第8話

直『…ん…っ』

藤「…はぁ、…っ」



壁に押しつけるように唇を重ねると、意外な力強さで手を引かれた。人目を気にしたのか、それとも。

そのまま室内へ2人の身体がすべり込み、玄関先に崩れる。


抱きしめた背中の感触は、記憶の底に沈んでいた十代の頃とほとんど変わっていなかった。



藤「よし、ふみっ…」

直『は、ぁ…っ、藤く…』



上着はおろか、靴もはいたまま。

普段は必需品のはずのサングラスはもはや邪魔でしかなく、呼吸を継ぐわずかな時間も惜しむように、唇と舌を絡み合わせた。



直『…っ、ど、うしよ…俺…』

藤「………」



迷うような目に薄く涙が浮かんでいるのを見て、急に罪悪感に襲われる。突然やってきた俺のせいで会社を休ませるのは、確かにまずい。



藤「ごめん…仕事なんだよな」

直『あ…そうじゃなくて…秀ちゃんのこと。俺、今さら藤くんとこんなことしちゃ…』



瞬間、怒りとも嫉妬ともつかない感情がわき上がった。

升だと?どうしてこの状況で、他の男の名前を出す?


奪い取ろうとしているのは俺のはずなのに、升に対して気が咎めるような気持ちには一切ならない。何かがおかしい。



藤「…おまえが好きなのは、誰?」

直『えっ?』

藤「後から出てきて、おまえのこと横取りしようとしてるのは、俺なの?升なの?」



勝手な言い草だということは百も承知。

こんな詭弁を弄してまで欲しいものを掠め取る、そんな処世術しか身に付けていない自分に、内心嫌気がさした。



直『―――、』



絶句した由文から手を離し、「上がるぞ」と靴を脱ぐ。


キッチンに飲みかけのウィスキーがあるのを見つけた。

あいつが家で1人、晩酌をしているとも思えない。誰のために置いてあるのかと考え、苦々しさがこみ上げた。


栓を抜きながら玄関へ戻る。濃い香りの酒をビンから直接口に含み、床に座り込んだままの由文のあごに指をかけた。



藤「………っ」

直『…ふ、ぁ…はっ…』



一気に注ぎ込んだ。



藤「…、こぼすなよ…全部飲め」

直『…ん…っ』



瞳がトロンと揺れる。紅潮したような、否、本当に酔っているのか、どこまでが本気なのか。


もしかしたら…おまえ自身にもわかっていないのか?

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