが禁止だった――学園内の貴重な食糧源である果樹園や田畑。それに、何に使われているのかもよく分からぬ、沢山も建物も。

「七奈お姉さま、トンネルの方は見に行かなくても良いのですか?」

「ええ。不用意にトンネルに近付くと、それだけで教職員さま方からお叱りを受けるのよ。――それに、ね」

 怪しい、少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら、七奈が答える。

「過去にトンネルから逃げ出そうとした生徒がいたのだけれど、そもそも

「ええっ? あんな大きなものが、ですか?」

「そう。石畳を辿って、この学園へやってきたのとは逆の道を進んだはずが、そこには何もない崖しかなかったそうよ。それで、崖沿いを進んでトンネルを探そうとしていたところを見付かって……自習室行き、だとか」

「あ、良かった……。その方は『転校』しなかったんですね」

「もちろん。そうでなくては、わたくしがこの話を伝え聞いているはずがないでしょう?」

「そ、それもそうですわね」

 少し考えれば分かることだ。衣吹は少しだけ自分を恥じた。

「トンネルの件も気にはなりますが、そちらはおいおい。今は監禁場所のあたりを付けましょう?」

 柔和に微笑む七奈の力強い言葉に、衣吹もコクリと決意を込めた頷きを返す。

 輝にはあえて伝えなかったが、この昼間の探索はあくまでも「あたりを付ける」為のものなのだ。

 昼間は何かと教職員やシスターズの目があり、思い切った探索が出来ない。故に、二人が選んだ方法は――


   ***


 翌五月。世間では大連休ムードなのだろうが、桃源学園内は平常運転のままだった。

 授業こそないが、生徒達は祝祭日も勉学や妻、母としてのスキルを磨くことを要求される。

 食堂に集まってお互いに勉強を教え合う者。

 寮の厨房や学校の調理室を借りて料理の腕を磨く者。

 自室に引きこもり、なにやら勤しんでいる者。

 思い思いの休日を過ごすのが、学園の習わしだった。


 ――そして、夜。空に浮かんだ半分だけの月が西の空に大きく傾いた頃、衣吹はむっくりとベッドから起き上がった。

 既に、消灯時間は過ぎている。向かい側のベッドからは、輝の安らかな寝息が伝わってきていた。

 耳を澄ますが、いつぞやのように狸寝入りしている様子はない。最近の衣吹は夜になると目だけではなく耳も冴えていて、なんとなくそういう機微が分かるようになっていた。俗世間から離れて、野生の勘でも目覚めたのだろうか。

 そのまま足を忍ばせて窓際へ寄り、予め換気の為に開けておいた窓をそっと押し、ギリギリ通り抜けられる程度のスペースを確保する。

 窓から下を覗き込む。高さはそこそこ。衣吹達の部屋は二階なので――衣吹はそのまま闇夜に身を躍らせた。

 浮遊感、次いで落下、そして着地の衝撃。常人ならば派手な音を立てるし、下手をすれば足を骨折しかねない行為だが、衣吹は殆ど音を立てずに着地し、ケロリとした顔でそのまま歩き始めた。

(……やっぱり、この学園に来てから身体の調子もいいんだよね)

 元々、運動能力に自信はあったが、以前の衣吹ならば忍者もかくやといった身軽さで二階の窓から飛び降りることなど出来なかっただろう。それが今は、難なくこなせている。

 七奈がどこからか調達してくれたカギ爪ロープもあったのだが、全く必要なかった。

 月明かりに照らされた学園の広大な敷地も、以前よりも隅々まで見渡せる。

(獣の唸り声、気配……無し! じゃ、行きますか)

 そして衣吹は歩き出した。まるで狩りの最中の獣のように、足音一つ立てずに。


   ***


「来ましたわね、衣吹」

 待ち合わせ場所へ向かうと、七奈は既に到着していた。普段は華麗に制服を着こなす彼女だが、今は黒い上下のスウェットに身を包んでいる。ちなみに、衣吹も同じ服装だ。七奈が事前に準備してくれた、「夜の探索」用の服装だった。

「お待たせしましたか?」

「いいえ、予想より早いくらい。でも、今晩は月が早く沈んでしまうわ。近場だけを狙って、手早く済ませましょう」

 二人は静かに頷き合うと、月明かりだけを頼りに夜の学園へと飛び込んでいった――。

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