三章 売られた戦争(ケンカ)は買いまっせ 其の三
同時分。敵に生じた混乱をいち早く察知したヒルデガルドは、湿地帯の方角に視線を投げながら破顔した。
「ガブリエラが来たのね!」
さすがに速いわ、と胸の内で同僚の手腕を讃えると、手にするサーベルを頭上に突き上げながら周囲の騎士たちに向かって声高に叫んだ。
「全騎に申し渡します! これより全面攻勢に移ります。タイガー騎士団との挟撃戦に入り、敵の軍勢を掃討されたし!」
次の瞬間、戦場に二種類の声が響いた。「おおーっ!」という気勢と「わわっ!」という悲鳴とがである。それまで時間稼ぎと体力温存のための戦いに撤していた女王軍が一転、猛然と同盟軍に襲いかかったのだ。
もともと戦いの経験と技量で勝る彼らである。タイガー騎士団に後背を強襲されて指揮系統が混乱しているところに、全力で攻めこまれたら同盟軍の兵士に抗する術はなかった。
どう戦えばいいかわからず、右往左往しているところを一刀のもとに甲を断たれ、頭を砕かれ、首を刎ねとばされ、馬上から突き落とされ、噴血をまきちらしながら次々と甲冑をまとった肉塊と化していった。
こうなると、もはや勝ち目なしと悟ったのだろう。一部の騎兵たちがたちどころに馬首をめぐらして逃げだすと、付き従っていた歩兵たちも慌てふためきながら踵を返し、それぞれ闇夜の中を散り散りになって戦場からの逃亡を始めたのである。
その動きは波紋のように同盟軍内に伝播し、時おかずして大量の逃亡者を産みだすまでにいたった。フランソワーズが看破したとおり、まさに烏合の軍勢であったのだ。
一方、兵士らが逃亡しだしたことを伝え聞いたクレメンス将軍を目玉をむいて仰天し、
「ば、馬鹿者! 逃げるな、踏み止まって戦えっ!」
血相をかえてそう怒鳴ってみせたところで、喚声と悲鳴とが交錯する戦場にあっては聞こえるものではない。もっとも、聞こえたところで引き返してくる者はいなかったであろうが。
この時点でなお決死の覚悟で戦っていたのは、将軍の護衛をつとめる直属の部下百騎余であったのだが、クレメンス将軍はそのことに気づいていない。
気づいていたのは部下たちのほうで、口々に戦場からの撤退を指揮官に進言した。
「閣下、もはやこの戦に勝ち目はございませぬ。ここは速やかにブルーク城にまで撤退すべきかと存じます!」
「左様! 城内には二百余の兵士にくわえ武器も食糧も十分にございますれば、ここはひとつ籠城し、国都からの援軍の到着を待つのが吉かと!」
部下の進言を受け容れるだけの理性が、まだクレメンス将軍には残っていた。
うなり、悔しがり、歯がみしつつクレメンス将軍は撤退の命令を下すと、自らも護衛の騎兵らに守られながら湿地帯に広がる闇中に消えていったのである。
そんな一団の逃げゆく姿を、フェニックス騎士団に所属する騎士の一人が偶然見とがめ、すぐさま指揮官たるヒルデガルドに報告した。
その一報にヒルデガルドは追撃の指示を下すと、あわせてフランソワーズのいる本陣に伝令の騎士を走らせた。
「おそれながら女王陛下にご報告申しあげます。敵はわが軍の挟撃の前に戦場から逃走いたしました。お味方、大勝利にございます!」
伝令の騎士の報告に、ランマルを含め本陣に詰めていた兵士たちから歓声があがった。
その中にあってただ一人。サーベルの剣環に手をおいたまま無言を保っていたフランソワーズは、やや間をおいてから伝令の騎士に問うた。
「それで、敵主将クレメンス将軍はどうしました?」
「はっ、残念ながら討ち漏らしたとのことにございます。おそらくはこの闇夜に乗じてブルーク城に逃走したものと思われます」
すでにヒルデガルドが追撃の準備をしていることを騎士が告げると、フランソワーズは微笑まじりにそれを制した。
「追撃は無用とヒルデガルド将軍に伝えなさい。もはや敗軍の将などに用はありません」
そうフランソワーズは笑い捨て、続けて命じた。
「四騎士団長に通達。敵兵の残存を掃討した後、この本陣に集結するようにと。それをもって本作戦の終了とします」
伝令の騎士が天幕内から駆け出ていったのを見計らい、ランマルが昂揚した声をフランソワーズに向けた。
「うまくいきましたね、陛下」
「当然じゃない。誰が作戦を考えたと思っているのよ」
フランソワーズは得意顔で胸をそらし、表情そのままの語調で続けた。
