第38話:闇を払って、炎の巫女を追え!

ナティラは、心の大切な場所を守って戦っていた。

しかし、抵抗はほとんどできなかった。


振り回した手足を闇が絡めとり、床に押し付ける。

得体の知れない存在が、身動きできないナティラにのしかかってきた。


「助けて、誰か!……ルスカ!」


このまま侵入されて、自分を保てる自信はなかった。

なりふり構っている場合ではない。


ナティラは、これまでの人生で培った全てを投げ打って闇に抗った。


幼い頃に両親と食べた夕食の味。

父が持ち帰った遺物に初めて触れたときの驚きと不思議。

神殿に見習いとして入って仲間と過ごした日々。

美しく、しかし悲しい目をした少女ルスカとの出会い。


異形は、それらをじっくりと味わい、食らった。


悲しみで胸が張り裂け、血と臓物が飛び出した。

ナティラはもはや、自分の形を保つことが出来なかった。


ついに、諦めがやってきた。


体も心も魂も、抵抗をやめた。

ただぐったりと、時が終わるのを待つ。

そこまでいけば、あとは無だ。楽になれる。


闇の深さと幻想の甘さに、飲み込まれていく。

体が沈み、頭が沈み、もう片腕の肘から先しかこの世界に残っていない。


その手を――熱風が撫でた。

闇を払い、影を消し、澱んだ空気を焼き尽くす――

聖なる炎が、少女の姿で現れ、ナティラの手を掴んだ。


◆◆◆


ユリカが炎の塊となって、ヴォルトに突っ込んでいく。


俺は全身が鉛のように重く、まばたきすることもできない。


――なにが起こっている?


いまは俺――景山ナレは、自問し、ただ見ているだけだ。


ヴォルトが腕を下から上に振った。

床から影が壁のように立ち上がる。


だが、ユリカの炎は生き物のように影に襲いかかり、喰らい尽くした。

部屋の向こう側へと走っていく灰色の背中が見えた。


ユリカは床を蹴ろうとして、止まった。

そのまま振り返りもせずに跳び下がり、

キーマンを襲うナティラの顔面を、炎の拳で殴りつける。


その衝撃で彼女は吹き飛び、闇ごと床に叩きつけられた。

拳の炎がナティラの体を這いまわり、まとわりつく闇を焼いた。


頭の上に炎の形の光輝をいただき、少女がキーマンを見下ろした。

赤と金の髪が、炎と一体化して、ごおごおと逆巻いている。


「ユリカ……」


俺はなんとか声を出した。腕を伸ばして、床を掴む。

ユリカのところに行かなければならない。

理由は分からないが、魂ごと、そう確信していた。


しかし、


――くそう、寝てしまいそうだ……


気だるい午後の睡魔のような抗いがたい眠気に、俺は襲われていた。


仕事で疲れて帰った夜。

帰宅してベッドに倒れ込んだのなら、そのまま沈んでいけばいい。


だが、いまはダメだ。


――寝るな、戻ってこい、俺!


「ユリカ!!」


俺は叫んだ。

重い首を持ち上げて、炎の少女を見る。

その光輝が網膜に突き刺さり、眠気を払ってくれる。


ユリカは、まるで少女型の魔神のようだった。

そう見える理由は、その白目まで真っ黒な眼だ。


――「あれ」が、まだ中にいるんだ。


俺が出てしまって、「あれ」がいまはユリカを支配しているのだろうか。


でも――さっきユリカはキーマンを助けた。

ナティラにはちょっと乱暴なやり方だったけど。


「ユリカ、どうした?私だ、キーマンだ」とキーマンが呼びかけた。


ユリカはその声が聞こえたのかどうか、

ほとんど瞬間移動のように、爆発的なスピードでヴォルトの後を追った。


「ユリカ!」俺の声は届かない。


俺はなんとか体を起こして、ナティラのもとへ行った。

ナティラは、口から黒い泥のようなものを吐き出して、気を失っていた。


「お前はユリカを追え」そばに来たキーマンが言った。「ここは、わたしに任せろ」


その言葉が終わらない内に、四方から足音が聞こえてきた。

見ると、灰色の服を着た信者たちが武器を掲げて走ってくる。

中には、影を操る術者もいるだろう。


「でも――」

「弱音は認めないぞ」


キーマンに先手を打たれて、俺は黙った。

倒れているところからナティラのそばに来るまで、

数メートルの移動で、俺はフルマラソンのあとみたいに疲労していた。


――正直、少し休みたい。


こんな状況なのに、俺はそう思っていた。


「負けるな」

キーマンが俺の肩に手を置いた。


「ナティラはわたしが守る。お前はユリカを救ってくれ」


「……分かってるんだ。でも――体も、心も動かないんだ」


意志を振り絞ろうとするのだが、どうにもならない。

俺は悔しさのあまり、バキリと音がするほど歯を食いしばった。


「わたしの目を見ろ」


信者たちはもう、手に持った刃のきらめきが見える所まで迫っている。

輪唱のように響く、異様な唸り声も聞こえてきた。


しかし、キーマンは全てを無視して俺の顔をのぞきこんでいる。


俺は彼女の目を見た。


その瞳孔は、まるで底の見えない灰色の穴だった。

落ちたら助からないほどの高所にいる錯覚に襲われて、俺は息をのんだ。


落ちる、落ちていく――


次の瞬間、俺の体は雷に打たれたように反り返り、痙攣した。

目の奥で、ちりちりと何かが燃えているような音がする。


その感覚は首を通って心臓へ、そこから手足の先まで駆け抜けた。


気がつくと、さっきまでの重い倦怠感は消えていた。

爽やかな朝のようにとまでは言わないが、眠気と疲れは感じない。

この感じなら動けそうだ。


「邪気を払った」


目を丸くしている俺に、キーマンが言った。


「さあ、行け。お前なら道を切り開けるはずだ」


俺はキーマンにうなずき返し、ナティラの額に手を当てた。

そして、盾を構えて片手剣で切り掛かってきた信者の顔面に、掌底をぶち込んだ。

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