「幽霊電車」

 床に投げ出された衝撃に、ダイゴはぐうっと息を詰めた。ドアは金属を引っ掻くような甲高い音を立てて閉まり、電車が走り出す。


「痛ェ……!」


 そんな呻き声とともに俯き姿勢のままダイゴは目を開き、視界の端に何かを捉える。規則正しく並ぶそれは、様々な衣服や靴を纏った足で、全てのつま先がダイゴの方を向いている。そこへ、


「うっ……わ」


 直弥の声が、


「何、だ」


 齋藤の絶句した声が順に耳に届き、ダイゴは勢いよく顔を上げた。

 降り注ぐのは痛いほどの視線。青白い顔の老若男女が向かいあわせの座席全てに腰を下ろし、虚ろながらもいやにギラついた目でダイゴ達を凝視していた。その誰もが一言も口を開かず、呼吸や衣擦れの音すら発しない。沈黙に押しつぶされそうな圧迫感に満ちていた。


「ダイゴ」


 姿勢を低くし、滑るように直弥がダイゴと距離を詰め、


「喋っていいのか」


 齋藤も後に続いて同じように声を潜める。

 ダイゴは口を曲げて顎に皺を寄せると、つい、と周囲を見回した。


「今のところはな。ただ、ここに引きずり込まれた条件も分からないから、発言にも気をつけろ」

「気をつけろって……どうやってだ?」

「空気を読め。空気が変わったら逃げるぞ」


 ダイゴの言葉に聞き返した齋藤が直弥を、耳を傾けていた直弥が齋藤を見つめ返し


「テメェにしか出来ねーよ」


 声を揃えて顔を顰めると、ダイゴもまた面倒くさそうに顔を顰める。そこへ「ぎゃあああ!!」と長い絶叫が、後方の車両から響き渡った。

 「この声、さっきの三人組の声じゃ」と直弥が漏らした瞬間、貫通扉の窓が慌ただしく叩かれ、涙と恐怖でぐしゃぐしゃになった少女の顔が覗いた。サヤカと呼ばれていた少女で、背後を酷く気にしている。


「サヤカ……!?」

「助けて助けて助けて!! 久塚のこと謝るから本当のこと言うから助けて!!」

「本当のこと?」

「久塚は自殺じゃないのぉ!! ウチらが窓から落としたのぉ!! お願い開けて助けてお願い開けて開けて開け」 

「何言って……!?」


 サヤカの口を小さな手のひらが覆い、扉から引き剥がした。悲鳴のひとつすら飲み込まれ、思わずと言った様子で立ち上がった齋藤の手首を、ダイゴは引き掴んで留める。

 ガチャン。

 金具の音を立てて扉が開き、何かが倒れ込んだ。サヤカだ。過呼吸を起こしており、傍に居た直弥にすがりついては引き剥がされ、後ろに庇われる。そして、


「一週間ぶりだな。時任トキトウ


 落ち着いた低音の響きを纏った女の声が、車内に響く。続けて、貫通路をくぐったモノは黒いセーラー服を揺らし、後ろ手に扉を閉めてついっと口の端を上げてみせるのに三人は目を見張った。


「……。天龍菫テンリュウ スミレ


 そのひとの、腰まで真っ直ぐ伸びた豊かな黒髪は、眉の位置と顎の位置で姫君のように切りそろえられており、の幼い顔にはめ込まれた赤い瞳に、薄らと影を落としていた。

 背丈は低く、一五〇はないかもしれない。小さくも言い知れぬ威圧感を携えた彼女は、名を告げたダイゴをその目で捉え、面白そうに細めると、バッと扇子を広げて自身を扇ぎながら口を開いた。


「なるほど。お前はそちらの呼び名を選ぶのか」

「生憎信仰するのは姉貴だけと決めてるんでね。……村を守ると決めたはずのカミサマが、こんな所まで何しに来た」

「村は妹の管轄だからな。私は神隠市カクリシがある限り、こちらを見てやらなければならない」

「ハッ、それで助けに来てくださったわけだ。それにしては些か足が遅いんじゃありませんかねェ?」

「不測の事態が起きてな。一度神隠市ここからはじき出された」

「はじき出された?」


 パニックに陥っているサヤカの介抱をしていた齋藤も、成り行きを見守っていた直弥もダイゴと声を揃えると、カミサマと呼ばれた少女はパチン、と扇子を閉じ、どこからともなく一冊の綴りを取り出した。