「一戦して敵の力量を探り、その出鼻をくじくという当初の目的は果たしたわ。あとは国都への征路に着くのみよ。ランマル、その準備を整えておきなさい」
「かしこまりました。しかし、主将たるクレメンス将軍を討ち漏らしたのは残念でしたね。どうやらブルーク城に逃げこんだようですし。かの将軍が健在なうちは城を放って進軍させるわけにもいきませんし……」
もはや敗残兵など放っておいてもいいだろうが、進軍した後に後背で蠢動されては何かと厄介である。ここは城を確実に陥して後背の憂いを断ちたいところだが、敵の大将たるクレメンス将軍が健在であるかぎり、やすやすと城が陥ちるとも思えない。
そうランマルが懸念を漏らすと、フランソワーズはなにやら含みのある笑みを浮かべ、
「心配ないわ。わてにちゃんと考えがあるから」
「お考えがあると?」
「そうよ。数日のうちにもブルーク城はわが軍のものとなり、ついでにクレメンス将軍の生首とも対面することになるでしょうね。それも味方の血を一滴も流さずにね」
わずかな沈黙をおいてから、ランマルはうやうやしく低頭してみせた。根拠のない大言を吐く主君をもった憶えなど、彼にはなかったのだ。
事実、フランソワーズの「予言」は、これより五日後に現実のものとなったのである。
††††
「あれがブルーク城ですか……話に聞いていた以上の要害ですね」
遠眼鏡を覗きこみながらランマルは、慨嘆めいた声を漏らした。
ランマルが遠眼鏡越しに望む先には一つの城があった。この地における同盟軍の本拠たるブルーク城である。
あのウェミール湖での夜戦終了後、湖畔に設けた本陣で丸一日休息をとると、フランソワーズは敗走したクレメンス将軍らが立て籠もるこのブルーク城へと進軍させた。
そのブルーク城は、四方を遠方まで見はるかすことができる高い丘陵の上に建ち、周囲を灌木の繁みに囲まれているまさに要害で、長期的に見れば攻略は不可能ではないだろうが、短期的には容易でないようにランマルには思われた。
くわえてランマルの不安はそれだけではない。湖での戦いでまさかの(と彼らは考える)大敗北を被った同盟軍は、難攻不落とも言われるブルーク城に立て籠もったが、その狙いが国都からの援軍にあることは明白である。
彼らにしてみれば、城内には食糧もある。井戸もあって水にも不足しない。となれば後はひたすら城に引き籠もって、援軍の到着を待てばいいというわけである。
このまま包囲するだけで時間を費やしていれば、いずれ国都から駆けつけてくるであろう援軍と挟み撃ちにされるのではないか。それをランマルは危惧していたのである。
そんな側近の不安な心情を感じとったのか。傍らで同じように城の遠景を眺めていたフランソワーズは愉快そうに微笑し、
「あいかわらず心配性ね、お前は。まあ見てなさいって。それよりもペティを呼んでちょうだい」
「ペトランセル将軍をですか?」
「そうよ。彼女に頼みたいことがあるからね」
それからほどなくして、甲冑姿のペトランセルがフランソワーズの宿営にやってきた。
「お召しにより参上いたしました、陛下」
片膝をついてかしこまるペトランセルを椅子に座らせると、フランソワーズは話を切り出した。
「そなたを呼んだのはほかでもないわ。これを城の中に矢で投入してもらいたの」
そう言ってフランソワーズがペトランセルに手渡したのは、一枚の紙片であった。
そこに書かれてあった文面を目にしたとき、ペトランセルは軽く目をみはった。
「これは……?」
「わかるわね? これを大量に城内へ投入してくれるかしら。そなたの弓の腕であれば、城側の矢手の射程外からも投入することは可能のはず」
「むろんにございます。では早速……」
うやうやしい一礼を残して、ペトランセルは宿営から出ていった。悦に入った独語をフランソワーズが漏らしたのは直後のことである。
「フフフ。あとは城内にいる小魚たちが餌に喰いつくのを待つばかりね」
同時分。ブルーク城内では城主であり司令官であるクレメンス将軍が、城の大広間に幕僚だけではなく下級兵士らも集めて熱弁をふるっていた。
「この城は天然の要害。女王軍がいかなる小細工を弄しようとも、決して
将軍の檄に、幕僚や兵士たちは「閣下の言うとおりだ!」「救国王侯同盟万歳!」と口々に気勢をあげたが、すべての将兵がクレメンス将軍らと意志を同じくしているわけでもなかった。
