狂信
幾千の雨音のような拍手が、ぴたりと止んだ。直弥も齋藤も、ダイゴの一挙一動を固唾を呑んで見守っている。電車が時折揺れる音と、三人の呼吸音と、ダイゴの声だけがそこにはあった。
「お母さんは?」
五歳くらいだろうか。幼い少年は窓にかじりついて動かない。ダイゴの問いかけにも答えることもない。その横顔はどこにでもいるような、大福のようにふっくらと白くまろい頬をした子どもで、黒くつぶらな瞳は飛び去る景色をきらきらと映していた。
「電車、好き?」
その問いかけに、思わずといったように少年はダイゴへ顔を向けた。他の亡霊にはないうっすらとした血色が、まるで生きているかのような生々しさを醸し出している。丸い目をした少年の顔が、気まずさにしぼんだ。
「ごめんね。しらないひととおはなししちゃだめなの」
掛かった。待ちに待った反応にダイゴは内心拳を握る。
ここで対応を間違えてはいけない。子どもに馴染む話し方を脳裏で探り、思い当たる人物像を描く。
――りょうちゃん
かつて自身に向けられていた、木漏れ日のように温かな眼差し。今でも呼ばれたくてたまらない声。ダイゴにとって慈愛とはそういうものであり、その象徴は姉である。
ダイゴは目の前の少年の心を開かせるために、できるだけそのひとを真似て胡散臭さを消し、僅かに憂いを添えて微笑みかけた。
「そっか。うるさくしてごめんね」
「えっ」
驚いたようにダイゴを見遣り、そして困ったように少年は眉を下げた。
「おにいちゃん、うるさくないよ?」
「そう? 邪魔じゃない?」
「うん」
「そっか」
言葉が途切れる。ダイゴがじっと少年を見つめ返していると、少年は申し訳なさからか気まずさからかもじもじして、やがて我慢できない様子でぽつりと言葉をこぼした。
「おにいちゃんも、でんしゃすき?」
「窓から見える景色は好きかな」
「そうなの?」
「うん」
「えっとね、ゆうくんもね、おそとすきだよ。くるまのもすきだけど、でんしゃのはもっともーっとすき」
「そっか」
「がたんごとーん、がたんごとーん」
電車の揺れに合わせて、そう少年は口ずさむ。楽しげで邪気の欠けらもない様子に、直弥も齋藤もどうしたら良いか分からない顔で、互いに視線を合わせた。
まだ何も言うな、とダイゴは目で告げると、再び少年と向き合う。
「ゆうくんは今日どこに行くの?」
「うーん……おばあちゃんち? でも、うーん」
「どうしたの?」
「おばあちゃんちにいくってママがいってたけど、いつもでんしゃはのらないの。なんできょうはのってるんだろう」
――ここだ。この子どもの分岐は
ダイゴは目をギラリと光らせ、緊張感を悟らせまいとするように膝の上で掌を組み、
「ママが知ってるんじゃない? ママは、どうしたの?」
と核心をついた。
「ママは……」言いつつきょろ、と子どもが初めて周囲を見回した。その無垢な表情が、今にも牙を剥くのではないかと、怪我を抑えるダイゴの手に汗が滲む。
「ママ……?」
やがて、ひとりであることを自覚した子どもの目が不安に彩られ、ダイゴを捉えると、
――バンッ!!
と勢いよく後方の貫通扉が弾け飛んだ。咄嗟に避けた直弥と齋藤の足元に扉が倒れ、すぐさま貫通路を見やると、背中から無数の腕を生やした女が、ずるり、と一両目に体を捩じ込ませる。
「なッ……」
「騒ぐな」
驚愕の声をあげかけた直弥を、ひたりとダイゴが制止する。
「でも!」
「騒ぐなっつってんだろ。
女の股の間から、小さな影が滑り込む。
「お前らには
ザッと音を立てて直弥と齋藤を背に庇い、扇子を広げて威嚇する、血だらけのセーラー服の少女の姿にダイゴの言葉が重なった。
「天龍先輩!」
「怪我してンのか!?」
「返り血だ。じっとしていろ」
短く答えたユリカの扇子にも血が付着していたが、振り払って血液を飛ばす。
飛んだ血液は床に砕けると、そのまま蒸発するように消え失せたが、怨霊から流れ出る血は止まらない。床を汚しながら余りある腕を暴れさせ、地の底から幾多の声を響かせていた。
――コどコこ助けマじてでふざけンなやメて痛い痛い痛い痛いののののにいるの
「塩は振っていないのか」
背を向けたまま、ユリカがダイゴへ投げかける。ダイゴは再び鳴り始めた拍手の嵐に、うるさそうに目を細めつつ、
「帰るべき場所をはっきりさせてからじゃなきゃムリだろ」
「いい傾向だな。母親にはどうしてやる。私ではこの魂に傷をつけることしか出来ないぞ」
「神様なら神様らしく導いてやれば?」
「私のような下っ端は見守ることと壊すことしか出来ないと、相場は決まっている」
「……直弥、お前やれ」
「ハァ!?」
急に話を振られた直弥は声をひっくりかえした。
「塩といえばオメーだろ!!」
「もうひとりのな」
「クソッタレが、腹立つ」
言うなり直弥は、ダイゴの胸ぐらを掴んで引き上げる。
「立てよ。テメェは自分が
「うるっせーな喚かなくても聞こえてんだよ」
「だったら」
言葉の途中でダイゴが直弥の手を掴み返し、睨み上げる。
「塩の原動力は姉貴を、ひいてはオレ自身を信じることで生まれる。姉ちゃんをむざむざと死なせたオレを、オレ自身が信じられねー以上効力なんて望めないだろ」
「お前……」
「離せよ」
強く振り解き、襟を正してダイゴは顔を逸らした。
