敗北のおまもり-2
ところで日本では『おまもり』は『おまもり』とひとまとめにされがちだけれど、海の向こうではその役割によって呼び方がちがっていたりする。
たとえば厄よけや魔よけ――つまり悪いものを避けるためのおまもりは『アミュレット』。反対に、幸運を引きよせるおまもりは『チャーム』。そして、自分を守りつつも悪いものの威力を抑えていくおまもりのことは、『タリスマン』という。
全部をいっしょくたにして『おまもり』と呼んでしまう日本文化もきらいではないけれど、使い方によって呼び名がかわるというのは分かりやすくていいものだ。
それはともかく、アミュレットもチャームもタリスマンも、もちろん日本的なおまもりも、物事を好転させるため、あるいは暗転させないためにある、という本質はかわらない。
よくない状況をあえて呼びこむのは、『おまもり』ではなく『呪物』が得意とするところで、とうぜんながらカタコタさんがあつかう領分ではない。いくら魔女みたいな人でもね。
「……負けるためのおまもり、ですか」
カタコタさんは、うっすらとそばかすの浮いた頬に手をあてて、宇宙の言語を聞いたような顔でくり返した。
ぼくも人の手足があったらきっと同じポーズをした。
だって、敗北ってやつはスポーツ選手が一番きらいなもののはずだろう?
「……すみません。へんなこと言って」
富士岡愛瑠はそわそわとうつむいた。いちおう、おかしなことを言っているという自覚はあって、それでも言わずにはおれないなにかも、またあるらしい。
カタコタさんは魔術の本を読み解くように少し考えて、
「愛瑠さんは、陸上の選手なんですよね」
とたずねた。
「はい」
うなずく富士岡愛瑠の短い髪の毛の先が、彼女のまるい頭のうえではずむ。
カタコタさんもまたうなずいて、ふわりと目元をやわらげた。
「わたしは運動が得意でないのですけど、陸上というと、いろいろな競技がありますよね。愛瑠さんには専門があるんですか?」
「はい、短距離をやってます」
「短距離の選手ですか。きっと足が速いんでしょうね」
「……まあ、クラスの友だちよりは速いですけど、記録を持ってるほどじゃないです」
「そうですか。それでもうらやましいです。わたしは運動会ではいつもびりっけつだったから」
軽やかに笑いながら、カタコタさんは質問を続ける。
「近く大会があるのですか」
たちまち富士岡愛瑠が緊張したのが分かった。
頬を引きつらせるようにして、ぎこちなくうなずいたのだ。
「はい。再来週、ブロック大会があって――」
言い終わらないうちに、彼女はうすい唇を引き結んでしまう。そこで負けたいんだと言いたくて、言えなかったような雰囲気である。
カタコタさんが一度ぼくを見て「ですって」とでもいうような顔をし、もう一度富士岡愛瑠の方を見た。大きな動きだったので、カタコタさんのウェーブヘアがゆるりとゆれ、ヘアオイルの香りがかすかに舞う。アプリコットのやさしい香りだ。
「ちなみに、どうして負けたいのか、教えていただけますか?」
「それは……えっと……勝つと、困るので」
答えになっていない。国語の授業なら叱られるぞ、富士岡愛瑠。
ぼくは心底げんなりしたのだけど、カタコタさんは真面目な顔をしてうなずいて、
「言いにくいことなのですね。分かりました。そうですね……」
と、テーブルのうえを、続けて壁中にしつらえた棚を、見まわした。
ぼくは二人の様子をながめながら、ふんとそっけなく鼻を鳴らす。
いかに世界中のおまもりを集めていると言ったって、「負けるためのおまもり」なんて――富士岡愛瑠にふさわしい商品なんて――用意がない。
だというのに、カタコタさんは、ばかていねいにひとつずつおまもりを手にとって、それが富士岡愛瑠にふさわしいかどうか、確認しはじめるのだ。
――まったく人がいいんだから。
ぼくはほとほとあきれてしまうのだけど、カタコタさんはとてもやさしく、誠実なおまもり屋さんだ。お客が抱えている悩みや気がかり、心にひっかかる問題を、解決はできなくても、解決の糸口を――あるいは解決の道へ続く一歩をふみだすための勇気を、そっとさしだすのが自分の役目だと信じている。
そしてぼくは、そんなカタコタさんをとても尊敬している。これでもね。
ひとしきり店内を見まわして、カタコタさんはふっと短く息をついた。
ふり返ったカタコタさんは妙にこざっぱりした表情で、
「富士岡愛瑠さん、すみません。少しお時間をいただけますか」
「え?」
「あなたにふさわしいおまもりを探してみます。三日ほどお時間ください」
目をまるくする富士岡愛瑠に、お任せあれ、とばかりに力強くうなずいてみせる。
やれやれ。これは長くなりそうだ。
ぼくはふかふかの椅子のうえ、由緒正しい猫そのものの自由さで、くか、とひとり大きなあくびをした。
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