 表紙の真ん中に黒のマーカーで「神隠市ノート」と書かれている、A四用紙を二つ折りにして糊で貼り合わせただけの綴りである。彼女はそれを掲げて言う。


「細かい話は後にしよう。時任トキトウ、お前にはこの電車の曰くの正体をつきとめて、塩をかける役目がある」

「ハァ? アンタみたいのがいるなら、核になり得るモノを探すのも始末するのもお手の物だろ? なんでオレが?」

「ここから出る為。ひいては神隠市カクリシに囚われた人間を解放する為だ」


 少女はそう話しながら近づき、直弥に綴りを突きつけて「まずは岸本、お前が読んでみろ」と指示する。

 この時に金切り声を上げてサヤカが逃げようとしたが、その背中目掛けて少女が扇子を畳んだまま口に当て、ふっ、と息を吹きかけると、途端に倒れて脱力した。


「今はまだ大丈夫だ。ゆっくりとここの曰くを探せ」

「……」


 訝る目を向けながら、直弥が言われた通り神隠市カクリシノートを捲った。横から齋藤も覗き見ている。


「探せっつったって、椋伍リョウゴの汚ねー字を俺が解読できた試しがねェよ」

「岸本、これは? 電車って書いてるぞ」

「アァ? テケテケって関係あるか? しかもバツ書いてあるし、アイツが塩かけて消した奴だろ」


 ああでもない、こうでもないと捲っているうちに最後のページに差し掛かり、二人は黙って傍観していたダイゴをじとりと見た。


「……。なんだよ」

「テメェ、ちゃんと曰くのことまとめてたンか?」

「こんなにしっかり実害が出てるのに、噂のカケラも聞いてなかったのか? それとも別の紙に適当に書いたとか」

「それ作ったのもう一人のオレだろ。そっちに言えや」


 二人がかりで文句を言われ、ダイゴが青筋を立てていると「今度は時任トキトウ、お前が探せ」と少女に指示される。

 イラつきながらノートをひったくると、ダイゴは数ページめくった所でバン、と見開きでノートを床に押し付け「見ろよ」と二人に促す。


「お前らの探し方がクソなんだろうが。ちゃーんとアッチのオレは書いてるぜ」


 幽霊電車。

 電車に轢かれた親子の霊が、その電車に取り憑き、生きた人間を仲間にするために引き込んでいく。電車に乗ってはいけない。乗ったらマナーを守ること。

 汚いながらも読める字でそう記載されているソレに「本当だ」と齋藤が声を漏らし、直弥はノートの向きを変えて食い入るように読んだ。


「見出しまで書いてあって二人で気づかねェなんて……」

「これが理由だ」


 少女はしゃがみこみ、曰くが書き込まれた箇所を扇子で指し示して告げる。


時任トキトウ。今、お前の目なくしてはこのノートに書かれた曰くが探し出せない。けれどお前が呼び覚ました神隠市カクリシに蔓延る曰くは、このノートにしか載っていない。そんなことが起きている」


 ガタン、と電車が揺れる。


神隠市カクリシが意思を持ち、人間を飲み込みはじめたように、このノートも変異している。元に戻すには私ではなく、お前が必要なんだ」

「……それで、手始めに電車をどうにかしろって? それは無理だぜカミサマ」

「何故だ」

「オレに塩は使えない」


 キキーッ……

 電車が停止する反動が、体を揺らす。ぴたりと止まっているのはダイゴを食い入るように見つめ返す少女だけで、彼女はその目でダイゴを反射してにい、と微笑んだ。


「私はそうは思わない」

「……。が入ってるからってか? いい加減にしろよ。どいつもこいつも、椋伍リョウゴ、椋伍、椋伍って。オレが椋伍だろうが」

「ああ。お前の言う通り、お前が時任トキトウコヨリの弟だ。……お前もそれを、ゆめゆめ忘れてくれるなよ」


 少女は歯噛みするダイゴへ向けて、最後は笑みを消し去り、ゆっくりと釘を刺すように彼の胸に指を突きつけて言った。


「……天龍先輩、様子が変です」


 そこへ。それまで口をつぐんでいた齋藤が、周囲を見回して焦ったように、しかし声を殺して訴えた。

 少女が立ち上がり、つられてダイゴが顔をあげると、びっちりと隙間なく座り視線を一同に降り注いでいたはずの亡霊達が、ひとつの漏れもなく首だけで窓を向いていた。

 窓の外は景色が飛ぶように進んでおり、電車が停止している事を忘れて、揺れに備えてしまいそうな感覚が絶えずダイゴ達を襲う。


「曰くの核はなんだと思う」


 少女が問えば、ダイゴはノートを持ち自身の顎に指を添える。


「轢かれた親子って書いてあるぐらいだから、親子だろ」

「そうだな。では今暴れているのはどちらだと思う?」

「は?」


 バン!!

