花の名前は

澤田慎梧

第一話「トンネルを抜けると学園だった」

  仄かに鼻孔をくすぐる花の香りに、衣吹はふと目を開けた。

 窓の外を見やると、見えるのは多種多様な木々が生い茂る山林ばかり。民家の一つも見えやしない。それでいて道路は奇麗に舗装されているのだから、なんともちぐはぐに思える。

「よく眠れましたか?」

「あっ……。申し訳ございません、小野田さま」

「いいんですよ蔵戸くらどさん。御実家を出られて、もう三時間は経ちますからね。――さて、そろそろ着きますよ」

 衣吹が乗るSUV車を駆るのは、小野田という三十絡みの女性だ。すらりとした長身をダークなスーツに包むクールビューティといった風情で、仄かに感じた花の香りは恐らく彼女のつけている香水だろう。さぞや同性にモテそうだな、等と衣吹は益体もない感想を抱いた。

 出会ってまだ数時間しか経っていないが、所作にそつがなく、いかにも「出来る女」といった印象を受ける。

「ほら、トンネルが見えてきました。あれが『学園』の入口です」

 後部座席から少し身を乗り出し、小野田が指差す方を見やる。すると、前方に古めかしいトンネルの入口が見えてきた。街中から車でおおよそ一時間、偶然ではとても辿り着けない場所だろう。

 トンネルの入口には、丈夫そうな鉄の門扉がそびえている。トラック……は無理かもしれないが、普通の自動車で突破するのは難しそうだ。

 小野田は車を門扉の前に滑り込ませるように停めると、「少々お待ちください」と衣吹に断ってから車を降りた。そのまま、門扉脇にある勝手口らしき扉の鍵を開け、向こう側へと消えていった。

 ――ややあって。ギギギという重苦しい音を響かせながら門扉がゆっくりと開き始めた。どうやら、内側から閂を外したらしい。

 車をトンネル内まで移動させてから、小野田は再び門扉を閉めに行き、しっかりと閂をかけなおした。随分と厳重だった。

「お待たせしました。出発します」

 車はそのまま、薄暗くやけにじめじめとしたトンネルの中を進み――不意に視界が開けた。

 そこは、四方を山林に囲まれた草原だった。「東京ドーム何個分」と数えるのも億劫になりそうなほど広い土地の中に、石畳の道路がゆったりとのび、その先に洋館のような建物がいくか見える。「学園」というよりは「村」と言った方がしっくりきそうな規模だ。

「随分と広いんですね」

「ええ。教職員でも慣れない内は迷子……いえ、遭難するくらいです。蔵戸さんも不用意に出歩かないように」

 一瞬、何かの冗談かと思ったが、小野田の口調にふざけた様子はない。衣吹は彼女の言葉を肝に銘じた。


 「私立桃源学園」、それがこのふざけた学園の名前だった。

 神奈川県西部の山中に位置する、全寮制の中高一貫校である。生徒数は少なく、一学年二十人ほどの少数精鋭ぶり。女子校であり、しかも生徒達は例外なく「やんごとない」家の出である。所謂「お嬢様学校」に分類されるだろう。

 ――今日からは衣吹も、その一員となる。

(お嬢様の箱庭……ううん、監獄、かな)

 ここに辿り着くまでの道中を思い出し、衣吹は心の中で毒づいた。

 最寄り駅の提携クリニックで行われた、徹底的な「検疫」は下手をしなくても屈辱的なものだった。身体のありとあらゆる場所をチェックされ、採血され、口の中の組織まで採取された。

 おまけにせっかく詰めた荷物を全て検められ、学園内へ持ち込み不可のものは没収された。

 桃源学園の中には、所謂「文明の利器」は殆ど持ち込めない。スマホはもちろん、ゲーム機、音楽プレイヤー、デジカメ、ラジオに至るまで持ち込みは不可だ。まさか、文庫本まで没収されるとは思いもしなかった。

 事前に聞いた話では、長期休暇の際の里帰りすら出来ないという。外出許可はまず下りず、許されるのは身内に急病や不幸があった時のみという徹底ぶり。

 しかも、逃げようと思ってもこの山中だ。少女の足ではあっという間に遭難するか、山の獣にでも襲われるだろう――確か、この周辺には熊や猿が出る。まさに監獄と呼ぶにふさわしい学び舎だった。


 車はそのまま、草原の中を縫うようにのびる石畳をガタガタと震わせながら走り続け、ある建物の前でようやく停まった。トンネルを抜けたから既に十数分が経っている。かなりの距離だ。

「さあ、着きましたよ。ここが、今日から蔵戸さんが暮らす高等部の寮『黒薔薇寮』です」

「黒薔薇寮……」

 「漢字で書く自信がないな」等と思いながら建物を見やる。「学生寮」というよりは「洋館」といった風情の建物で、窓の様子を見るに四階建てのようだ。名前に合わせたのか、外壁は黒を基調としており、どこか重苦しい。

 その黒々とした風景の中に、ぽつんと赤が混じっている。オフロードタイプのバイクだ。衣吹は詳しくないので分からないが、かなり機動力がありそうに見える。

「どなたかバイクに乗るんですか?」

「私の私物です。学園の敷地は広いですから、重宝するんですよ。――さて、クラスメイトの皆さんが食堂でお待ちのはずです。参りましょう」

 小野田が無駄のない所作で黒薔薇寮の重苦しい扉を開く。よく手入れしてあるのか、蝶番は音らしい音を響かせず、実にスムーズだ。

(鬼が出るか蛇が出るか……)

