第23話 波


 数日後。テオがやって来たが元気がない。バディもテオの気持ちを察しているのか、いつもの元気がない。


「あの。このあいだのことだけど、ゴメン」

 テオは申し訳なさそうな顔をして言った。


「気にしなくていいのよ」

 ロアはそう言ったものの、あの日のことを不意に思い出してしまい心が波立った。


 人を傷つけるのが怖い。トラウマでモンスター相手にさえ魔法を使えなくなった。でも、自分のことがわかってもらえないのも同じくらい怖い。

 ウィルに対して強く言ってしまうのは、自分が傷つくのを恐れているからなのか。自分のことをわかってほしいだけで、ケンカをしたいわけじゃない。嫌われたいわけじゃない。


 ケンカしてウィルが帰っていったあとは、いつも自己嫌悪に陥る。やってしまった。どうして自分はいつもこうなんだろう。死んでしまいたい。消えてしまいたい。

 でも、ウィルなら多少のわがままも許してもらえそうな気がする。自分のことをわかってもらえそうな気がする。直感だけで根拠があるわけじゃないけど。ウィルに甘えているのだろうか。

 ロアは無意識のうちに窓辺の花瓶に目をやる。


 テオが花瓶に気づいた。ウィルからもらったバラとドッグローズが飾ってある。

 5本のバラの意味は「あなたに出会えたことが心からの喜び」だ。

 花の意味はそうかもしれないが、ロアにとってはこれまでの人生で最低の誕生日だった。この町に来てからの一人で過ごす誕生日のほうがまだマシだった。


「あの花を見るとウィルの顔を思い出して一瞬ムカッとする。けど……」

 ロアは捨てられなかった。


 ドッグローズの花言葉は「素朴な愛」「孤独」「温かい心」だ。

 ウィルの過去は知らないが、これまで孤独の中で暮らしてきたのだろう。でも、テオと暮らしているということは、心の底には温かい心と素朴な愛をもっているはず。

 ウィルの目の奥、暗い影の奥にかすかな優しい光を感じ、ロアはそう思わずにはいられなかった。


「ほんとはもっと早く来ようと思ったんだけど、忙しくてなかなか来れなくて」

「テオは悪くないから大丈夫よ。そんなことより、ヴィントは前より少し元気になったみたいよ。薬の量を少し増やしてから、効果が以前のように出てきたみたい。テオのおかげね」


「ロアは奇跡って信じる?」

「信じてる。けど、あたし信じる奇跡はちょっと違うかも」


「どういうこと?」

「何もしていない人に奇跡は起きない。常に努力しているから奇跡が起きるんだと思う。だから、奇跡は偶然じゃなくて必然的に起こるものなんじゃないかな。どうしてそんなこと聞くの?」


「ヴィントの病気が奇跡みたいに治らないかなって思って」

「大丈夫。きっと治る。彼は必死に病気と闘ってる。周りが心配すると彼も不安になってしまうでしょ。だから治るのは奇跡じゃなくて必然だと信じましょう」


「うん。僕が弱気になってちゃダメだね。そうだよねバディ」

 テオはしゃがんでバディの頭をなでながら言った。ロアには少し不安混じりの笑顔に見えた。

「ここでじっとしていると気が滅入りそうだから、ちょっと海にいかない?」

 テオは立ち上がってうなずいた。先ほどより顔が明るくなった。


 町を出て南へと進む。切り立った海岸線の下へと続く一本の細い坂道を下っていくと、小さな砂浜に着いた。

 岸壁に沿うように夕日が沈んでいく。赤く染まった海がキラキラと輝いている。


「こんなところに砂浜があるなんて知らなかった。はじめてこんな近くで海を見た」


 バディは尻尾を振って波と戯れている。波を追いかけたり、追いかけられたり。

 テオも靴を脱いでズボンの裾を膝までまくり、バディと波打ち際で遊びだした。


 ロアは砂浜に座り、遊ぶテオたちを眺めていると、心が穏やかになっていくのを感じた。嫌なことが海に消えていく。悩みがちっぽけに思えた。


 遊び終えたテオがロアの横に座った。バディも遊び疲れたようで、テオとロアの間でお腹を地面につけて座った。

 波の音だけが響く。静かに時間が過ぎていく。


「うれしいことも悲しいことも、波のように打ち寄せてきては去って行くのね」

 ロアは波を見ながらひとりごとのように言った。


「いつかきっと悲しい波は引いて、うれしい波がくるかな」

 テオもひとりごとのように言った。


「どっちの波にも流されないようにしなきゃね。悲しい波に流されたら、戻って来られなくなる。うれしい波に流されたら、足をすくわれる」

 ロアはテオに言ったつもりだったが、自分に言い聞かせたような気がした。


「冒険者になる前までは、何かあるたびに、いつも死にたいと思ってた」

 バディの背中をなでながらテオが言った。


 テオの急な胸の内の吐露に、ロアはなんと返していいか戸惑った。でも、信頼されている証拠だとも思い、うれしくもあった。黙ってうなずいた。


「そんなことが頭から離れず眠れないときは、手紙を読むんだ」


 ロアは少し血のついた跡がある封筒を思い出した。テオが大事に持っていた母親からの愛にあふれた手紙だ。


「前触れもなく急に寂しくなるときがある。父さんも母さんもいないってふと思い出すと、無性に会いたくなる。もっと一緒にいたかった」


 ロアは、胸の奥が締めつけられるように感じた。早くに両親を亡くすことがどれほど苦しいことなのか想像もつかない。

 どれだけ気持ちを察したとしても、本人の感じているつらさを完全に理解することはできないのだろう。

 テオの苦しみと、テオの気持ちをわかってあげられないもどかしさがロアにのしかかってくる。


「父さんと母さん、天国で仲良くしてるといいな」

「きっと。いえ、絶対、天国で楽しく過ごしてるわよ。あなたを見守りながら」


「僕も一緒にいたいな」

「そうよね、一緒にいたいよね。でも、まだ焦らないでね。もう少し二人でいる時間を楽しませてあげて」


「うん。僕が自殺したり、事故で死んじゃったりしたら、父さんも母さんも悲しむと思う。だから、ちゃんとおじいさんになるまで生きて、安心させてあげたい」

「おじいさんになってから会っても遅くないものね」


「これからも嫌なことがあるだろうし、何度も死にたいと思うことがあるかもしれないけど、僕なりに頑張ってみようと思う」

「あたしも、微力ながら応援するね」


「ありがとう。でも、たまにふと不安になる。ウィルとロアが僕のせいで不幸になるんじゃないか、ヴィントが治らないんじゃないかって」

「もうアザが呪い印の時代は終わったのよ。気にしなくてもいいのよ」


「うん。わかってる。でもなんとなく」

「自分の幸せを第一に考えればいいのよ」


 テオが幸せになれば、自分も幸せになれる……はず。ロアは心の中でつぶやいた。

 自分の幸せを無断でテオに託しているだけなのか。自律できていない子どもは自分のほうだとロアは思った。


 夏の潮風が「ここにいてもいい」「焦らなくてもいい」と静かにささやいているように聞こえ、ロアは波立つ心が少しずつ静かになっていくのを感じた。


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