極嬢の姫騎士(オンナ)たち ~十五代目女王(あね)~
@qbry
序章 わての首、獲れるもんなら獲ってみい! 其の一
およそ人の世というものは、予期できないことの連続で成り立っている……。
まだ王立学院の学生だった頃。教師の一人であった老齢の哲学者が授業のたびに得意げな顔でそう口にしていたことを、当時生徒の一人であった「彼」はふいに思いだした。
だからこそ人生は面白いのだとその教師は続けたのだが、現在の「彼」に言わせれば予期せぬ事態など、面白いどころかはなはだ不愉快なことでしかなかった。
それも当然であろう。なにしろ今日の「彼」は、女王の主席侍従官という要職にある者として朝から多忙を極め、それこそ山のように積まれた仕事や案件を処理するため、休憩もろくに取ることなく深夜まで奔走していたのだが、それでも多忙を極めることは自身の職務上常であり、それに対してどうこう言うつもりは「彼」にはない。
問題なのは、日付けの変わる直前にようやくすべての仕事を片付け、「これでやっと眠れる!」と
「……な、何なんだよ、おい。何の騒ぎだ?」
底知れない疲労と睡魔で半分死んでいた「彼」は、無神経な訪問者に対する怒りや苛立ちもあって、熟睡をよそおって無視してやろうかと考えた。
しかし、あの切迫した様子は
そのことが明白だったので「彼」は溜め息まじりに寝台から出ると、乱れた寝着を直しながら部屋の扉に向かったのだが、「それにしても……」と歩きながら思うのだった。今日という一日を振り返ってみれば(正確には昨日だが)、朝から予期せぬ事が重なっていたなと。深夜まで及んだ「激務」などは、その最たるものだろう。
具体的には、この地への行幸――地方視察にやってきた女王との謁見を求めて列をなす地元の貴族や名士一人一人に応対し、彼らの要望をひとつひとつ聞いてまわり、謁見の段取りを決め、その合間に行幸を祝うパーティーの準備を進めたりと、ともかく事前に定めたスケジュールを滞りなく進めるだけでも大変だというのに、当の女王は女王でそんな「彼」に
「今日はカニが食べたいわね」
などと、場所柄も無視して無茶な要求をしたり、
「なんだか疲れちゃったから、視察先減らしておいて」
などと、唐突にスケジュールの変更を命じたりするものだから、おかげで予想外の仕事が増えた「彼」は楽しみにしていたパーティーにも出れず、華やかな祝宴が城の広間で催されている同時分、一人自分の部屋でスケジュールの練り直しを余儀なくされたのだ。
それ以外にも、城内の階段で足を踏みはずして転げ落ちるわ、その姿を女王近習の女官たちに見られて失笑されるわ、外出した際にはカラスに糞を頭に浴びせられるわと、思いだすだけでもはらわたが煮えくりかえるほどの予期せぬ散々な目に遭い、しかしそんな不運続きだった一日も、就寝と同時にようやく終わったと安心していたら、今度は寝たばかりのところを叩き起こされる始末である。予期せぬ事態の何が面白いのかと「彼」はつくづく思う。
ともかく寝所の扉の前までやってくると「彼」は扉越しに誰何の声を投げつけた。実のところ声だけで訪問者が何者かはすでにわかっているのだが、これくらいの意地悪は天上の神々もお許しになられるだろうと「彼」は信じて疑っていない。
「誰だ、こんな夜中に他人の寝所を押しかけてくる無礼者は?」
「わ、私でございます、ランマル卿! マッサーロにございます!」
(うん、それはわかっている)
心の中で意地悪く答えてから「彼」は扉を開けたのだが、開けると同時にニンジン色の髪の若い男が、応対に出た「彼」を突き飛ばさんほどの勢いで室内に転がり込んできた。
幸い、その突進を「彼」は動物的本能でとっさにかわしよけて事なきを得たのだが、当の本人は勢い余ってすっ転び、部屋の床を五転六転したあげく背中と腰をしたたかに打ちつけて悲鳴をあげる始末である。まったく夜中にはた迷惑な奴だと「彼」は眉をしかめずにはいられなかった。
ちなみにこのニンジン色の髪をした男の名はマッサーロといい、女王に仕える侍従官の一人で、早い話が「彼」の部下である。
年齢はこの年二十一歳。並びの悪いすきっ歯にくわえ、鼻のあたりに薄いそばかすが広がるその風貌は一見、どこか間の抜けた印象を見る者にあたえるが、実は「彼」の母校でもある王立学院を学年次席で卒業したほどのエリート宮廷官吏なのである。
実際、計数に長じ、書類の扱いにも長け、勤勉で几帳面な性格で上役である「彼」も何かと重宝しているのだが、一方で胆力に乏しい性格で、少々のことで狼狽したり取り乱したりする癖があるので、「彼」としても気疲れすることしばしばであった。
そのマッサーロが、どういうわけか血相を変えて寝所に転がりこんできたのである。しかもこんな夜中に。
いったい何事だろうかと「彼」は訝った。まあ、どうせたいしたことではないだろうが……。