 とても学生寮に入る心持ちではないが、衣吹はそう思わずにいられなかった。彼女は、ただ単にこの学園に入学した訳ではない。ある強い目的を持ってやってきたのだから――。


   ***


「皆さま、こちらが先日お話した蔵戸衣吹さんです。蔵戸さん、御挨拶を」

「はい。……皆さま、初めまして。蔵戸衣吹と申します。まだ右も左も分からぬ新参者ですが、どうぞ仲良くしていただければ思います」

 「少し硬すぎたかな?」と思いつつ一礼する。――が、食堂の中は静まり返ったままだ。

 どうやって作ったのか不思議なほど長大な食卓には、二十名の高等部一年生がずらりと居並んでいる。皆一様に濃紺のセーラー服で身を包み、背筋をピンと伸ばしたまま四十の瞳を衣吹に向けている。

 ――と、衣吹とは食卓を挟んで反対側、所謂「お誕生日席」に座った女生徒がおもむろに手を叩き始めた。次いで、その両隣の女生徒が、そして更にその隣がと、拍手が波のように押し寄せてくる。

(あの娘が一年生のボスってところか)

 ボリュームのある髪を所々クルクルと巻いた、他の女生徒に比べとても目立つ女子だった。目鼻立ちがくっきりとしていて、衣吹と同い年とは思えぬほど大人っぽい。

 彼女は、拍手の音が止むのを待ってからゆっくりと立ち上がり、優雅な一礼をすると強者の余裕を湛えたような笑顔を浮かべた。

「初めまして、蔵戸さま。わたくしは級長を務めております藤伊多歌子ふじい たかこと申します。どうぞ、仲良くしてくださいましね?」

 値踏みされている、衣吹はそう感じた。この集団の長として、衣吹が使えるか否か、従順か否かを見定めようとしている。笑顔の裏に、そんな不躾な意志を感じてやまなかった。

「さて……蔵戸さまも長旅でお疲れでしょう? 小野田寮長、もうお部屋にご案内してはいかがでしょう」

「そうですね、顔合わせも無事済んだことですし……。長家さん」

「はい」

 小野田に呼ばれて、食卓の中ほどに座っていた女生徒がゆったりと立ち上がる。小柄で華奢で、きのこのような髪型と野暮ったい黒縁メガネが印象的な少女だ。

「蔵戸さん、こちらは貴女のルームメイトになる長家さんです。寮内のルール等の詳細は彼女から聞いてくださいね――では、この場は解散とします。長家さんは、蔵戸さんをお部屋に案内して差し上げてください」

「かしこまりました。さあ、蔵戸さま。どうぞこちらへ」

「……よろしくお願いいたします」

 長家に先導されて食堂を出ていく間、衣吹は背中に浴びるような視線を受けているのを感じた。


   ***


 黒薔薇寮はやはり四階建てらしい。一階は各学年ごとの食堂や調理室などの共用スペース、二階は一年生の居室で、三、四階がそれぞれ二年生と三年生の居室だという。

 出入口は一階の正面玄関のみ。玄関脇の寮長室には常に小野田ら教職員が常駐しており、外出する際は必ずチェックを受けなければならない。

 門限は日没前。山中なので日が暮れるのが早い為、夕方頃には寮にいなければならない。それ以降の外出は禁止。破った場合は厳罰があるという。

 各食堂にテレビやラジオはあるものの、教職員以外の操作は禁止。番組選択の自由はないし、定められた時間以外には電源が落とされる。

 消灯は二十二時半。それ以降は、お手洗いの時以外は自室の外へ出てはいけない。

 外部への連絡は全て教職員が行う為、実家に電話をかけることも許されない。

 ――なるほど、やはりここは監獄だったらしい。長家から寮についての説明を聞きながら、衣吹は改めて大変な場所に来てしまったと感じた。

「ふふっ、びっくりなさったでしょう?」

「あ、いえ。そんなことは……」

「うふふ、お気遣いはご不要ですよ。あたくしも最初にこの学園に来た時は、それはもうびっくりいたしましたもの」

 上品な笑みを浮かべながらコロコロと笑う長家。その姿はまさに「やんごとなきお嬢様」といった風情だ。

「中でも、とりわけ驚かされたのは『メイドさん』ですわ」

「メイドさん? というと、あの西洋風の女中さんのことですか?」

「ええ、そのメイドさんです。この学園では、実に多くのメイドさんが雑務を行ってくださっていますの。――ああ、ほら。ちょうど、あちらに」

 長家がその可愛らしい手を廊下の先へ向ける。そこには確かに、「メイドさん」とでも呼ぶべき風体の存在が立っていた。

 黒いロングスカートのワンピースで身を包み、その上からフリルをあしらった純白のエプロンを着けている。どうやら掃除をしているようで、丁寧な所作で窓に雑巾がけをしているところだ。

 しかし――。

「あれが……メイドさん、ですか?」

「ええ。この学園では、彼女達のことを『シスターズ』と呼んでおりますわ」

 どこか楽し気にその名を呼ぶ長家。だが、一方の衣吹は呆気に取られていた。

 彼女の服装は確かに「メイド」と言われて連想するものだ。けれども、その頭はヘッドドレスの代わりに修道女が被るようなベールで覆われており――何より、その顔が白い布で覆われており、窺うことが出来なかったのだ。

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