救われるべき、世界。

「今日は軽音楽部に行くわよ!」

 一昨日とほぼ同一の口調で月宮さんはそう宣言した。それと同時に彼女は私の肩に手を置き、自分を鼓舞するように小さく片手でガッツポーズをする。

 これもほとんど毎日見ている仕草。面白かった映画の二回目の鑑賞時のように、細部が微妙に記憶と違うというだけの変化しかなかった。

 私はよっぽどタイムリープでもしてるのかなとも思った。いや、宣言内に出てくる部活名が違うから、多分大丈夫だ。

 ……いやいや待てよ。実は本当に、あるいはバタフライ効果的な“何か”が作用して目的地が微妙に変わっているのかもしれない。

 なんてことに気がついてしまったんだろう。それが事実だとしたら大問題だ。一刻も早く、この繰り返しの中で月宮さんを何かしらの部活に入れなければ。さもないと色々な小難しい現象が連鎖発生して、なんだかんだあって最終的にこの世界が滅んでしまう。

 このまま軽音楽部に行くのを食い止めて、フォークソング部に行ってみるというのはどうだろう? それで何かが変わって、この残酷な結末に至る筋道すじみちを変える事が出来るかもしれない――

 ……私があらゆる現実的な条件を取り払って、限定された思考の一部という極めて狭い範囲だけで通用する、非常に高度な「」をしていると、もう部室は目の前だった。くだらない遊びをやめた私は、月宮さんの後に続いておずおずと部室に入った。


 体験入部のメニューは演劇部の時とほとんど同じだった。まずは実演――つまり、バンド演奏を聴いてほしいということだった。

 体験入部生は私と月宮さんを含めて12人もいた。例によってまた永良ながらさんの姿もあった。部員の一人が言うには連日このくらいの人数がやって来るらしい。流石、軽音楽部。

 私達は部屋の中央に横一列に並んだ。私は一番入り口に近い方の端っこだった。

 バンドは5人構成――ボーカル兼ギター、ギター、ベース、キーボード、ドラムの5人。

 部屋のかどにあるドラムセットに男子部員が座り、何やら色々叩く所を調整している。その前ではギターを持った男子とベースの女子、キーボードの男子がそれぞれ大きな機材に線を接続したり、音量調整したりしていた。

 ……どうやら準備が整ったらしい。ギターボーカルの男子が小さくギターをかき鳴らしながら、情緒たっぷりな調子でマイクに向かって言った。

「今日は軽音楽部に来てくれてありがとう……」

 私がその生徒から受けた第一印象はシンプルだった。シンプルに、本当に現代の人物なのかという疑問。

 もじゃもじゃパーマの長髪。多分、50年前くらいのいわゆる“アウトロー”の髪型と思われるやつ。せたジーンズ、革ジャン、危ない薬、自由と平和。

 タイムスリップ――またしても時間関係の何かを疑った。

「それじゃ、楽しんでってくれ。一曲目は――」

 その瞬間、部室の入り口が大きな音を立てて開いた。何事が起きたのかと私達は全員、音の出た方向を急いで振り返った。

 果たして扉の前には、凄まじい表情で仁王立ちする男子生徒がいた。ギターボーカルの男子より更に長い髪の持ち主で、髪の先が肩にまで至っている。そして何故かアコースティックギターを抱えていた。

 初めは予期せぬ乱入者にきょとんとしていた私達だったが、次第にそれは緊張感に変わっていく。激しく眉根を寄せ、目を爛々らんらんとさせた彼の面持ち――何やらただ事ではないらしい事を私達に悟らせるには充分だった。私の隣にいる月宮さんがごくりと喉を鳴らした。この男子は今、溢れ出る怒りの体現者なのだ。

 次に何が起こるのか、私達は息を呑んで見守っていた。長い沈黙が続いた。ついに乱入した男子は大きく叫んだ。

「ロックに魂を売った、裏切り者め!」

 その一言だけだった。それから彼は私達に向けて、糾弾者きゅうだんしゃのように鋭く人差し指を突きつけた……いや、正確には私達の後ろにいるギターボーカルに向けて。

 すると、背後から小さくギターをかき鳴らす音が聞こえた。私たち体験入部生は慌てて音の方を見やる。ギターボーカルの男子だった。彼はクリアトーンのまま、ひとつのコードを小さくゆっくりと鳴らし続けた。そして表情一つ変えないままに、こう言った。

