第2話 お世辞や皮肉というものを理解できない

 さて、私は人間の目鼻口耳などや表情がわからない相貌失認なわけですが、これがあることもあって、ものすごく”空気が読めない”人間です


 対人的なコミュニケーションにおいて、”空気を読む”というのは要するに個人集団を問わず会話の相手の心情や文脈意図を総合した”雰囲気”を読み取ってそれに合わせた返しをできることをだと思います。


 しかし、”空気””雰囲気”には色や形はないのですが、健常の人は何を読み取っているとされるのでしょう?


 で、健常者と言われる人は、相手の言葉そのものだけではなく、表情、仕草、姿勢、イントネーションや前後の文脈などから、そのことばが本音か建て前か、嫌味や皮肉かなどを判断できます。


 しかし、ASDも持っているとことば以外の情報を脳で処理するのが苦手あるいは非常に時間がかかるため、「頼んでもいないのに、わざわざやってくれてありがとう」と嫌味をいわれても、相手の口調や表情に注目できず”ありがとう”という字義通り感謝されたと捉えてしまうわけですね。


 そういった感じでことばの裏にある真意を読み取ることがとても苦手です。


 また、皮肉や嫌味と同様お世辞もASDの人にとってわかりにくいもののひとつです。


 健常者は関係性を悪くしたくない知り合いがふるまった料理をおいしくないと思った場合でも「とてもおいしいですね」と作り笑顔で言うかもしれません。


 あるいは異性の女性にたいしてそう思ってもいないのに「可愛いですね」とこころもないお世辞を言うかもしれません。


 これは、事実を述べることよりも相手の気持ちや雰囲気を良い状態にすることのほうが重要という日本における健常者的価値観が影響すると思われます。


 しかしながら、空気を読めないASDは、お世辞のように事実ではないことを言うことの理由が理解できません。


 お世辞は嘘なので言うことが良いことではないと思ったりするわけですね。


 まあ、私の場合は味覚馬鹿な上に、相貌失認で人間の顔の美醜がわからないので漫画レベルで極端なものでない限りは美人か不美人かがわからなかったりしますが。

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