「アッチのオレが作った塩なら、直弥にも扱えるはずだ。お前がやってくれ」
「……。他力本願なんてらしくねェ」
あっと声を上げる間に、直弥は嫌がるダイゴの手を掴み、直弥自身の手首を握らせた。
「俺が握っててやる」
「は?」
「俺と一緒に塩振るんだよ」
「いや、なんでそうなる? ひとりでやれば手っ取り早いのに」
「ようは自信をつけたらいいんだろ?」
膨張と収縮を繰り返していた周囲の亡霊が、メリメリと音を立てて体を変形させながら総立ちになる。
少年に変化はないが、座席に膝立ちになりながら、事の成り行きを不安げに見つめていた。
齋藤からは焦った声が上がるが、ユリカは怨霊から伸びる無数の腕が、亡霊を取り込み始めたのを弾き飛ばしながら、二人が話す時間を稼いでいた。
直弥はダイゴを真剣な眼差しで見つめ返して告げる。
「コヨリちゃんのこともあるし、清める立場の人間が逆の事してきたワケだから自信がねーって言いたいんだろ? でもそんなことで効力が切れちまうようなヤワな武器を、コヨリちゃんがテメーにくれてやると思うか?」
「何を……」
「テメーがテメーを信じられなくても、コヨリちゃんはテメーを信じてる。信仰するのはコヨリちゃんだけっつってたじゃねーか。だったらコヨリちゃんを信じて、俺の手を握れよ」
「……」
「話はまとまったか」
ユリカが僅かに声を張って問う。
いつしか周囲の亡霊は、粘土細工を押し固めたように歪に怨霊の女と融合していた。核である女は肥大した体をぎくん、と震わせてはちぎるように取り込んだ亡霊を放ち、ユリカや齋藤を襲わせている。
「うわこっちに来た!!」
「させるか」
ゴウ。
ユリカが操るつむじ風のような突風が、齋藤の両脇を駆け抜け、少年の前を通り過ぎ、さ迷っていた異型の亡霊を吹き飛ばす。
途方に暮れた少年が、体の前で手のひらを握っていると、ふっと影がさした。ダイゴだ。僅かに身をかがめて、少年の頭に手をやって安心させるように微笑む。
「ちょっとお兄ちゃん、あそこのひとに静かにしてって言ってくるから待っててくれる?」
「う、うん……」
「怖かったら耳を塞いで、お外見てていいよ」
言われるままに耳を塞ぎ、喧騒の元を気にしながら窓に向き直った少年に踵を返し、ダイゴは自身を待つ直弥に並び立った。
「一度だけこの場の霊の動きを止める」
怨霊の女の額に扇子を突き立て、しかし踏ん張るような必死さは見せずにユリカは二人を振り返って告げる。
「口説いようだけれど、私もこの身体に成って日が浅い。これ以上手を出すと魂を壊してしまう。一度の機会を無駄にせず、お前がこの怨霊を鎮めろ」
「……分かった」
隣に控える直弥を一瞥しダイゴが頷くと、それを合図に、ピキン、とガラスを爪で弾いたような音が鳴り響いた。
ぐう、と。頭の先からつま先までもを凄まじい重圧が襲いかかり、齋藤がまず膝を折る。
次に直弥が息を詰まらせて、塩の小瓶を取り落とさないように握りしめ、数ミリ前進して息を乱して止まった。
「おい、嘘だろ」
身軽なのはダイゴだけ。慌てて齋藤と直弥を、そしてユリカを最後に見て唸る。
「やり過ぎだ!! 人間にまで影響出てんじゃねーか!!」
「慣れない身体だと言っているだろう。人間の加減など知るものか」
「直弥といっせーので塩振る計画が台無しだっつってんだよ!! ちょっとは緩めろ!!」
「聞けば聞くほど間抜けな計画だな」
「ンの、クソアマ……!!」
「いいから早い所やってしまえ。どの道動けるのはお前ひとりきり。この可哀想な女も解放を望んでいる」
――うるさどどうシこにてイるくしているのの痛い痛いはどどここどこどこ
ユリカの攻撃を真正面から浴び続けている怨霊が、硬直した体のまま、苦悶の表情を浮かべている。
ダイゴは納得のいかない顔のまま「なあ」と直弥に声をかけると、直弥は歯を食いしばり、目だけを動かしてダイゴを見た。声すら出せないらしい。
「お前の腕切り落としてもいい? やっぱひとりじゃ無理だと思うし」
この期に及んでテメエときたら!!
両目を見開いて眉を釣りあげた直弥の形相は、そう叫びたそうにしている。
そうしている間に、徐々に怨霊の身体が軋む音をたて始めた。ユリカに掴みかかろうとした体制のまま固まっていた無数の腕の、その指先が、僅かながらに震えている。
「冗談だよ」
ちっともそうは感じさせない冷えた声でダイゴは吐き捨てると、硬直した直弥の体を抱えるようにして引きずって行き、ユリカの隣に並べた。
「おい、お前まさか」
「姉貴を信じろなんて、今さらすぎて笑えもしない」
ダイゴは独り言のように呟き、直弥が前に突き出したまま小瓶を握っている手を握ると、まっすぐに怨霊を見据える。
「どんな理屈をこねられたところで、結局のところオレがオレを信じられない以上、この塩は効力を失うだろ。だから直弥、お前の策に乗ってやる」
ぎこちない動きで怨霊の頭上に直弥の手を持って行き、そしてやはりぎこちなく手首を回す。
「姉貴が配った無償の愛を穢さないために、オレに力を貸してくれ。姉貴が帰ってくるその日まで」
塩の粒が女の頭に落ちる最中、ダイゴは決して友人の顔を見ないままそう告げた。
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