まるで彼女に包まれているよう

mikanboy

第1話

 4月8日月曜日、ずっと憧れだったセーラー服に胸を躍らせながら、私は新しく通う高校の敷地内へと足を踏み入れる――はずだった。


「……はぁ」


 私が着ている服は、どこからどう見てもブレザーだった。周りを見渡してもブレザー、ブレザー、ブレザー……。ブレザーの見過ぎでゲシュタルト崩壊を起こしそうになるぐらい、辺り一面ブレザーだった。


 それもそのはず、私が通う高校の制服がブレザーなのだから。


 私は受験に失敗し、大好きなセーラー服の高校ではなく、ブレザーの高校に通うことになってしまったのだ。


「はぁ、疲れた……」


 学校が終わり、帰路に就く。

 入学初日からため息ばかり出てしまう。それほどセーラー服の高校に通えなかったのが、私にとってはショックだったのだ。


 セーラー服の高校は地元では一番偏差値が高く、私の学力では到底手の届かない場所だった。


「はぁ……これでも受験の時だけは、結構頑張ったんだけどなぁ」


 ……いや、受験の時だけしか頑張ってないからこうなったんだろうけど。

 そんな感じで自分にツッコミをしながら歩いていると、


「お~い、ゆうちゃ~ん!」


 後ろから聞き馴染みのある声が聞こえてきた。


「は、春海はるみちゃん……!」


 後ろを振り返ると、長い髪を揺らしながら小走りで近づいて来る幼馴染がいた。


「侑ちゃん久しぶり~……でもないっけ? 卒業式以来だよね」

「うん、そうだね」


 春海ちゃんとは幼稚園の頃からの付き合いで、中学校までずっと一緒の学校だった。


「それより、その制服……」


 大きな襟と、胸元のV字が特徴的なその服は、まぎれもなく私の大好きなセーラー服だった。


「ああ……うん、本当はブレザーが良かったんだけどね。先生と親がうるさくて、結局この学校になっちゃった」

「そっか、春海ちゃん頭良いもんね。いいなぁ、セーラー服。私も本当はその学校に行きたかったんだけど、肝心のここが足りなくて」


 私は自分の頭を指さしながら、冗談っぽく言う。


「そっか……侑ちゃんと同じ高校に通うの、楽しみにしてたんだけどな。 あ~あ、そんなことなら私もやっぱり、ブレザーの学校にしとけば良かったな~」


 春海ちゃんはそう言って頬を膨らませる。


「そう考えると私達って、結構似たもの同士なのかも?」

「あははっ、そうだね~!」


 セーラー服が好きなのにブレザーの学校に通う私と、ブレザーが好きなのにセーラー服の学校に通う春海ちゃん。私達の立場が逆だったら、ちょうど良かったのかもしれない。


「……あっ! じゃあさ、こういうのはどうかな?」

「え?」


 春海ちゃんは一歩前に出て、私の手を取った。


「今から私の部屋に来て、お互いの制服を交換し合うの!」

「……! 制服を……交換……!」


 そうか、その手があったんだ。

 なにも自分の制服にこだわる必要はない。自分が駄目だったら、他の人を頼ればよかったんだ。


「うん……! うん……! 交換、したい……!」


 私は春海ちゃんの手を両手で強く握り返した。


「そっか! じゃあ決まりだね!」


 そうして私達は握った手を離さないまま、春海ちゃんの家へと向かっていった。


「――おじゃまします……!」

「ごめんね、ちょっと散らかってるけど」

「え……?これで散らかってる……?」


 春海ちゃんの部屋はピンクを基調にした、女の子らしい可愛い部屋で、モデルルームかと思うぐらい綺麗に片付けられている。


 また、棚の上に置かれたリードディフューザーから甘くて良い香りが漂ってくる。中の液体がきちんと満杯になっていることから、春海ちゃんの几帳面さがうかがえる。私だったら、空になってもしばらくは放置したままだ。


「そういえば、侑ちゃんが私の部屋に来るのって何気に初めてだよね? 遠慮なくくつろいで大丈夫だから」

「うん、ありがとう」


 春海ちゃんとは家が近く、学校でも割と話す方ではあったが、プライベートではそこまで遊んだことはない。もちろん、何度か遊びに誘おうと思ったことはある。しかし何というか、私にとって春海ちゃんは恐れ多い存在だったのだ。


 いつも明るく真面目で、周りに笑顔を振りまいてくれる彼女は、男子からも女子からも人気が高く、キラキラ輝く存在として私の目に映っていた。


 だから今日、春海ちゃんが制服を交換しようなんて言った時はすごく驚いたけど、嬉しかった。私と同じ、制服に強いこだわりを持っている人だと分かって、とても親近感が湧いた。


