第27話 霧雨
厳しい冬が過ぎ、春が少しずつ近づいてきた。とはいえ、山の上の方にはまだ雪が残っており、時折、冷たい風が吹く。
今日は朝から雲行きが良くない。春は一歩進んでは戻りを繰り返し、本格的な春を迎えるにはまだ遠い。
ウィルは昨日、西の森で採取した薬草をロアのもとまで納品に来た。冬から春先に咲く植物にも薬草になるものがある。
ロアはいつもと変わらずハーブティーをいれた。ウィルは受け取りのサインをもらうと、向かい合ってハーブティーを飲む。
「朝からどんよりと薄暗くて嫌な天気ね」
「雨には雨の良さがある」
「そうね。こういう天気のときにしか咲かない珍しい花があるのよ。薬草の素材にもなるんだけど」
「採取依頼を出すのか?」
「出さないわ」
「欲しくないなら別にいいが」
「もちろん欲しいわ」
「じゃあどうするんだ?」
「そんなの決まってるじゃない。自分で取りに行くのよ」
「自分でか?」
「そうよ。珍しい花なんだから、死ぬまでに一度は自分の目で見ておきたいじゃない」
「近々死ぬ予定でもあるのか?」
「何よその死ぬ予定って。ピクニックの予定じゃないんだから、失礼しちゃうわね。そうじゃなくって、この先いつチャンスが来るかわからないから、予定がなくて動けるうちにってこと。ついでに、咲いているところを観察できたらと思ったの。栽培できるようになるかもしれないし」
「へえ。で、どこに咲いてるんだ?」
「ルシフェリオ山よ」
「そんなところにそんな花があったか?」
「冬の時期は誰も山なんかに登らないからわからないだけよ。他の時期には咲いてないから」
「そんなもんか。でもこんな天気だぞ。一人で行って大丈夫か?」
「大丈夫よ。あっ、あたしのこと心配してくれてるの?」
「そういう訳じゃない」
「いまならタダで私のボディーガードさせてあげるわよ」
「タダの仕事はやらない主義なんだ。これでも一応プロでやってるんでな」
「あっそう。もともとテオに頼もうと思ってたから別にいいけど」
「それはやめてくれ」
「何であなたが決めるの? テオに直接聞かないとわからないじゃない」
「何でもダメだ」
「聞くぐらいはいいじゃない。あたしが自分で聞くんだから」
「テオに変な関わり方をしないでくれ」
「そんな言い方ないでしょ。あなたがテオの面倒みられないとき、あたしがみてあげたじゃん」
「俺は面倒みてくれなんて頼んでない。お前が勝手にやっただけだ」
「勝手で悪かったわね。親でもないくせに、許可する権限があなたにあるっていうの?」
「お前だって親じゃないくせに」
「そんなこと言われなくたって知ってるわよ。テオはあなたの所有物じゃない。これからもあたしは勝手にやるから、あなたには関係ないでしょ」
「そうだ、関係ないさ。お前が一人、山でのたれ死のうが俺の知ったことじゃない」
「だったらほっといてよ! あなたの顔なんか見たくもない! 用がないならさっさと帰って!」
「言われなくても、とっとと出ていくさ。こんな辛気臭いところにはいつまでもいたくない!」
「バカ! 死んじまえ!」
部屋を出ていこうとしたウィルの背中に何かがぶつかった。チラっと足元を見ると納品した薬草の入った麻袋だ。
ロアの罵声を背中に浴びながら部屋を出た。町はいつの間にか降り出した雨で濡れていた。小さな雨粒が靄のように町を覆い尽くしている。
霧雨のなかを歩く。まだ昼前だというのに薄暗く、通りに面した店の窓から漏れる光や、軒先に下げられたランタンの光が雨に反射してぼんやり光っている。
ギルドの近くの酒場に入り酒を注文した。
ウィルはふだんから酒を飲むことがないので、珍しいものでも見るかのように周りの客がじろじろと見てくる。
ウィルは酒をあおるが、まったくおいしくない。安酒だからマズいのか、飲み慣れないからマズいのか、むしゃくしゃするからマズいのか。
とにかくロアの所にテオが行くのをやめさせようと思った。
「親でもないくせに、許可する権限があなたにあるっていうの?」
ロアの声が頭の中をぐるぐると回る。
「お前が口出しすることじゃない」
ウィルは独りつぶやくと店を出た。
