第15話 罰
「どうしてあんたがここにいるのよ!?」
「罪人である君を罰するためさ」
「そ、そういう、意味、だったのかぁ……っ」
或留好が掲げるスマートフォンの液晶には、猫桃ちゃんと撮影したペアシートでの写真が映っていた。
……ああ、猫桃ちゃん。肖像権とかプライバシーとかあるんだからさ、SNSにアップロードするんなら、せめて相談くらいしてよぉ……。
「悪戯に城を抜け出して悪さをするお転婆姫には、きつーいお仕置きをしないとね」
反転して脱兎の如く逃走を試みる! 前に、或留好があたしの身柄を拘束する。
ああ、もうっ! こいつのスペックの高さが忌々しいっ!
最高の一日が、あっという間に最低の一日に裏返ってしまった。これからあたしの身に降りかかるお仕置きを想像するだけで、気が遠くなるようだった。
「あ、或留好さんっ。こ、これには山よりも高く海よりも深い理由がありまして――」
「君如きに発言権があると思わないでおくれ」
氷河期かと思うくらい冷たい視線があたしを貫いた。
「あれだけ忠告したのに。君も、簡単に私を裏切るんだな」
「或留好?」
目を伏せて、下唇を噛む或留好。
悔しそうな声が耳に届くと、悪戯が両親にばれた時みたいな居辛さが全身を包んだ。
「言ってもわからないのなら、もう、身体に教え込むしかない」
個室内はマットレスになっていて、あたしは或留好によって仰向けに転んだ。
「これで、逃げられない」
まるで、南極の氷みたいに冷えた笑みを浮かべて、或留好はあたしの手首を掴む。
ぎゅっと力を入れられると、骨が砕けるかと思うくらいの痛が襲いかかった。
「た、確かに黙ってたのは悪かったわよ! で、でも、しょうがないじゃない!」
「何が、しょうがないんだい? 人との約束を破っていい理由なんて、あるのかい?」
「うぐ。そ、それは……っ」
言えない! ここで事実をありのまま話せば、確かにあたしに溜まったヘイトは減るかもしれない。でも、それは猫桃ちゃんに一方的に罪を着せることになるしっ。
「言えない、けど」
もちろん、あたしが大好きな彼女を悪者にするなんて真似できるはずもなく。
結果、黙って或留好から糾弾されるしかなくなる。
「話にならないな」
「ちょ、或留好、何する――」
人生の瀬戸際に立たされたあたしに、或留好は有無を言わさぬ迫力で顔を近づける。
「悪いのはこの唇かい? 私に気を持たせておきながら、猫桃とも楽しそうに笑う。実にふしだらな唇だ」
射抜くみたいな鋭い目で、或留好があたしを睨む。
口元に薄く笑みが浮かんでいるせいで、言いようのない恐ろしさを感じてしまう。
顎に添えた指先から感じる彼女の体温は、熱湯みたいに熱くて、怒りという名のマグマがぐつぐつと煮えたぎってるようだった。
「あ、あんたに、気を持たせたことなんて、一度だって、ない、から!」
「それは君の感想だろう? 気を持たせたと感じるのは、いつだって相手の方さ」
覆いかぶさるみたいに、或留好の身体があたしの身体に重なる。
間近で見るこいつは、悔しいことに綺麗だった。
ルックスは下手なモデルより良いし、匂いだって妙に上品なのにちょっとエロいし、身体だって柔らかい。おまけに、髪も滑らか。性格さえ、破滅的じゃなかったら……!
「また、猫桃のことを考えているのか?」
「わぷっ」
眉をひそめると、或留好はあたしの顔を自分の胸に抱き寄せた。
まるで抱き潰すみたいな強さで、あたしの上半身を或留好の両腕が包み込む。
鍛圧機械のプレスみたいに、じっくりと着実に、或留好はあたしという存在を押し潰そうとする。
「……猫桃の匂いがする。最悪だ」
くんくんとあたしの髪の匂いを嗅ぎながら、或留好は吐き捨てるように言う。
そりゃ、ずっとひっついてたもんね!