「……それじゃあ一息ついたところで、早速制服交換に移ろっか!」

「おー!!」


 私はお目当てのセーラー服を目の前にして、分かりやすくテンションが上がっている。


 ……しかし次の瞬間、その上がり切った高揚感は、途端に羞恥心へと変わっていった。


「ちょっ、ちょっと春海ちゃん! なんで急に脱いでるの……!?」


 春海ちゃんは私の目の前で、おもむろにセーラー服の裾をめくり始めた。


「なんでって……脱がなきゃ交換できないでしょ? ほら、侑ちゃんも脱いで?」


 春海ちゃんはさも当然かのような顔でそう言った。


「いや、そりゃそうだけど……こんな目の前で脱げないよ」

「もしかして恥ずかしいの? 女の子同士なんだから、そんな気にしなくていいのに」


 そう言って春海ちゃんは一度止めた手を、再び上に上げ始める。


「いや、春海ちゃんは平気かもしれないけど、私はそういうの気にするタイプだから!」


 私は中のものが見えてしまう前に、慌てて春海ちゃんの手を止めた。


「せめて、お互い後ろを向きながら着替えようよ! ね?」

「まぁ、そこまで言うなら……」


 春海ちゃんは渋々といった様子で後ろを向いた。


(はぁ……び、ビックリしたぁ……)


 あの人気者の春海ちゃんの着替えを私なんかが覗いたら、きっとバチが当たるに違いない。


 私も急いで後ろを向く。お互い背中合わせの状態だ。


「脱いだ制服は右斜め後ろに置いといてね。あと、できるだけこっちは向かないように……!」

「はいはい、分かったよ~」


 静かな部屋に衣が擦れる音だけが響く。

 私はブレザーのジャケットとカーディガンを脱ぎ、Yシャツのボタンに手を伸ばしたところで、ある事実に気が付く。


(あれ、これってシャツも交換するの? 私の汗を吸ったこのシャツを、春海ちゃんに……?)


 私は慌てて口を開く。


「ご、ごめん春海ちゃん! Yシャツは自分のを着てくれる? 私、今日汗かいちゃったから!」

「え、私Yシャツなんて持ってないよ?」

「えっ!? な、なんで!? 私達、中学までずっとブレザーだったよね?」

「それが最近サイズが合わなくなってきて、シャツはもう全部捨てちゃったんだよね」

「え、えぇっ~~!?」


 確かに、少し前までは私より身長が低かったのに、今ではもう私より大きくなっている。


「大丈夫、私侑ちゃんのシャツが臭くても気にしないよ!」

「く、臭くないからっ!」


 そう言いながら自分のシャツに顔を近づける。


(……うん、臭くはない……はず)


 特段、良い匂いもしなかったが……。


「わぁ~! これが憧れのセーラー服……!」


 しかも白を基調とした王道のカラーデザイン。襟と袖口は紺色で、リボンではなく赤のスカーフ。 本来ならここに紺のスカートを履くのだが、それは遠慮しておいた。スカートを交換するなんて、なんだかいやらしい気がしたから。私の考えすぎかもしれないけど。


 しかし実際、春海ちゃんの制服を着て、春海ちゃんの甘い匂いに包まれてるだけでも、かなり頭がぽかぽかしてきている。


(私って結構、匂いフェチなのかな……それとも春海ちゃんの匂いが良すぎるだけ?)


 叶う事ならずっとこの匂いを嗅いでいたい、そう思ってしまうほど、私はこの服の虜になっていた。


「い、いやぁ~、やっぱりこの大きい襟が可愛いよね、セーラー服って!」

「あ~、確かに他の服にはない特徴だよね」

「で、でしょ~? セーラー服がこの世で一番可愛いんだよ!」


 私はその気持ちがバレないよう、必死に平常心を取り繕った。


「私も侑ちゃんの学校のブレザーが着れて良かったよ~!」


 白いYシャツにベージュのカーディガン、その上に紺のジャケットと赤のリボンを身につけている。スカートは赤のチェック柄だが、今は私が履いている。


「ブレザーはこの格好良さと可愛さを兼ね備えた感じが良いんだよね~! 白Yシャツ+紺ジャケット+赤リボン=神って感じ!」

「おっ、春海ちゃんも結構語るね~!」

「いやいや、侑ちゃんほどじゃないよ~」

「……あははっ!」


 2人して顔を見合わせながら笑いあう。


(……春海ちゃんって、思っていた以上に私と近い人なのかも)


 今日制服を交換して、好きなところを語りあって、改めてそう感じた。


「――あっ、もうこんな時間……私もう帰らないと」


 春海ちゃんとの時間はあっという間で、気付けば6時を過ぎていた。

 もう一度お互いの制服を交換して、元のブレザーへと着替え直す。


(あっ……この匂い……)


 Yシャツからは微かに春海ちゃんの匂いがする。


(やっぱり、この匂い好きだなぁ……)


 その時、私は初めてこの制服で良かったと思うことができた。


「――それじゃあ侑ちゃん、またね!」


 別れ際、春海ちゃんはそう言いながら、私に向けて手を振った。


「うん、また……」


 私はその手を見て、振り返したくないと思ってしまった。もしその手に振り返してしまったら、もう会えなくなるんじゃないか……そんな気がした。


 そしてその想いは、言葉となって飛び出していた。


「また……また一緒に……! 制服交換、してほしい……!」

「侑ちゃん……」


 春海ちゃんは目を丸くして私のことを見つめた後、私の下がりきった手を満面の笑みで持ち上げた。


「うん、喜んで!」


 私達は再び、お互いの顔を見合わせながら笑いあった。


「えっと、それじゃあまた……来週?」

「うん、また来週!」


 私はその上げてもらった手を小さく振り、春海ちゃんに別れを告げた。

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