「俺は、信じないね」

 私達は反応を見ようと乱入者の方を振り返った。彼は何も言わなかった。その間もエレキギターの音色は鳴り止まない。

「おまえは、嘘つきだ」

 再びギターボーカルが何か言い出したので、私達はまた振り返る。彼らは、体験入部生を挟んでイデオロギー的闘争を繰り広げているのだ。フォークソングとロックンロール――フォークを愛した男と、フォークを捨てた男との戦い。

 やがてギターボーカルの男子は、ギターを鳴らしながらひるがえってバンドメンバーと対面する。にやりと口角を上げ、うなづき合う彼ら。ギターボーカルは大声でこう宣言した。

!」

 様々な意味のこもっているであろうその一声を皮切りに、演奏が始まる。文字通り、とてつもなく大きな音量で。曲はボブ・ディランの『ライク・ア・ローリング・ストーンズ』だった。

 スローペースで、噛みしめるような演奏――隣の月宮さんは両の目を輝かせて、食い入るように彼らを見つめていた。

 ……これ、ボブ・ディランのドキュメンタリー番組で見た事ある流れそのものなんだけど。

 本当に何なんだこれ。


 部室近くの渡り廊下から中庭に出た私は、そこにある自販機で買ったカフェオレを飲んでいた――というのも、全体的にいよいよ勘弁して欲しくなったので、ライブが終わるまで外で待つことにしたのだ。

 演奏は部室から少し離れたここまで聞こえてくる。「How does it feel(どんなだい?)」という歌詞が風に乗ってここまでやってくる。まるで歌に追いかけられているようで、私はなんだかなあというにさせられた。

 私がぼんやり時間を潰していると、ふらふらとした足取りで小柄な女子生徒がやってくる。彼女は手荷物であるカバンとピンク色のプラスチックケースを自販機の横に置いて、コーラを買った。それから私から少し離れた位置に立ってそれを飲み始める。

 永良さんだった。どうやら彼女も部室を抜け出してきたようだ。

 私は彼女の事をあまり意識もせず、最近始めたソシャゲの簡単なデイリーを消化していた。何ともなしに時間が過ぎていく。その間にも相変わらずバンドの“やかましい”演奏が聞こえてくる。

「あいつ、一人にしていいの?」

 抑揚の希薄きはくな、非常にな声が私の耳に入ってきた。スマホの画面から目を離して、ゆっくりと音の発信源を見やる。私の視線は永良さんに辿り着いた。彼女の無気力そうなジト目が、私の目に留まる。

 ……あ、私に言ってるのかこれ。まさか彼女に話しかけられていると思わなかった私は、状況を把握するのに少し時間がかかった。私は「月宮さんなら大丈夫だよ」と応えた。

「あの曲6分くらいあるし、感情もり過ぎてて、原曲よりゆっくり演奏してたから……あれだけで10分くらいかかるんじゃないかな。少し時間潰したらまた戻るよ」

「あっそ」

 永良さんは興味があるのか無いのか良く分からない調子で言った。私はカフェオレの最後のひと口を飲み干して、ゴミ箱に捨てた。その時ふと、彼女の足元に置いてあるプラスチックケースに目が留まる。私はそれをどこかで見たことがあった。けれど、あと少しの所でそれが何だったか思い出せない。

「そのピンク色の――それ、何?」

 私が興味本位で尋ねると、永良さんは自分の足元を見やった。

「……これ? ピアニカ」

 あぁ、思い出した。懐かしいなあ。小学生の頃、持たされてたっけ。ん? でも、どうして――

「なんでピアニカ?」

「……体験入部用。前々から今日、軽音楽部行くって決めてたからさ。ちょっと気合いれて家からなんか楽器持ってこようかね、って思った訳」

 そう言って彼女はコーラをひと口飲んだ。

「そしたら家に楽器、これしか無いじゃんね」

「で、一応持ってきたと?」

「念の為、ね」

 ……話はよく分からなかったが、これはきっと彼女なりの自分に対する決意表明なのだろう。永良さんも月宮さんのように、新しい生活で新しい自分を見つけようと考えたのかもしれない。私は彼女に少しだけ興味が出てきた。