なんて言ったら、絶賛炎上中の火災現場にガソリンをぶちこむことになるのが目に見えていたので、あたしは自制した。
「あ、或留好。痛い、よ……っ」
「上書き、しないと」
「あうっ」
あたしの悲鳴なんて聞いてくれず、或留好は両腕に込める力を更に強くした。
蛇が獲物を締め上げるみたいに、彼女はあたしを拘束し続ける。
油断すると、ばき、とか音を立てて背骨が折れるんじゃないかって思うくらい、或留好の力は強かった。
「あ、或留好……もう、離して、よ……」
「君は、自分の要望だけ通そうとするのか。それはあまりに都合が良いんじゃないか? 私の要望は跳ね除けておきながら、自分だけ楽になろうだなんて。そんなの、あまりにも、ずるいじゃないか!」
更に或留好が抱きしめる力を強くする。
内臓が圧迫されてるんじゃないかっていう苦しさが広がっていく。
一瞬、窒息するみたいな圧迫感が胸のあたりに起きた。
しばらくすると空気の通り道程度は出来たのか、新鮮な空気が口の中に入ってくるようになった。
「苦しいかい? それがさっきまで私が味わっていた痛みだよ」
何故だか或留好は、執拗にあたしを抱きしめながら、小さく息を吐きだしては、身体のあらゆるところに吹きかけている。
「いっそ、壊してしまいたい。恐ろしいものだね、感情というやつは。理性なんて、一時の激情の前では無意味だよ」
満足したのか、或留好はちょっとだけ力を緩めて、あたしを見つめる。少しだけ険の取れた笑みがあった。髪の毛を撫でる仕草にも、柔らかさが戻りつつあった。
……機嫌、直った?
「愛流、どこ行っちゃったのかなあ」
「ね、猫桃ちゃ……っ」
声を出し切る寸前、或留好が手であたしの口を押さえた。
「返事をするんだ」
「え? い、いやあ、でも、ほら、あたしたち、と、取込み中だし?」
「するんだ」
猫桃ちゃんの声を聞いた或留好の表情は、すっかり阿修羅みたいな圧迫感を放つように戻ってしまった。
「ね、猫桃ちゃん……?」
「え、愛流? こんなところにいたんだぁ、良かったぁ!」
「ご、ごめんね! ちょ、ちょっと、パソコン使って調べ物しなきゃならなくなってさ!」
スライド式のドア越しに猫桃ちゃんの声が聞こえる。
と、とにかく何とか誤魔化して、先に戻っててもらわないと!
「あ、あんた、何してんのよ……っ」
ドアに顔を押し付けるように立つあたしの後ろから、雨で濡れた前髪みたいに、或留好はべったりとくっついて来る。
「愛流? ……もしかして、誰か一緒?」
「ま、まさかっ! パソコンのミュート忘れて、動画再生しちゃったんだよ!」
冷や汗をかきながら猫桃ちゃんと話すあたしの苦労なんか知らずに、或留好は好き勝手に身体を触ってくる。
さわさわと、筆先で触れられるみたいなくすぐったさが、気持ち悪かった。
「い、いい加減に、やめ、ろっ」
「安心するといい。このエリアだけ、監視カメラはないよ」
「逆に、不安になった、わよっ」
外に漏れないように。でも、最大限に大きく声を張って、あたしは或留好に抗議する。
「ふふ。嫌よ嫌よも好きの内という言葉があってね。人間というのは、先天的に天邪鬼の気質を有しているものなのさ」
あたしが大っぴらに抵抗できないのをいいことに、或留好はシャツに手をかけてきた。
「なんか、息荒い? もしかして、体調悪かったり、する?」
「ご、ごほっごほ! ご、ごめんね。実は、ちょっとだけ、喉痛いんだ」
さっきまで元気にアテレコ遊びしてたのに、よくもまあ!
