第4話 3


 イズーは普段と何も変わらない表情で剣を握っていた。


 小さく息を吐いたあと、また呪文を低く呟く。



 蛍のような小さな光が、ふわりと浮き上がった。

 温かみを感じる丸い光のほとんどは、空へ昇り、消えてゆく。


 そして一部は、イズーの剣に嵌まっている青い石へと吸い込まれていった。


(魔剣の栄養分になっているのかなあ。アリシアは単に強い剣みたいに言ってたけど、やっぱヤバい剣じゃないのか?)


 不安に思うギイの手元にも、小さな光が寄ってきた。


 なにげなく手のひらに載せようとすると、雪のように消える。

 光は次々とギイに吸い寄せられ、身体に触れたとたん吸収された。



「げっ」


 ギイは慌ててアリシアに訊く。


『俺、魔剣じゃないのに、光が身体に吸い込まれていくんだけど、なんでだ? この光、身体に悪かったりしないよな?』


『これは魔素ですよう。魔力のない普通の人が吸い込みすぎると興奮しやすくなりますが、ギイは虚弱で魔力も使える体質っぽいから、いい感じに元気になると思います。じゃんじゃん吸ったらいいですよ。ポッポポー』


 アリシアは機嫌良く、ポヨンポヨンと飛び跳ねていた。まるでタンポポ畑で、綿毛を飛ばして遊んでいるかのようだ。

 光はアリシアの身体にも吸い込まれている。


『魔素獣をいっぱい倒したら、私も魔素をいっぱい補給できるのですね。人間の身体に戻れる日が、思ったより近いかも。いいですねえ、イズーには、どんどん倒してもらいましょうか』


 虫のいいことを考えるアリシアを見つめていると、イズーが近づいてきた。

 剣はすでにアイテムコンテナに、しまい込まれている。


「イズー、お疲れ様。大変だったな」


 ギイが立ち上がると同時に、イズーが、ひざまずいた。



「魔素獣ごときを相手に、倒すのに手間取りました。どうぞ、お許しを」


 大活躍のイズーに謝罪され、ギイは慌てて言う。


「仕方ないよ。数が多かったんだから。ていうか、イズーがいなかったら、俺もメタボロにやられていたと思うし……」

「しかしギイ様にご不自由を掛けたあげく、森まで焼いてしまいました。もっと手早く片付けられると考えていた、私の判断ミスです」


 ギイは暗い周囲を見渡す。


「あまり早く大技を使っていたら、もっと広範囲の森が焼けていたんじゃないかなあ。充分引きつけてからの大技だったから、焼けたのも周囲五メートルぐらいで済んだのだと思う。イズーの判断は間違っていないよ」


 それでもイズーが申し訳なさそうな顔をするので、ギイは提案する。


「終わったことはもういいから、とりあえずこの生イノシシをどうにかしよう。ここにあると邪魔だし、一緒に穴掘って埋めないか?」


 イズーの表情から、過剰な申し訳なさが消えた。



「ギイ様。恐れながら申し上げます。このイノシシ、貴重な食料になると思いますので、埋めずに持って行くのがよろしいかと存じます」

「え?」


 ギイは、体高が自分の胸まであるイノシシを見る。


「こんな、でかいのを持ち運ぶのか?」

「小さく切ったあと、私のアイテムコンテナに入れておきます。私は慣れておりますので、ギイ様は何も気にされることはありません」


「……アイテムコンテナに入れて、腐らないかなあ」

「あの中は時間の進みが遅いので、大丈夫かと」



 アリシアから同じことを聞いてはいたが、生肉をアイテムコンテナに入れるのは、ギイには抵抗があった。

 しかしこの世界の住人であるイズーが言うのだから、ごく普通にできることなのだろう。


「分かった。イズーに任せる」

「承知しました」



 イズーは立ち上がった。


 アイテムコンテナから大型ナイフを出したかと思うと、まるで包丁で野菜を切り分けるかのように細切れにしてゆく。


(生肉なのに、こんなにさくさく切れるのか。考えてみたら魔剣でイノシシを一刀両断できるんだから、魔力ナイフを使ったら、生肉のブツ切りも簡単にできるんだろうな。しかし切ったら肉がすぐに消えてゆくのは不思議だよな。切る端からコンテナに入れているんだろうけど、速すぎて見えない……)


