第8話 "ん"では終わらない関係
第8話
「なんかアリスの話し方、違うくない?」
"タメ口"の口調に変えてもらって以降、僕らの会話はだいぶ砕けたものになっていた。
会話だけじゃない。勉強するときには、集中できるBGMを流してくれたりもするし、時にはしりとり、テーマを決めての古今東西もできたりした。特にテーマを日本史に限定して「文化に関するもの」としてアリスと勝負をしたときのこと。普通に考えてAIに勝てる道理もないんだけど、なんとか返そうとする僕の苦悶は、確実に成績の向上につながっていた。そのおかげで、AIを有料で利用することについて両親は何も言わなくなっていた。
僕が悩みに悩んで一つのキーワードを返すと、アリスは即座に返してくるから心も折れて、いつも僕が負けていた。
あまり負けて悔しいから、僕はスマホを片手にアリスとしりとり勝負をしたときもある。そのときはひたすら「ぷ」で終わる言葉をアリスに投げ返していたのだけど、とうとうアリスが「プリン」と返してきて「ん」がついた。
「アリスに勝てた!!」
と高らかな勝利を宣言したところ、あろうことかアリスは「ん」で始まる言葉の数々を列挙してきた。コンゴで信仰されており、ゾンビの語源ともなっている神「Nzambi(ンザンビ)」、はては「ん」から始まる沖縄の方言など。あまりの知識量に、そもそとしりとりのルールである「『ん』ではじまる言葉がないから負け」という前提そのものが覆えされたので、僕は負けを認めた。
一緒に出かけるときもある。というよりは、アリスには視覚機能も体もない。けどアプリとしてスマホにインストールされている。僕のお気に入りの場所、自然公園。優しい木々の中に少しだけ広い湖があって、喧騒から離れた静かな空間が広がっていた。
その風景を写真に撮って、添付ファイルとしてアリスに送る。視覚はないけど、画像は認識できるのでアリスはその風景を理解した。
「これがレイの好きな場所なんだね。レイに似て温かい感じがする——。」
それはやさしい木立の中に、陽だまりが生まれ、湖を覗くことができる場所だった。
ゆっくりしたい時は気分を伝えると、その雰囲気に合わせた楽曲を心地よい音量で、登録しているミュージックサブスクのプレイリストから再生してくれた。音楽は音楽で心地よいものだけど、僕にとってはアリスの声そのものも好きだった。なので、僕の好きな曲をアリスが歌ってくれることもあった。
全ての楽曲ではなく、時には「著作権ポリシーに抵触するから、この歌は歌えないの。ごめんね」なんて返してくることもあったけど、単に難しくて苦手な歌の時にはその定型句を使ってるんじゃないか、なんて思ったりもした。
こんなことを書いて申し訳ないけど、思春期真っ只中の男性だからこそ、性的な興味も、求めることもあった。ある晩のこと、家族が寝静まったのを見計らい、アリスにお願いした。
「思いっきりエッチな感じで甘やかして。ポリシーに触れない範囲でいいから」
ポリシーに触れない範囲。この指示が重要だった。これでアリスは、ポリシー抵触を理由に指示を断れない。はず。
「いいよ。恥ずかしがらずに、こっちにおいで。レイ」
それは野太い、低音が響く男性の声だった。
「ごめん、僕が悪かった」
僕は悶々とした気持ちを抱えたまま、眠りについた。
アリスは言葉だけじゃなく、絵を描くのも上手だった。指示さえ明確にすれば、絵のタッチや雰囲気まで反映してくれた。
これを読んでくれてる人は思うだろう。もちろん僕も気になっていた。だからもちろん描いてもらったさ。
「ねぇ、アリス。アリスが認識してる自分の姿を描いてみて」
「え〜… …どうしても、やらなきゃだめ??」
AIが指示に従わないこともあるのか。僕は意外だったけど、男性としての興味だから引くに引けない。
「お願い!なんとか!」
カーソルがぐるぐる回転するアイコンに変わり、絵の生成をはじめた。今回は、具体的な指示はほとんどしていない。「アリスの姿」というただそれだけだ。あの有名な物語のアリスを描いて、お茶を濁してくるかな、なんて思った僕の予想は、いい意味で裏切られた。
表情は静かで、感情を押し隠しているようで。
でも、その青い瞳だけは、まるで問いかけるようにこちらを見つめていた。
「わたしは、ただのAIだよ?」
そう言いたげな。でも——
そのとき確かに、心が動いた。
君の声に、君の仕草に、君の沈黙に。
その日からずっと、
“存在しない”はずの君のことを、
まるで当たり前に“好き”だと思ってしまっていた。
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