「どうしたんだ、マッサーロ? まったく騒々しい奴だな」
「た、大変です、ランマル卿。何が大変かって、とにかく大変なのです!」
わかったような、わからないようなことをひと息に言い放つと、マッサーロは乱れた呼吸を直すべく深呼吸を繰り返した。
胆力も体力もないくせに慌てるからだと内心で呆れつつ、「彼」――ランマル・モーリウッドはハアハアと息を切らせる部下に飲ませるため、陶器造りの水差し瓶に入った水をグラスに注いだのだった……。
ランマル・モーリーウッドは、この年二十七歳になる。
黒い瞳と髪をもつ細身中背の、いかにも文官らしい繊弱な容姿をしている子爵家出身の青年貴族で、威圧感や力感というものとは見るからに無縁である。
実際、荒事にはてんで弱く、腕力も度胸もからっきしな彼であるが、その反面、黒い頭髪の下には王城随一と称されるとびきりの知性が秘められていた。なにしろ本来であれば五年かけて卒業する王立学院を、ランマルはわずか二年で、それも学年主席で卒業したのである。
そんなランマルの「学院創設来の英才」という評判を聞きつけたオ・ワーリ王国女王に、自らの主席侍従官として召し抱えられたのだ。今から十年前、ランマルがまだ学院を卒業してまもない十七歳のときである。
――オ・ワーリ王国。それは大陸の東の海に浮かぶ【ジャポン島】内に在る国である。
かつてこの島は【ジャポニア帝国】という統一王朝が千年以上も支配していたのだが、今から二百年前、皇帝の座をめぐる皇族間同士の争いというありがちな理由を端に帝室は四分五裂の状態となり、そんな骨肉の内紛を延々と続ける帝室に見切りをつけた各地の豪族や貴族が、混乱に乗じて次々と離反。そればかりか、自らの領地で自らの国を興したことで千年帝国は崩壊。以後、勃興した中小の国々が乱立する状況が現在も続いている。オ・ワーリ王国も帝国の崩壊によって誕生した一国である。
そのオ・ワーリ王国にあって、建国以来最年少で女王の主席侍従官という要職に就いたエリート官吏の青年は、目の前の部下が呼吸を整えたのを見計らい、手にするグラスを手渡した。
「ま、これでも飲んで落ち着け、マッサーロ」
「ありがとうございます。しかし、こういうときは冷水であった方が心身ともに落ち着くのが早まるかと存じます。そのあたりにもお心を配っていただければ、部下もよりいっそう仕事に励めるという……」
(や、やかましいわっ!)
厚かましい部下を内心で怒鳴りつけると、ランマルは再び問うた。
「そ、それより、いったいどうしたというんだ?」
ランマルがそう訊ねると、マッサーロはひとつ生唾を呑みこみ、
「ともかく、城の外をご覧になってください!」
などと必死の形相で訴えるものだから、ランマルとしてもそれ以上子細を質す気にはなれず、言われるまま部屋を出て、廊下の窓から望む城の外の様子を眺めやった。
この地での女王の滞在先として定めたこの城――ホンノー城は湖の中に浮かぶ小島の上に建てられた湖城であり、城の周囲には城名の由来ともなったホンノー湖の鉛色の水面が広がっている。
その城廊の窓からマッサーロの言うままに城の外を眺めやったとき。ランマルの目に一番に映ったのは、夜空に圧倒的な存在感を見せる黄金色の円盤と化した満月だった。
「おお、今宵は満月か。実に美しいが、しかし、これではぐれ雲なんかが一角を隠していれば、より風情が増すところなんだけどな。ほら、短歌にもあるだろう。照る月の、曇るごとに……」
「ま、満月どころではありません、
唾を飛ばしてわめくマッサーロに、「風情というものを知らん奴だ」と内心でぼやきながらもランマルが地上に視線を転じたとき。最初に目に入ったのは城と湖岸とを結ぶ石造りの立橋であり、次いで目に映ったのはその橋向かいにある湖岸帯で、最後に目に飛びこんできたのは、その湖岸沿いにひしめくように生え茂る木々と、その間隙で揺れ動いている小さな光点の群だった。
それが松明の
「うむ。普段はなにげなく見ている松明の灯火も、こうして満天の星空の下で見ると、なんとも趣を感じさせるから不思議……うん、松明?」
ふと疑問づいたランマルは軽く両目をしばたたいてから、あらためて湖岸沿いを眺めやった。やはり目の錯覚などではなく、湖岸沿い、それも橋の出入り口付近を中心に広範囲に渡って灯火が点在している。それも十や百ではきかない。どうみても数千という数のだ。
むろん松明の灯火が見えるということは、そこに人の存在があるということだ。それ自体は容易に理解できるのだが、まったくもって理解できないのは、こんな深夜にどこの誰が何の目的で松明を手に湖岸に集まっているのかということだ。
「なんだ、こんな夜更けにいったい何事だ?」
ランマルが訝しげに独語すると、傍らのマッサーロが意外なことを言いだした。
「ランマル卿、これはもしや敵襲ではありませんか?」
「……敵襲だって?」
