第31話:魔影の術と闇の再会

心都へと仲間を見送った者たちが、夜を待って地平線を見つめている頃。

アマヤは、地下の暗闇で膝を抱えて座っていた。


ダンジョンの壁には青い光の線が走っている。

その光と、オクシトが持ち込んだ遺物の灯具がこの場の灯りだった。


半眼の金冠の瞳はじっと動かないが、その輪郭はぼやけていない。

心の内では様々な思いが渦巻いているのだろう。


オクシトは地上への道を探りに行った。

その間、アマヤはダンジョン内の小部屋で体を休めている。


「……寄りかかっては駄目」


つぶやいた声は、すぐに壁に吸い込まれた。

あまりにも静かで、耳の奥で血管が脈打つ音が聞こえる。


この夜の出来事は、アマヤのわがままから始まった。

故郷の村を救いに行く、という意志はいまも変わらない。


そのはずなのに、自分は何をしているのだろうという思いが湧き上がってくる。

闇と孤独、それから深い疲れが、アマヤを蝕んでいた。


アマヤはかすかに首を振った。


そのとき――


カツン、と、何かが石床を叩く音がした。


身を強ばらせ、耳を澄ます。

もう一度。カツン、カツン。


――オクシトだ。戻ってきたんだ。


一瞬、そう思った。

しかし、すぐに違和感に気づいた。

この小部屋に続く通路は一つきりなのに、音がする方角が合わない。


アマヤは立ち上がろうとして――

遺物の灯りが、わずかに揺れた。


壁の継ぎ目から、何かが滑り出してくる。

音もなく、匂いもなく、黒い影だけが膨らんだ。


アマヤは息を呑んだ。


反射的に術式を編むが、そもそもこの部屋に水はない。空気も乾いている。

水の魔術は、この場所ではほとんど力を持たない。


影は壁、床、天井を這うように伸びてくる。まるで触手のようだ。


――探してる。


部屋の反対側へと逃れるが、影は部屋を包み込むように迫る。

アマヤは識心を練った。魔術は使えなくても、魔法攻撃への耐性を高めることはできる。


床を、影が走って来た。

アマヤは避けようとして、自分が動けないことに気づいた。

天井を周りこんだ影が、アマヤの影に触れている。


――影を捕まえられた!


全身を悪寒が走る。識心が動かない。

通路の先から足音が聞こえた。今度こそ、こちらにやってくる。


額に汗が滲む。いっぱいに見開いた目が血走っている。

それでも、少しも動かない。体が力の入れ方を忘れてしまったみたいだ。


「いたぞ」


男の声がした。アマヤの視界に黒装束が入ってくる。


「教団の技は影手と相性がいいな。俺も覚えるか」

「……お前。やはり、ついていくんだな」


二人目も全身真っ黒だ。どちらも黒い仮面を被っている。


「その話はあとだ」

「ああ。手はず通り、術者が来るのを待って、影を縛ったまま連れて行く」


ひとりが笛を口に当てた。何も音はしなかったが、おそらく合図だ。

そして男たちはアマヤをそのままにして、入り口の警戒を始めた。

無言の時間がただ流れていく。灯具の微かな揺らぎがなければ、時が止まったようだ。


(いまオクシトが帰って来たら、待ち伏せされちゃう)


いくら焦っても、体も識心も――動く?


目の端で、壁から滲み出していた影が崩れるように消えていくのが見えた。


すでに識心は練ってあった。

だから、術式は組み上げた瞬間に発動した。


「ぐっ!?なん……があっ!!」

「ぐああああ!」


男たちが、どちゃりと音を立てて床に転がる。

悲鳴を上げて動くたびに、両手両足の裾から大量の血が流れ出す。


アマヤは敵の体液を操り、内側から破裂させたのだ。


「ごめんなさいっ!!」


オクシトの灯具を拾って、アマヤは小部屋から駆け出した。


(禁忌の術を使った。もう、わたしは巫女には戻れない)


小部屋の先は短い通路で、すぐに広場に出た。


「オクシト!」


アマヤは思い切って呼んだ。

影が消えたのは術者が倒れたからだ。ならばそれをしたのはオクシトのはずだ。


「巫女アマヤ!」


オクシトが右の通路から走り出てきた。

黒装束の男が追ってくる。腕を振り上げて何かを投げようとしていた。


「……っ!」


その腕が、だらんと落ちた。

男は腕を押さえて倒れ、振り向いたオクシトが気圧銃で頭を吹き飛ばした。


「巫女、あなた禁忌を……」

「いいの。もう破ってしまったから」


アマヤは先を言わせなかった。


「行きましょう。地上へ出る道は見つかった?」


「上へと続く道は見つかりました」


そう言って、オクシトはアマヤの手を取って駆け出した。


二人は通路をいくつか過ぎ、先の見えない広大な空間にやってきた。


「ダンジョンを区切る大広間です。魔物に出会うことも多いですが、

  ここを抜ければ、教団の連中がうろつく区域から、ひとまず離れられます」


オクシトの言葉にアマヤはうなづいた。


「息を整えてください。一気に駆け抜け――」


ドッ――


鈍い音がして、オクシトの体がブレた。

アマヤはその直前に、空気を裂いて何かが飛んでくる音を聞いた。


「ぐッ――巫女、伏せて!」


オクシトの叫びと同時に、アマヤは地面に倒れ込んだ。


ヒュッ、ドッ!


ふたつめの攻撃がオクシトを襲う。


「なぜだッ……避けられない……!」


「未熟だな」


静かな声が響く。

通路の向こう、闇のなかから、影が一歩ずつ現れる。


それは、これまでに幾人も出会った黒装束の男だった。

しかし、これまでの者と違って仮面をしていなかった。


オクシトは返答しなかった。

アマヤを庇うように前に出て、構える。


だが――


ふわり、と、ロクヤが消えた。


アマヤの目にも追えなかった。

次の瞬間には、オクシトの背後に立っていた。


ブゥン。


振動音とともに迷いなく突き立てられる刃。

オクシトの体が、前へとよろけた。


「オクシト!」


「……巫女……た、逃げ……」


最後の言葉は、再びの振動音で断ち切られた。


アマヤはオクシトが倒れるのを待たなかった。

喉の奥で術式を編み上げ、禁忌の術を発動する。


そして――

ためらいなく、敵の腹部へと識心を送り込んだ。


しかし、識心は男の体へぶつかった瞬間、拡散した。


「恐ろしい術を使う。水の巫女とは再生を司るの存在ではないのか」


男は右手でアマヤの首を掴んで釣り上げた。

あの影に触れられたときのように、アマヤは識心を動かせなくなった。


「悪いがいったん喉を潰させてもらう」


「……ッ!」


ミチミチと首の骨が軋む。


(痛い、苦しい。でも、そんなのはいい。

  オクシト、いま治してあげるから……!!)


アマヤの金冠の瞳が光を放った。

後頭部から光が迸る。


「くっ、悪あがきを……」


ボッ!!


アマヤの目の前で、男の腕が吹き飛んだ。


男は悲鳴も上げずに腕を押さえて飛び退った。

その視線の先には――


アマヤは無防備に床に落ち、喉の痛みに耐えながら顔を上げた。


男が素早く身をかがめた。

その頭上を何かがかすめ、戻って行く。


そして、次の瞬間には、細く小さな黒い姿が男の目の前に現れた。


アマヤはすぐに、それが誰だか分かった。

森で別れたはずの、暗殺者の少女だった。

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