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これは私が体験した、本当にあったお話です。


このあたりの昔話に、「一歩(いちぶ)の田」というものがありまして。

■■谷から奥に入って行くと、深い山の中に突然、小さな水田が現れることがあるんですが、不思議なことに近くに民家は見当たらないし、そこに通じる道もない。

当然、誰が管理しているのか分からない。

そこから稲を持ち帰ると、その家の田んぼは翌年すごい豊作になると昔から言われていて、それもそのはず、これは山の神様の田んぼなんですね。


一歩の田は、別名をサンバイ田、エビス田とも言いまして、サンバイとは■■県北部では田の神様、山の神様を指す言葉で、いっぽうのエビスはご存じですよね。

一般には漁業の神様として有名ですが、このあたりではエビスは、山での豊作をもたらす神様なんです。


前置きが長くなりましたが、私、子供の頃に神隠しに遭って、半年ほど、その一歩の田の世話をさせていただいたことがあるんです。

その時のことはもうあまり覚えていないんですが、山の神様と暮らしている間は、不思議と家や両親のことを考えなかったし、帰りたいとも思わなかったですね。


私がこういう話をすると「山の神様とはどんな姿をしていたのか?」ということを、人からよく尋ねられるんですが、どう言えばいいでしょうかね。

あえて言葉で表現するとしたら、まっすぐな姿、とでも言うんでしょうか。


昔から神様のことは、ひとはしら、ふたはしら、と数えますよね。

もしかすると昔の人は神様を見ることができていて、お社に飾られた柱や縄といったものも、それになぞらえて作られた神様の似姿なのではないかと、私は思うんです。


このあたりにはヒルコ神社が多いんですが、ヒルコの手足のない姿も言い換えれば、まっすぐな姿であると言えますよね。

そうした理由から、学者の先生の中にはヒルコの正体を、同じくまっすぐな姿をした蛇だと考える方もおられるようですが、それもまったく当然のことです。

ヒルコは別名をエビスといい、エビスは山の神であり田の神、すなわち蛇ですから。

全ては異なるようでいても、同じ神様の現われというわけなんですね。


最後に、これは私が山の神様から聞かせていただいたお話なんですが、ヤマタノオロチというのも、氾濫して枝分かれした川のことではないか、なんて世間では言われますが、本当はそうではないんですよ。


ヤマタノオロチとは、山田のオロ地。

山田とは「山」の「田」んぼであって、「オロ」と言うのは、このあたりの言葉では「さびれた」とか「日陰」とかいう意味なんですね。

ですからヤマタノオロチというのは、山の神様のことを卑しめて呼ぶ、とても悲しい言葉なんです。


私もあまり先は長くない身ですが、死ぬ時は山で死にたいんですよね。

それで、できればまた山の神様と一緒に暮らして、あの一歩の田のお世話をさせていただきたいと、それだけが今はただ、私の望みなんです。


お聞きいただき、ありがとうございました。

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