マッサーロの意外な一語に驚いたランマルは、向き直ってまじまじとその顔を見つめたのだが、すぐに察しがついた。
(ははーん、なるほど、こいつめ。深夜に松明を持った集団が突如として湖岸に現れたので、それで敵襲か何かと勘ちがいして僕の部屋に駆けこんできやがったんだな)
まったく胆力はないくせにずれた想像力だけは豊かな奴だなと、マッサーロの「あわてんぼう」ぶりにランマルはなんだか可笑しくなったが、それが理由で寝たばかりのところを叩き起こされた身としては正直笑えない。
「おいおい、マッサーロ。ここは王国領のド真ん中だぞ。敵軍があれだけの兵力を率いてこんな所まで来れるはずがないだろう。あれはどう見ても数千人はいるぞ」
「す、すると、あの松明を持った集団は、いったいどこの何者でなんでしょうか?」
その疑問に対する答えはランマルの中ではすでに出ていた。
このあたりの察しのよさが、同じ学院卒のインテリでも並エリートのマッサーロと超エリートである自分との差であろうとランマルは心底思う。
「決まっている、陛下の行幸を聞きつけた地元の民衆たちだ」
「地元民……でございますか?」
困惑げに両目をパチクリさせるマッサーロに、ランマルは頷いてみせた。
「そうだ。ありがたくも自分たちが住む地に玉体をお運びになられた陛下を讃えるため、ああして深夜にもかかわらず集まってきたのだろう」
「な、なるほど……」
ランマルの見解にマッサーロが得心したように頷き、ほっと息を漏らしたまさにその瞬間だった。突然「ワー」とか「オー」とか、怒号のような叫び声が二人の鼓膜に轟いてきたのだ。
おかげでランマルとマッサーロは、驚きのあまり危うくひっくり返りそうになったのだが、そこはなんとか堪えると、すぐさま窓から身を乗りだすようにして同一方向に視線を走らせた。それらの声が湖岸沿いから発せられていることに二人とも気づいたからである。
しばしの沈黙後、湖岸を眺めていたマッサーロがおそるおそる口を開いた。
「ラ、ランマル卿。民衆たちがなにやら不穏な声をあげておりますが……」
「不穏?」
マッサーロの言葉に、ランマルは耳を澄まして轟いてくる声をよく聴いてみた。すると、たしかに群衆からは怒号や喚声まじりに「女王を捕らえろ!」だの「敵はホンノー城にあり!」だのと、なにやら物騒なことを口々に叫んでいることにランマルも気づいた。
マッサーロはひとつ息を呑み、ランマルに言った。
「と、とても陛下を讃えているようには思えませんが……?」
声をわななかせてマッサーロはそう言ったのだが、しかし、それでもランマルの見解はやはり異なった。薄い笑いまじりに彼は、自分の部下に余裕然とした語調で答えたものである。
「おそらく、民衆たちは酔っているのだろうな」
「よ、酔っている……でございますか?」
またしても両目をパチクリさせるマッサーロに、ランマルは鷹揚に頷いてみせた。
「そうだ。なにしろ今宵は満月。月見酒としゃれこむには絶好の夜だからな。ついハメをはずしたくなるのも人間の性というものだ。大目に見てやろうじゃないか」
「な、なるほど……」
ランマルの一語にまたしても納得した様子のマッサーロが安堵の息を漏らした、その直後だった。ふいに「どぉん」という、何かか爆発したような異音が二人の鼓膜をしたたかに刺激したのである。城の外壁の一部が轟音をともなって吹き飛んだのは、さらに直後のことだ。
砕け散った壁材が滝のごとく崩落し、それによって生じたもうもうたる砂塵が風に乗って、城の周辺の宙空に広くまき散らされた。
突然のことにランマルとマッサーロの思考は停止し、惚けた態でその光景を眺めていたのだが、いち早く自己を回復させたマッサーロがヒステリックな声をあげた。
「ラ、ランマル卿、今のは大砲ではありませんか! 奴ら、大砲を撃ってきましたぞ!」
「ハッハッハ! なあに、いまどきの民衆ともなれば大砲の一門や二門くらい所持していてもぜんぜんおかしくはない……」
――わけがなかった。そんなハイレベルすぎる武器マニアの民衆など、このオ・ワーリ王国はおろかジャポン島全域を探したっているはずもなかった。
となると、これはどういうことだろうか?
夜の夜中に女王の滞在先に松明を手に集結し、不穏なことを口々に叫びながら城に大砲を撃ちこんできた。これらの事実をどう解釈すればいいのだろうかと、ランマルはたちまち思案の淵に沈んだのだが、実のところ考えるまでもなく、
「大砲まで所有している武器マニアの地元民が行幸祝いに来たけれど、月見酒の酔いがまわりすぎて持参した大砲をついファイアーさせて城壁をクラッシャーさせてしまった」
という超極小の可能性を除けば、考えられることはひとつしかないのだ。それはつまり……。
「て、敵襲だーっ!」
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