倭国篇十六『近江屋事件』


 元土佐藩士坂本龍馬さかもとりょうま


 拠点としていた『寺田屋』で、幕府の襲撃を受けた。九死に一生を得た坂本は、拠点を『近江屋おうみや』に移した。


「坂本さん、これからワシらどうなるんですかね?幕府の圧力は半端ない。ちぃとばかり不安です」

 中岡慎太郎なかおかしんたろうは漠然とした不安を覚えていた。何か嫌な予感が頭から離れないのだ。

「中岡君。万事、見にゃ分からん。先に見えるのは、日本の夜明けぜよ!」

 坂本は優しく自信に満ち溢れた笑みを見せた。この男はいつだって前向き、寺田屋事件も何のそのだ。抱く夢は果てなくデカい。いちいち悩んでなどいられない。周りの人間は、そんな坂本を慕い尊敬しているのだ。


 坂本は突然窓に目をやった。先程までの笑顔はもう無い。

「坂本さん、どうかしましたか?」

「うーん……ひだりい!(腹が減った)軍鶏シャモだ、軍鶏が食いたい!中岡君、スマンが買うて来てくれんか?」

「ハハハッ。唐突ですね、坂本さん。いいですよ、四条小路に美味い軍鶏があるらしい。買ってきます!」

「中岡君、おおきに」

 坂本は、中岡を笑顔で見送った。


「さて、窓の外におる客人。いぬるな(入ってこい)……」

 坂本の声のトーンが低くなった。そこにいる者は明らかに敵意がある。

『ほぅ!ボクの気配に気付くとは!驚きましたよ!なるほど、仲間を逃がしたのですね』

 軽やかに窓から入って来た男……

 Jack・the・Ripper切り裂きジャック


「こらびっくりぜよ!異国人かよ!」

『ジャックと申します。宜しく……まぁ、直ぐにですけどね』

「して、何の用がぁ?……ちゅうか、何故ワシを始末する?ワシは攘夷志士じょういししじゃあないぜよ」

『承知してます。しかし、貴方のお仲間桂小五郎かつらこごろうと云う男が新撰組と組んだ。勿論、貴方もご存知ですよねぇ?』

 ジャックが口角を上げると、坂本は苦笑いを浮かべた。

「いやぁ、参った!ワシはまだ死にたくないぜよ?何とかならんか?」

『面白い方だ……が、無理です。貴方は相当強いと見た。戦えばいいじゃないですか?そこにあるで』

 ジャックの目の先に見えるのは一丁の拳銃ピストル……

「あー!コイツは高杉晋作たかすぎしんさくっちゅう友人に貰ったもんぜよ。コイツは鳥撃ち用にしちょる。人間は撃たん」

『そうですか、本当に面白い方だ。何か……イラついてきました。死ね』


 八畳一間に金属音が鳴り響いた。

 ジャックが振りかざした短剣を、坂本は拳銃で受け止めた。

 速い!ボクの一撃を受け止めるとは……

「おっかないのぉ!こりゃ逃げるが勝ちぜよ!」

 坂本は拳銃の銃把グリップでジャックの短剣を叩き落とすと窓枠に手を掛けた!

 しかし……坂本は頭を、畳の上に倒れた。

「グゥッ!!」

『惜しい!残念だなぁ、ボクの武器はじゃないのですよぉ、ニャハッ』

 坂本の目に映るのは一匹の黒い獣人。

「な、なるほど……おんしゃかよ」

『その通り!この爪で切り裂いてきた人間は数知れず。ところで何故反撃しないので?悔しいが、ボクといい戦いが出来たはず……』

 ジャックは、足元で倒れている坂本にしゃがみ込んで問うた。

「甘いと言われるかもしれんが、戦いの末に作られる日本は望まん。ワシは日本ひとつとなり、おんしゃら異国人と手を取り合いたい。それがワシの考える平和な世界ぜよ……グフッ」

 坂本は瀕死状態、吐血し呼吸も荒い。

『そうですね、それは綺麗事だ。ボクみたいなヤツは世界に五万といる。やはり変わったお方ですね』

「ハハッ、そうか。あー、残念じゃ。日本の夜明けを見たかった。仲間達と作りたかったぜよ……」

 そう言い残し息絶えた。


 畳のど真ん中で血の海は円を描く……坂本龍馬は、まるで国旗の上に眠る志士のようだった。













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