「私と月宮さんも大分だけど、永良さんも色々部活見て回ってるよね?」

「そうだねえ」

「入ってみたい部活あった?」

「なんかねえ」

「何か好きな事とか、それに関係ありそうな部活、無かった?」

「どうかねえ」

 ……ナンダコイツ。あまりにも取っ掛かりが無いし正体が掴めない。まるでとでも話しているような感覚だった。永良さんはニヤニヤしながら言った。

「今、か何かと会話してるみたいな気分になったでしょ?」

「……良く分かったね。は無いけどはある、みたいな」

 私がそう言うと、二人ともしばらく無言になった。遠くから聞こえていた演奏が少しの間止まり、続けて別の曲を演奏しだした。


 あと5分くらいしたら部室に戻ろうかな。そう考えて、私はまたスマホの画面に意識を戻した。ゲーム画面を開いて、ひと手間だけで終わりそうなソシャゲのデイリーを探す。

 画面を指でタップしながら考えていたのは、月宮さんの事だった。

 どうしてあんなに部活に入りたがるのか、私には良く分からなかった。たしか彼女は以前「何者にもなれない」事への嘆きを口にしていた。それが彼女を突き動かす原動力なのか、あるいは全然別の理由がそうさせているのか――いずれにせよ、少なくとも部活に入らない事が「何者にもならない」事につながる訳ではないように思えた。中学生ならともかく、高校生でバイトも部活もやっていない人なんていくらでもいるんだし。

 そんな風に月宮さんの事を考えていると、ふいに懐かしい音が聞こえてきた。聞き慣れた、うんざりするような、そんな思い出深い音色。

 ピアニカだった。スケールも何もあったものじゃない、雑多な音の羅列がひかえ目かつ断続的にやってくる。あたり前だが音の出どころはすぐに分かった。私は姿勢をそのままに顔を少しだけ動かして音の鳴る方を向いた。

 やっぱり永良さんだった。彼女はしゃがみこんでピアニカを鳴らしていた。彼女が小柄なのもあって、その様子は本当に小学生が、下校途中にふざけ半分で演奏しているようだった。

 しばらくするとピアニカの音色が、いつの間にやら規則正しく整列し、ひとつの楽曲を奏で始めている事に気がつく。

 永良さんは単音でビリー・ジョエルの「ピアノマン」のイントロを演奏していた。音の繋がりが滑らかで、若干上手かった。何とも言えない気分になった私は、しばらくそのノスタルジックな音を聞きながら、デイリーをひとつ消化する。

 私がスマホをしまって自分のカバンを手に持ったときには、もう彼女も帰り支度をしていた。

「私は軽音楽部の部室に戻るよ。永良さんは?」

「帰る」

「せっかくだし、一応最後まで見学していけば?」

 私がそう打診すると、彼女はかぶりを振った。

「いや、いい。もともと体験入部、暇つぶし目的だし。何なら部活、入る気無いし」

 そう言って彼女は気だるげな足取りで私から離れていった。

 ……え、じゃあなんでピアニカなんて持ってきてたんだ? なんで今ちょっと演奏したんだ?

 本当に、訳が分からなかった。


 部室に戻ると演奏はまだ続いていた。さっきとは違うバンドだった。今度はバンプ・オブ・チキンの「プラネタリウム」を演奏していた。

 やたら前髪の長いギターボーカルだった。皆が、その繊細でどこか影のある歌声にとりこになっていた。

 このしっとりとした空間の中では、涙を流すオーディエンスが多数だった。月宮さんはその中でも特に強く感化されていて、その様子はもはや号泣と言えるほどだった。

 音楽が世界を救う日も、そう遠くないのかもしれない。

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