 貫通扉の窓に真っ赤な手形がひとつ、荒々しく付いた。

 ひょうでも降っているかのような激しい殴打音が後方車両から徐々に近づき、音の数も増していく。やがて、

 バンバンバンバンバンッ!!

 貫通扉の窓が激しく殴られ、真っ赤に染まった。ガチャン、とゆっくり扉の開く音が響く。


「その小娘を担げ」


 少女がダイゴらの前に立ち、背中で前方の車両へ行くよう促す。躊躇いがちに齋藤がサヤカを背負うと、直弥が「起こしちまえばいいじゃねェか」と細い肩をゆさぶろうとすれば、


やかましい思いをしたいのならな」


 と少女は片眉を上げて嗤う。直弥が思い直す中、ダイゴも立ち上がりノートを抱えて少女の小さな背中へ問いかけた。


「暴れてるのは片方なんだな?」

「私の読みでは」

「対策は?」

「念の為、暴れている方は殺さない程度に足止めするつもりだ。お前達は片割れを探して、塩を振れ」

「殺した方が楽だろ」

「言っただろう。念の為だ。いいから行け。――ああ、そうだ」


 困った時は右ポケットをまさぐれ。

 その言葉と同時に扉が弾け飛んだ。血みどろの千手観音のような姿の女が、髪を振り乱して車両へ足を踏み入れる。


――出口は誰かドコから出ラれない誰かキ

て助けてキミ間違えもう少し出シてドコドコ

お願いしマす


 辺りはぐっと冷え込み、大勢の人間が一斉に口を開いたような囁きが、空気を圧迫した。齋藤と直弥が順に前方車両へ駆け出し、ダイゴも後ろ髪を引かれるような仕草で続く。

 女の怨霊は背後から血にまみれた無数の腕を伸ばしては、少女が扇子を閉じたままくい、くい、と上下に操る毎に何かに弾かれ、その痛みに悲鳴と呻きをあげている。

 バン!!

 人力も合わせてダイゴは貫通扉を閉めると、二人のうち振り返った姿勢で直弥が息を乱して尋ねた。


「あれが母親か?」

「多分な」

「じゃあ子ども見つけて塩かければ――」

「塩なんてねーよ」

「右ポケットじゃないのか?」


 見かねた齋藤が口を出す。イラつき混じりにダイゴは学ランのスラックスのポケットへ手を突っ込むと、苦虫を噛み潰したような顔をしてソレを取り出した。

 赤いキャップと「食卓塩」と真ん中に赤く刻まれた小瓶がひとつ。中には半分ほど塩の粒が入っており、それを上下に振ってイライラとダイゴは頭を掻きむしった。


「いつの間に……ックソ!! どうあってもオレにの真似事やれってか!?」

「ここから出るにはやるしかねェだろ。腹キメろや」

「塩で浄化できるのはもうひとりのオレの専売特許であって、オレじゃねーよ!!」

「ンなわけねーだろ思い出せ」


 直弥が静かに語り続ける。


「コヨリちゃんに習った覚えがテメェにもあるんだろ? だったらソレはテメェの武器でもある」

「……」

「ここから出て呪いの箱バンバン作りまくるんだろ? そのためなら塩かけるくらいなんて事ねェよ。俺や親父も椋伍リョウゴの塩借りてブチのめしてンだ。テメェにもできる」

「……。そういうのじゃねーよ。そういう問題じゃねーんだよ」


 やや項垂れたダイゴの背後で、バン! と大きく扉が殴られた。窓には少女の後ろ姿があり、彼女が三人を睨みつけているのが見える。凄むような顔で口の動きが訴えるのは「ぐずぐずするな」だろうか。窓を殴ったのも彼女だろう。


「とりあえず、子どもを探そう。塩のことを決めるのは後からでもいいだろ」


 齋藤が促すと、ダイゴは塩の小瓶を握りしめつつ、僅かなぎこちなさと共に歩き出したのだった。

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