家に戻ったがテオとバディはいない。
じっとしていられないので何かをやりたいが、今日は仕事がないし、雨で農作業もできない。ダイニングに腰掛けたものの時間を持て余す。
棚の奥にしまい込んだ指輪をふと思い出した。十年以上見ていない。久しぶりに見てみようかと思った。
棚の前に立ち引き出しへ手をかけると、ドアを開ける音がした。ウィルは慌てて手を引っ込めた。
テオが家に駆け込んできた。
「ロアが一人で山に行っちゃったんだ。今日は危ないからやめておいたほうがいいって止めたんだけど。装備も持ってきてないし、ウィルに相談するから待っててって言ったけど聞かなくて」
この天気でルシフェリオ山に登るのは冒険者でも危険だ。足場が悪くなれば滑落の危険もあるし、ふだん昼間に出てこないモンスターが出てくることもある。
「何かあったら僕のせいだ。心配だからロアを追いかけようと思うんだけど。一緒に行ってくれるよね」
「あいつが勝手に決めたことだ。お前も俺も関係ない」
「またロアとケンカしたの? 何があったか知らないけど、そんなこと気にしてもしょうがないじゃん。ロアに何かあってもいいの?」
ウィルは黙ったまま動こうとしない。
「わからず屋! 僕だけでも行く!」
「ちょっと待て。お前一人では危険だ。町から捜索隊が出るかもしれん。ギルドに行く」
テオはすぐに山へ行けるよう装備をつけた。ウィルはそんな大ごとにするような事でもないと言って装備をつけずに家を出た。
ウィルは気が乗らないが、テオにせかされ早足でギルドへと向かった。
ギルドに着くと、テオがコンラッドに事情を説明した。
「今から捜索隊を出すか。協力してくれる者はいるか?」
コンラッドはギルドに居合わせた冒険者たちに聞いた。皆、聞き耳を立てていたので状況を理解したはずだ。
「まだ一時間くらい前だから、今なら間に合うと思います。誰か手伝ってください」
テオもみんなに呼びかけた。
「どこにある何の薬草なのかもわからないんだろ。この天候だと、どこにいるのかわからない人を探すのは難しいぞ。捜索隊のほうが逆に危険だ」
「たしか魔法で薬草を作ってるヤツだよな。魔法が使えるんだったら大丈夫だろ」
「そうだよな。基本的な知識がある大人だったら危険な行動はしないだろうし。万が一下りて来られなくても、一晩だったら避難小屋でも見つけてやり過ごすくらいできるだろ」
「今日中に帰ってこなかったら、明朝、日の出とともに捜索開始でも遅くないんじゃないか」
冒険者たちは口々に言った。
「たしかに、皆の言うことも一理あるな。もう昼過ぎだ。これからこの天候で探しながら登っていたら、あっという間に日が暮れてしまう。私たちの方に危険が及ぶ可能性も高い」
コンラッドは腕組みをして言った。
話を聞いていたテオはバディと外へ飛び出して行った。
「おい、どこに行くんだ。追いかけなくて大丈夫か?」
コンラッドが心配そうに聞いた。
「家に帰ったんだろう。一人で山へ行くほどバカではないはずだ」
ウィルはコンラッドの心配をよそに落ち着いて言った。
「心配かけてスマン。家に帰ったら説得する」
ウィルはそう言ってギルドを後にした。
家に帰りながらあれこれと考える。
テオは山へ行ったのだろうか。そんな無謀なことをするヤツではないはずだ。いち冒険者として、無謀なことをしろとは一度も教えたことはない。むしろ、命取りになるから焦らず冷静になれと教えている。
家にいるはずなので、とにかく説得するのが先だ。家にいなかったら、そのとき考えればいい。
とはいえ、ウィルは自然と早足になり、ついには走りだした。
家のドアの前に立ち深呼吸をした。感情に流されて頭ごなしに言ったら言うことを聞かない。ウィルは気持ちを落ち着けて家へと入った。
しかし、テオもバディもいなかった。部屋にも納屋にもいない。どこにも帰って来た様子がない。やはり山へ向かったようだ。
ダイニングのイスに座ると、いろいろな感情がウィルの頭の中を駆け巡る。
このまま助けに行かず、二人とも無事に帰ってきたら、テオは「薄情な人とは一緒にいられない」と言って出ていくだろう。
