第52話:騙された巫女――顕現

「待ってて、オクシト」


暗闇の中で、遠く、澄んだ声が響いた。


――ああ、来てくれたんだね。

  それでいい。全ては、そのために整えられていたのだから。


視界が真っ赤に染まる。

強烈な光が瞼を通って、血管の網が見える。


残された力を振り絞って、目を開ける。

全てを賭けてでも、すべき行動だ。


「無理しないで、目は閉じていて。いまは回復に集中だよ」


――とてもいい子だね、アマヤ。


彼女の後頭部の水滴型の光が、脈打つように明滅する。

識心が精緻に編まれ、オクシトの胸に置かれた手から、静かに注がれていく。


「……ありがとう」


掠れた声が漏れる。

けれど、それは幸福そのものの響きだった。


ぽつぽつと、温かな涙がオクシトの頬に落ちた。

いまのアマヤの涙には、識心が宿っていた。


「オクシト、良かった……わたしのために、こんな……ごめんね」


「……もう無理は……するな……俺は……」


「黙って、目を閉じて。わたしが……全部癒すから」


彼女の後頭部の光が、ますます強くなっていく。

オクシトの意識は朦朧とするが、それでも目を開け続けた。


彼女を見つめること――それが最後の使命だった。


「……アマヤ……」


「お願い、もう話さないで……」


その声には祈りがこもっていた。


「……アマヤ……愛してるよ……」


その瞬間、彼女の瞳が見開かれた。

輝きが限界を超え、意識が彼方へと弾け飛ぶ。


表情が消え、体がふっと崩れるように力を失う。

次の刹那、光が爆ぜ、音もなく霧散した。


どくん、と何かが脈を打った。


アマヤの体が、内側から膨れ上がる。

皮膚が裂け、血と泥にまみれた服が破れ、淡い肉体の輪郭が一瞬だけ現れた。

だがそれはすぐに、ぶよぶよとした無定形の肉塊に変貌していく。


「よくやったよ、アマヤ……」


それは祝福の声だった。

人としての限界を超えた識心の奔流が、魂の柵を破壊した。

巫女は器を捨て、原初の神の降臨を可能にした。


「それでこそ、巫女だ……ありがとう」


そして――その膨れ上がった肉塊が、オクシトを押し潰した。

身体は一瞬で圧壊し、魂が識心の渦に引きずり込まれていく。


そこに、もはや光はない。

黒く沈んだ霧のなかで、オクシトの魂は軋み、むさぼり喰われた。


識心空間に、引き裂かれる魂の断末魔が響く――


それがオクシトの最後の祈りとなったが、

そんなものは、原初の神にとって何の価値もなかった。


◆◆◆


――なにが、起こったの?


アマヤは、自分が誰かもわからなかった。

ただ「ある」だけの意識で、ぼんやりと世界を感じていた。


地面が、遠い。

めちゃくちゃに壊れた街。

まわりに、たくさんの人の気配――近くにいるあの人は、誰だっけ?


――気持ちがいいな。


すっきりと、胸の奥まで澄み渡っている。

長いあいだ背負っていたものを、ようやく下ろせたような。


……わたしは、なにをしていたんだっけ?


心の奥に、小さな刺のような違和感。

それがじわじわと広がり――あっという間に、すべてが戻ってきた。


生まれてから、ついさっきまで。

記憶が洪水のように押し寄せる。


さらに遡る。

幾千もの季節。

人々の営み。命の軌跡。


――ずっと、見ていたのね。


見抜かれ、追い詰められていく。

識心を自在に操る者たち。

あんな使い方、想像すらしなかった。


黒茶色の円盤。

降りてきたのは、見たことのない種族。

湖の巨人に似ていて、けれど肌は青くなかった。


そして、おだやかな闇が訪れる。

たゆたい、照らし、抱くような。

子どもたち――時間は、無限にある。


――なんてこと……


アマヤは、涙を流していた。

その頬をかすめ、黒い馬が駆け抜ける。

彼女はその尾を掴み、光の粒の奔流へと身を投じた。


そこに、いた。


――あなた、だったのね。


世界を照らす光。

いつでも空にあって、なくなるなんて誰も思わない。


すべての父にして、母なるもの――

太陽が、そこに居た。


アマヤは、燃える塊を見つめた。


すると空間が、音もなく収縮をはじめた。


そして――


さいごの光が消えた直後、裏返った。


『ぎいいやあああああああ!!』


突然、名状しがたい苦痛に襲われて、

アマヤは獣のように叫んだ。


魂を蝕まれる苦しみに我を忘れて、アマヤは暴れた。

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