「何が籠城だよ。こちとら、あんたらと違って好き好んで女王に弓引いたわけじゃないんだよ。勝てばいいが、もし万が一にでも負けたら、王家に弓引いた賊兵として処罰されるんだぜ」
秘かにそうつぶやく者もいたが、かといって城を捨てる者はいなかった。城内ではいまだに戦意と憎悪をたぎらせている者のほうが多かったし、なにより城外には女王軍が十重二十重の包囲陣を敷いている。下級兵士として否応なく戦いに駆り出された身とはいえ、すでに湖での戦いで女王に刃を向けてしまった。
気性の激しいことで知られる女王のこと。今さら投降しても許してもらえるとは到底思えない。ゆえに末端の兵士たちは、なかば絶望しながら城に籠もっていたのである。
一方、大広間での演説を終えたクレメンス将軍は、城内の一室に幕僚たちを呼び集めた。
今後の具体的な行動計画を話し合うためであるが、そうは言っても国都から援軍が到着するまで城にじっと籠もる以外、彼らにできることはないのだが。
それはともかく、席に着いた幕僚の中には、戦況不利と見るやさっさと戦場から逃げだしていった者の顔がちらほらあり、クレメンス将軍としては「勝手に戦場から離脱しよって!」と、その顔を殴りつけてやりたい衝動に駆られたが、すんでのところで自制した。
なんといっても彼らは直接の部下ではなく、同盟に参画した大貴族お抱えの将軍たちであり、なにより女王軍に城を包囲されている今、自軍内に不必要な不和を生じさせることはできないと、クレメンス将軍は怒りをぐっと堪えたのである。
「先刻も言ったが、この城は難攻不落の要害。女王軍とてむやみに攻撃してくることはできぬ。われわれはただ国都から増援を待っていればよいのだ。その時こそ女王に目にものを見せてやろうぞ」
クレメンス将軍が言い終えると同時に、幕僚らの賛同の声が場に連鎖した。
「閣下の申されるとおりだ。われわれはまだ負けてはおらぬ。戦いはまだまだこれからだ!」
「さよう。国都からの援軍さえ来れば、次の戦いで敗北の苦汁にまみれるのは女王軍のほうぞ!」
「固く城を守って味方の援軍を待つ。これぞ籠城策の極意なり!」
室内に戦意高揚の気勢と女王への罵詈雑言が飛び交っていると、部屋の扉が慌ただしく叩かれ、直後、クレメンス将軍の副官を務める騎士がなにやら狼狽した様子で部屋に入ってきた。
「閣下、大変でございます!」
「どうした、何があった?」
「はっ。実は女王軍から、このような矢文が城の中に大量に投入されていることがわかりました」
そう言って副官の騎士が手渡したのは一枚の紙片である。
クレメンス将軍がそれを広げてみると、紙上には「武器を捨てて投降すれば命を助ける」とか「クレメンス将軍らの首を獲った者には、金貨百枚の報奨金を与える」などといった、城内の兵士の投降と反乱を扇動する殺し文句がずらずらと書かれてあったのだ。
「調べてみたところ、投入された正確な時間はわかりませんが、ともかく発見できただけでも百通以上。おそらくは城内にいる大部分の兵士が、すでに矢文の内容を知っている可能性がございます。いかが対処……」
副官の騎士は最後まで言い終えることができなかった。説明の途中で、突然クレメンス将軍が大声で笑いだしたのである。
「わっはっは! あの女王め。われらの籠城に焦るあまり、このような小細工を弄してきおったわ!」
クレメンス将軍の反応にポカンとする副官の耳に、今度は矢文に目を通した幕僚たちの嘲り声が響いてきた。
「まったくですな。このブルーク城という地の利を得ている上、近日中にも国都から援軍がやってくる。これだけ有利な状況にある中、わが軍から離反する兵士が出るはずもない」
「さよう。われわれはただこの城の中にいるだけで、確実な勝利を得られるのですからな。これほど無駄な小細工もない」
「策士、策に溺れる。女王の浅慮、ここに極まれり!」
嘲り笑う将軍たちに副官の騎士がますますポカンとしていると、再び扉を叩く音がした。前後して姿を見せたのは、ワインのボトルとグラスを載せた台車を押す、十人ほどの配膳係の兵士たちであった。
「ご歓談中、失礼いたします。ご所望のワインをお持ちいたしました」
「うん? 誰ぞ、ワインを持ってくるように命じたのか?」
クレメンス将軍はいならぶ幕僚たちを見まわしたが、その幕僚たちも互いの顔を見交わしていた。副官の騎士も含めて、どうやら誰も心当たりがないらしい。
「これは失礼いたしました。こちらの手違いでございましたか」