もし、二人とも命を落とすことになったら、これまでの生活は終わりだ。
どちらにしても、また一人の生活に戻るだけだ。このまま二人がいなくなれば、気楽な一人の生活に戻れる。
オークの死に際の目と、オッドアイのゴブリンの死に際の目がまとわりつく。「人と関わっても煩わしいことに巻き込まれるだけだ。こっちへ来い」と鈍く光る。
そもそもあの時、ゴブリンに襲われている親子を助けなければ、こんな面倒事に巻き込まれることはなかった。
テオとロアが見殺しになったとしても誰のせいでもない。他の冒険者たちが捜索隊として出られないのに、今さら自分が行ってもどうしようもない。
左手を失ったばかりか、最愛の人まで失った。もうこれ以上傷つきたくない。これで終わりにしよう。
一人で問題なく生活してこれたのだ。テオとのこれまでの生活は気まぐれだ、夢だ。誰にも煩わされない生活へ戻ろう。これでいいんだ。
そう思ってハーブティーでも飲もうかと視線をキッチンに移すと、2つのちぐはぐのカップが目に入った。これまでの思い出が蘇ってくる。
苦労して作った少しゆがんだベッドサイドテーブル。孤児院から逃げてきたテオに、殺してくれと頼まれたこと。ギルドで借りた木製の装備をつけて上機嫌で歩くテオ。ロアと初めてお茶を飲んだこと。テオが冒険者の試験に合格しみんなで喜んだこと。ロアとレストランでケンカしたこと。山から下りたヴィントとゲイルを優しい目で見送るテオ。
本当にこれでいいのか? この生活を手放していいのか? 助けに行かなくていいのか?
人は一人では生きていけない。誰しもが、目に見えないところで誰かの助けを受けている。そして、いつか必ず目に見える形で誰かの助けが必要になるときが来る。
大事な人たちなのではないのか? これからの人生に必要な人たちなのではないのか?
人と関わると必ず煩わしいことに巻き込まれる。でも、その煩わしさが、今はなぜかいとおしく感じられた。
ウィルは頭を抱えた。
◇
やむことのない雨が山の道を悪路に変える。厚い雲のせいで辺りは薄暗い。霧雨のせいで靄がかかったように視界も悪い。
早く帰らないとテオが心配するだろうし、大ごとになってもいけない。ロアは帰り道を急ぐ。
片側が急斜面になった細い道を急いで渡る。すると、不意に雷がゴロゴロと鳴るような音が辺りに響いた。驚いたロアはぬかるみに足を滑らせ、崖を滑り落ちてしまった。
茂みがあったおかげで斜面の途中でなんとか止まった。
斜面の上側を見ると、かなり上の方まで茂みで覆われており、どこまで上がれば元の道に戻れるのかわからない。すぐ下側は茂みがなく開けた場所になっているようだ。
とりあえず元の道に戻った方がいいだろう。立ち上がろうとすると左足に痛みが走った。どうやら滑ったときに足をくじいたみたいだ。
この足ではとても斜面を上れそうにない。下の開けた場所からどこか山道へつながる場所を探すしかない。
左足をかばいながら茂みを出ると、辺り一面が一種類の花で覆われた場所に出た。まだ所々雪が残っている中、白い花が下を向いて咲いている。
「こんなところにスノードロップの群生地があったなんて」
ロアは一番好きな花がこんなにもたくさん咲いているところを初めて見た。
花畑の中をゆっくり歩いてまわる。霧雨のなか、ぼんやりと幻想的に花々が浮き上がる。夢の世界にいるようだと思い、心が浮かれた。
ふとバックパックの中の物を思い出した。斜面をを滑り落ちたときの衝撃でダメになってしまっていないか心配になった。
バックパックから袋を取り出して中を確認する。透明な花びらの花が形を保って入っており、ロアはひと安心した。採取してきた貴重な薬草だ。
徐々に肌寒くなってきた。天気も悪いし暗くなってきたので、ヘタに動いたら危険だ。
花の群生地であれば比較的安全かもしれないとロアは判断した。茂みの木陰で雨宿りをしながらたき火でもすれば、明朝までだったら何とか乗り切れるだろう。
小枝を拾い集めるため茂みへ行こうとすると、ロアの名前を呼ぶ声が聞こえたような気がした。テオの声だと思った。イヌが吠えるのも聞こえる。
「ここよー!」
