第25話:絶望の巫女、ダンジョンの救い手

アマヤが目覚めて最初にしたのは、自分の体の無事を確認することだった。


――なにもされてない。いまは、まだ。


次は、動けるかどうかの確認だ。


――だめ。動けない。


湿ったカビの臭い。それからこれは――薬草。

ランプの光が石の天井を照らしている。

影は微動だにしない。


台の上に仰向けに寝ている。手足は硬いもので台に固定されて、動かない。


アマヤは、空気中の水に働きかけるために呪文を唱えようとした。


――これも、だめ。


猿ぐつわを噛まされている。

それでも、まだ方法はある。術式は声を出さなくても編めるのだ。


しかし、喉を震わせて識心を動かした途端、脳の奥で痛みが走った。

どうやってか分からないが、識心を封じられている。


――これでもう、何もできない。


(……どのくらい寝てたんだろう)


最後の記憶は森を出てすぐの草原だ。


(みんな、無事に帰れたかな)


自分をさらった暗殺者を心配するなどおかしなことだが、自然にそう思った。


「誰かいますか?」と、声を上げてみる。


実際には、「んんんんんんん!」という呻き声が出ただけだ。


でも、その呻き声を受けて、頭の上の方で気配が動いた。

扉が開く音。空気が動く。鼓膜の奥に、微かな振動。


誰かが、小声で話しているのが聞こえる。


やがて、石の床を踏みしめる音が響いてきた。

自信のある、この場を掌握している者の足音だ。


――なにを聞く。最初に知りたいのはなに?


男がアマヤの横に立った。

フードの中から現れたのは、草原でヴォルトと名乗った男だった。


「言葉なき信者の会の礼拝堂へようこそ、巫女アウラニス」


口調は丁寧。状況が違えば、ごく普通の挨拶だ。

だが、いまは意味がまったく違う。


「あなたたちの目的はなんですか?」と、アマヤは聞いた。

もちろん、呻き声で。意味はおそらく通じていない。


ヴォルトはアマヤの眼をじっと見つめた。


「金冠の瞳。神秘的ではあるが、こうしてよく見ると異形だな。醜いと言っていい」


打って変わって冷酷な声。


「巫女、お前は『言葉なき信者の会』を知っているか?」


アマヤはうなずいた。

オクシトから聞いている。異形の神の復活をもくろむ秘密教団だという。


「そうか、心都の外にも届いているか」


と――


灰色の服の信者がヴォルトに近づいて、なにか耳打ちした。


……巨人の巫女……炎の巫女……


隠す気もないのだろう、気になる言葉が聞こえてくる。


「引き込め。触媒は多いほどいい」と、ヴォルトが言った。


平凡で無害そうな――それゆえに不気味な顔が、アマヤの上にかがみ込む。

彼は首筋に顔を寄せ、鼻を鳴らして匂いを嗅いだ。


「汗、潮、女……普通だな。しかし、お前たちが必要だ」


ヴォルトは顔を上げ、「動くぞ」と言って、出ていった。


(なにもできない)


アマヤは悔しさで涙が出そうだった。あまりにも無力だ。


すぐに人がやってきて、アマヤを台ごと持ち上げた。

天井が移動していく。


頭が下がって、揺れが大きくなった。


――階段だ。


空気が変わった。重く、濃い。

黒茶色の壁に、青い光の筋が走っている。地鳴りのように轟く風音。


どこにいるか分かった。強く印象に残っている場所だ。

心都を訪れた際に、何度か入ったことがあった。


――ダンジョンだ。


神がいない巨大な神殿。あまりにも深く、広く、魔物が棲みつき、ほとんどが未踏。

遺物による一攫千金を求めて、遺跡探索者が冒険を繰り返している。


――その奥でしかできない、何かをされる。


そう思った途端恐怖が湧き上がり、アマヤは平静さを保てなくなった。


「んんんんんんんんっ!!」


誰にも届かないことは分かっていた。

でも、叫ばずにはいられなかった。


体を動ける限り動かす。

台が揺れた。担ぎ手たちが動揺している。

運搬の動きが乱れ、台が階段の縁にぶつかって傾いた。


と、そのときだった。


――音が変わった。


激しく布が擦れ合うような音。

軽く、しかし確かな足音。


「触れるな――!」

「だれだ、まだ――」


怒号が響いた。信者たちの声だ。

その声が、途中で途切れる。


「うわっ、が――ッ!」


バシュッバシュッ――アマヤはこの乾いた衝撃音の武器を使う衛士を知っている。


何かが崩れ落ちる。続けて、ドン、と台ごと地面に叩きつけられた。


視界が激しく揺れ、思わず呻きが漏れる。

頭を打ち、痛みでかすむ視界の先に――ひとつの影があった。


逆光のなかに、見覚えのある顔が浮かび上がる。


「……オクシト……」


アマヤは唇を震わせた。


オクシトは、武器の空圧銃をホルスターに納め、無言のまま拘束具を確認する。

目が合ったとき、わずかに口元がやわらいだ。


「間に合ってよかった」


その声を聞いて、アマヤは涙をこぼした。


安心した。

けれど――

それだけではなかった。


その腕に抱き上げられた瞬間、

この人は、あのときのように、自分を守ってくれると思った。

――思ってしまった。


オクシトが立ち上がる。


周囲には四人の信者が倒れていた。

階段の先に、さらに灰色の装束が転がっている。


「もう大丈夫です、巫女アウラニス。私が連れ出します」


アマヤは、その胸のなかで揺られながら、遠ざかる信者たちの声を聞いていた。


◆◆◆


「治安が悪そうな街だな」と、俺はつい呟いていた。


底が青く色づいてきた夜空に浮かび上がる、高い壁と無数の尖塔。

心都は、まるで眠りについた巨大な怪物のように見える。


「ナレ、お前は鋭い。いまの心都は犯罪の都といってもいいくらいだ」と、ルスカが言った。


「水の神殿、撤退したんだろ。うちも引き上げたよ」

ユリカが言う『うち』とは、炎の神殿のことだろう。


――各神殿が出張所を引き払ったってことか。どんだけ危険なんだよ。


「言葉なき信者の会が潜伏するにはもってこいってことだよ」

ナティラが隣に来て言った。


「よし、ここからは隊を分ける。私の案は――」


闇に沈む都を望む小高い丘で、俺たちは最後の打ち合わせを始めた。

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