兵士たちが一礼して去ろうとすると、クレメンス将軍がそれを呼び止めた。
「いや、よい。ちょうど一杯やりたい気分であったところだ。入ってくるがよい」
「はっ、では失礼いたします」
配膳係の長らしき兵士の指示で、彼の部下たちはクレメンス将軍や幕僚たちの前に手際よくグラスを置き並べ、赤ワインをそれらに注いでまわった。
やがてグラスを手にとったクレメンス将軍が、それを眼前に掲げた。
「では皆の者。来たるべき女王軍との再戦とその勝利を期して……乾杯!」
「乾杯!」
幕僚たちも同じようにグラスを眼前に掲げると、中のワインを揚々と干した。彼らの身に「異変」が生じたのは、それからまもなくのことである。
「……な、なんだぁ?」
それは突然であった。クレメンス将軍が手にするグラスを床に落としたかと思うと、将軍自身も膝から床に崩れ落ち、たちどころに声をあげて苦しみだしたのである。
否、それは将軍だけのことではなかった。場にいるすべての幕僚たちが床に倒れ、うめき声をあげながら苦しみだしたのだ。
突然の異常事態に、だがワインを運んできた配膳係の兵士たちは、そんな将軍たちの姿を動じることなく黙して見つめていた。
やがて係長の兵士が、足下で悶え苦しむクレメンス将軍に静かな声を向けた。
「おそれながら閣下。われわれは思うところあって女王軍に投降することを決意いたしました。そのためにもお歴々の
「き、貴様……ま、まさかワインに毒を……!?」
クレメンス将軍の一語に係長の男は小さく頷いて肯定すると、ゆっくりと片手をあげた。それを端にして配膳係の兵士たちがいっせいに腰の短剣を抜いた。これから何をする気なのか明白であった。
血の気を失った顔で、クレメンス将軍が呪詛の声をはりあげた。
「き、貴様らぁぁぁ……!」
「それでは御免つかまつる……殺れ!」
上官の合図をうけて、部下の兵士たちは手にする短剣を苦しみもがく将軍たちの頭上に振り落としていった……。
††††
それは城を包囲して四日目の朝のことであった。
「へ、陛下! あれをご覧ください!」
感心にも夜明け直後から城側の動きを遠眼鏡で窺っていたランマルが、ふいに声を高くさせた。それまで固く閉ざされていた城の正門がにわかに開きだしたのである。
すわ出撃かと、ざわめく女王軍の兵士らが見守る中、やがて中からは同盟軍の兵士と思われる一団がぞろぞろと歩き出てきた。全員、麻作りの平服姿で甲冑は身に着けておらず、剣や槍で武装もしていない。そのかわり手にしていたのは、純白の布を先端にくくりつけた棒――白旗であった。
ランマルは遠眼鏡から目をはずすと、傍らに立つフランソワーズに声を向けた。
「陛下、あれは白旗ではありませんか?」
「まあ、赤い旗には見えないわねえ」
そう冗談めかして応じると、フランソワーズも自前の遠眼鏡を覗きこんだ。愉悦の韻を含んだ声がその口から漏れたのは直後のことである。
「それよりもランマル。先頭を歩く男が手にしている物を見てごらん。なんだか面白そうな物を持っているわよ」
「……は? 面白そうな物、ですか?」
そう言われてランマルは再び遠眼鏡を覗きこんだ。
そして、一団の先頭を歩く男が頭上高く掲げている物を遠眼鏡越しに視認したとき、ランマルはギョッと目玉をむいた。
それも当然であろう。男が両腕に抱え上げていたのは首から切断された人間の首――クレメンス将軍の生首であったのだ。
それ以外にも数人の男たちがそれぞれの手に、将軍の幕僚たちの生首を抱え上げていた。
「へ、陛下。あれは首です、クレメンス将軍の生首です!」
驚愕にひび割れた側近の声をうけて、フランソワーズは薄く笑ったものである。
「言ったでしょう。味方の血を一滴も流すことなく城は陥せるってね」
「は、はあ……」
「さてと、それでは入城するとしますかねえ。野営もさすがに飽きてきたし、そろそろ厚いベッドの上で眠りたいしね。あっ、そうそう。ランマル、すぐにカナン城に使いを送りなさい。貯め置いている物資をすべてこのブルーク城に運び移すようにとね」
そう言うなりすたすたと歩きだしたフランソワーズの背中を、ランマルはしばし呆然と見つめていたのだが、やがて我に返ると慌ててその後を追っていった。
かくしてブルーク城は女王軍の手に陥ちたのである。
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