ロアは大きな声で返事をした。
するとバディがやって来て吠えた。
「ありがとう。わざわざ探しに来てくれたのね」
ロアはバディの頭をなでる。少ししてテオもやって来た。
「無事でよかった」
テオが駆け寄って来るなり言った。
「大丈夫に決まってるでしょ。心配しすぎよ」
「僕が心配しすぎてみんなを振り回しちゃっただけか。よかった」
テオは安堵した様子だ。
「でも心配してくれてうれしいわ。イテッ」
「どうしたんですか?」
「ちょっと足をくじいただけよ」
「ちゃんと手当てしないとダメじゃん」
「だって、あたしの一番好きな花がこんなに咲いてたから。ちょっと夢中になっちゃった」
「調べたい花ってこの花のこと?」
「それじゃなくて、これよ」
ロアは袋から花を取り出した。
「透明な花びらなんだね。不思議だな」
「この山にしか咲かない貴重な花よ」
「へえー、そうなんだ。初めて見た。目的が達成できたなら、暗くなる前に早く戻ろう。みんな心配してるよ」
「足も痛むし天気も悪いしもう暗くなってきたから、今動くと逆に危険だと思って、ここで一晩過ごそうかなと思ってたところなの」
「でも、このままじゃ寒くて朝までもたないよ」
「枝を拾ってくればたき火ができるでしょ。ランタンとマッチも持ってきてあるし。いざとなったら魔法で火をつければいいかな」
「じゃあ僕が拾ってくるから。木陰で休んでて」
「少しくらい湿っていてもいいわよ。魔法を加減すれば燃えると思うから」
「わかった」
テオは枝を拾いに行った。バディもテオについていく。
ロアは透明な花をバックパックに入れ直し、ランタンに火をつけた。木陰へ行こうとしたら、ふと背後に気配を感じた。
テオではない。人間のものとはまったく違う荒い息遣い、そして、木の枝をも軽々と踏み潰しながら地面を踏みしめるゆっくりとした大きな足音。恐る恐る振り向くと、そこには小型のドラゴンがいた。小型といっても人間に比べたらかなり大きい。山の主と恐れられるランブルだ。
右目だけがギロリとロアを見ている。左目はなく、傷がふさがった状態になっている。
ロアは思わず悲鳴をあげた。ランブルがゆっくり近づいてくる。
「あなたの大事な縄張りなのね。ゴメンナサイ。すぐに出ていくから怒らないで!」
ロアは必死に訴えるが、ランブルは雷のように喉をガラガラ鳴らし、一歩ずつゆっくりロアに近づいてくる。
走って逃げようにも足をくじいている。それに相手は小型とはいえドラゴンだ。走って逃げたところで簡単に追いつかれてしまうだろう。見逃してくれない限りは。
悲鳴を聞いたテオが走って戻ってきた。
ランブルの横手でテオは腰が引けながらも剣を抜き、果敢に立ち向かおうとしている。バディも一生懸命に吠えている。しかし、ランブルはテオを一瞥しただけで、無視してロアに近づいてくる。
テオがランブルの背後に回り込み近づこうとするが、尻尾に翻弄されて近づけない。まるで遊ばれているようだ。
徐々に力強くなる尻尾がテオを襲う。テオはかわしながら近づく隙を狙う。
「テオ! あなただけでも早く逃げて!」
ロアは思った。自分はどうなってもいい。とにかくテオだけでも逃さないと。自分のせいでテオに何かあったらウィルに申し訳が立たない。
しかし、テオは聞かずにランブルへと立ち向かう。
見ていられなくなったロアは、ランブルに向けてランタンを投げつけた。ランブルの体に当たったがびくともしない。効かないとわかっていたのか、避けようともしなかった。
ランブルが大きく吠えると激しくしなった尻尾がテオに当たり、テオは弾き飛ばされた。
ランブルが一歩ずつロアに近づいてくる。ランタンはあっけなくランブルに踏みつぶされた。
不意をついて魔法を使えば逃げられるかもしれない。戦意を喪失してくれるかもしれない。でも、逆に怒らせてしまうかもしれない。
迷っている場合ではないのに、魔法を使うのが怖い。
汚れたものでも払うかのように、ロアに向かってランブルの尻尾が横から飛んできた。
◇
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