 ゆっくり手順を見せてほしかったが、邪魔になるといけないので、ギイは黙って見つめていた。


 作業を終えたあと、イズーは苦い表情になる。



「ギイ様。今年の魔素獣は、私の予想よりも数が多いようです。エルデクロウ島へ行くルートを、もう一度検討したほうがいいかもしれません」

「そうだな」


 相づちを打ったあと、気づく。


(俺、この世界の地図を全然見たことなかったな。事態はめまぐるしく変わるし、歩いている最中はヘトヘトだし、ついてゆくのがいっぱいいっぱいで、ルートなんて考えてる余裕もなかった。……イズーは俺が全然道を知らずについてきているとは、思ってないだろうな。ボロが出てなくてよかった)


 地図にはとても興味があるが、今夜は考える元気がなかった。それに夜闇の中より太陽が出ているときのほうが、地図も見やすいだろう。


「今後どの道を行くか、日が昇ってから考えよう。夜明けまで時間がありそうだから、少しでも寝たほうがいい」


「承知しました。ではもう一度火をおこしましょう。火の番は私が……」


「イズーも寝てくれよ。今夜は、もう魔素獣は出てこないよ。三十匹ぐらい倒したんだから」


「私に、見張りをせずに寝ろとおっしゃるのですか……」



 イズーは驚いたような表情になったあと、苦笑する。

 また王族らしからぬことを言ったせいだろう。そのあと微笑んだところをみると、ギイらしいと思ったに違いない。

 ギイの考え方に、イズーも慣れてきたようだ。


「では、ほどほどのときに眠らせていただきます。おやすみなさいませ、ギイ様」


 イズーは薪のほうを向き、小さく呟いた。


 炎があがり、たき火になる。魔法剣士は本当に便利だ。


「おやすみ」



 ギイは地面に寝転がった。

 周囲から焼けた草の匂いがする。寝心地は悪いが、今日は疲れているので、すぐに眠れそうだ。


『アリシアも、おやすみ』


 返事はない。アリシアは傍らで、すでに丸くなって寝ていた。


(夜行性だって言ってたくせに、やっぱり夜も寝るのか)


 魔素の吸い込み過ぎで、満腹状態になったのかもしれない。

 その様子を微笑ましく見ていたとき、ふと視線に気づいた。



 炎を挟んでイズーが、こちらを見ている。



 視線の先にいるのは、ギイではない。

 イズーはのだ。


 しかもギイに向ける温かみのあるものではなく、怪しいものを見る疑いの目――。



『イズーのことですが――私、ずっと気になっていたことがあります』


 ギイはアリシアの言葉を思い出す。



『私を見る目つきに、ときおりを感じます』



(――まさか……そんなはずはないよな?)


 イズーはギイの視線にすぐ気づいた。


 礼儀正しくギイに目礼したあと、アリシアから視線を外し、炎を見つめる。


 ギイはブランケットを頭からかぶった。


(イズーがアリシアに対して悪いことを考えているはずはない。アリシアは俺のペットだって紹介したし……。イズーは自分の馬を大事にする人なんだから、他人のペットに対して悪意を抱くはずがない)


 だがもしアリシアの正体を、聖女だと見抜いていたとしたら――。


(いまのアリシアは、どこから見てもタヌキだろ。いくらイズーでも分かるはずがない。気にしすぎだ)


 ギイは何度も自分に言い聞かせるが、心に刺さった小さなトゲは、一晩中消えなかった。

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