自分の面の皮の厚さに、呆れてくるレベルの言い訳だった。
「大変! 薬とか買ってきた方がいい!?」
「だ、大丈夫! 常備薬、あるから!」
すーすーと、上半身が妙に冷える気がする。
気付けば、或留好がシャツを剥ぎ取っていて、あたしの胸を守るものはブラジャーだけになっていた。
「猫桃、綺麗だよ。ああ、こんなにも真っ白な身体に、猫桃なんかの匂いが付いているだなんて、許せない」
「やぁ、あ、ある、す……くすぐったい、よぉ……っ」
無防備な背中を撫でるように、或留好の唇の感触が首裏から腰のあたりまで走っていった。右手は腰に、左手は胸元に伸びてきたけれど、そこは先に自分の手でガードした。
「私で、猫桃の痕跡全部、塗りつぶさないと……っ」
「や、やめ、それいじょうは、ほんと、むり……ぅ」
「愛流? ねえ、大丈夫?」
「う、うん! 調べ物も、もうすぐ終わるし、薬飲んだら戻るから、さ、先、行ってて!」
スカートに伸びる或留好の指を格闘しながら、猫桃ちゃんと受け答えする。
うっかり身体をずらせばドアに当たって音が出る。
声が漏れれば不信感が増す。
じっとしてれば、或留好の玩具になる。
何をしても裏目に出そうな極限状態で、すっかりあたしの心は疲れ切ってしまった。
「少し、湿っているね。ふふ、何をそんなに緊張してしまったのかな?」
「ば、ばかぁ……そんな、とこ、頬ずり、すんなぁ……っ」
スカートも剥ぎ取られて、下着姿になったあたしの太ももに触れながら、或留好は愉快そうに笑った。
「じゃあ、ここならいいのかな?」
「ひうっ」
背中で、ちゅ、っという、嫌らしい音が響いた。或留好が、口づけした音だった。
矢継ぎ早に、彼女はキスの嵐を降らせる。同時に、腰や太ももを擦り、そのたびに腰が浮きそうになって、くねくねと情けない動きをしてしまった。
「我慢なんてしないでいい。見せつけてやればいいじゃないか。愛流の、本当の姿をさ」
ふざ、けるなぁ! 誰があんたの言いなりになるもんか!
あたしは、意地でも声を出すもんかと気合を入れ直して、右手で口を押さえた。
あとちょっと、もう少しなの!
猫桃ちゃんが、ペアシートに戻ってくれれば!
「……じゃあ、わたし戻ってるね。愛流、何かあったら、すぐ連絡して!」
「う、うん! ありがと!」
すたすたと、彼女の足音が遠ざかっていく。
た、耐えた?
「おっと。ふふ、君は本当に我慢強いね。そういうところも、可愛いのだけれど」
油断して全身の力が抜けたあたしを、或留好が仰向けに座りながら抱きとめた。
倒れた反動で向かい合うように重なったあたしと彼女の顔の距離は、吐息がかかるくらい近かった。
「愛流。まだおしおきは終わっていないよ。君は、ご主人様の言いつけを破った、悪い子なんだから。もう、私に逆らっては駄目だよ?」
「ある、すぅ……っ」
怒涛の急展開で脳がパンクしてしまったのか、徹夜明けみたいにぼやっとした感覚が、全身を包んだ。
或留好の唇が、近づいてくる。駄目、こんなの、避けなきゃっ!
あたしの意思に反して、身体は無抵抗だった。
抱き寄せられて、彼女の体温を間近で感じる。
とくん、とくんと、胸が高鳴る中、あたしと或留好の唇が――
「愛流、やっぱりわたし気になって戻ってきちゃった――」
がらがらと、ちょっとだけ大きな音を立てて、後ろにあるドアが開いた。
あたしと、或留好と、猫桃ちゃん。三人の視線が錯綜する。
「……え? 何、これ。意味、わかんないんだけど」
困惑したような猫桃ちゃんの笑顔が、目に入った。
額を押さえて小さく首を振る彼女の姿は、幽霊みたいにおぼろげだった。
「ちがっ、これは」
「悪いね、猫桃。こういうことなんだ」
「ぁっ」
或留好は、まるであたしという存在の所有権を主張するみたいに、思い切り身体を抱き寄せた。猫桃ちゃんの方を見る猶予すら与えてくれない、強硬だった。
「は、はは。嘘。嘘、嘘。うそうそうそうそうそうそうそ」
壊れたオーディオみたいに、猫桃ちゃんは何度も繰り返した。
愛くるしさがふんだんに詰まっていた声は、感情が抜け落ちてしまったみたいに、無機質になっていった。
「違うの、猫桃ちゃん、これはっ」
「何が違うの……? そんな格好で抱き合って、何が違うっていうのよ? 答えてよ、愛流。何が、違うの、よぉ……っ」
渇いた笑顔の猫桃ちゃんの頬を、涙の雫が通っていった。
駄目だ、あたしがどれだけ言葉を重ねても、聞いてくれない。だったら!
「或留好、ほら! あんたからも説明してよ!」
混乱の極致に到達してしまったあたしは、あろうことか諸悪の根源である或留好に救いを求めてしまった。
「おいおい、何を言ってるんだいハニー。いつもみたいに、二人でじゃれてただけじゃないか?」
「ちょ、あんた何を言って――」
『……さいってい』
「猫桃、ちゃん……っ!?」
お腹の底が冷え切るみたいな、乾燥した声があたしの鼓膜を殴りつけた。
あたしを見下ろす猫桃ちゃんの顔は、夜のドラマで見るみたいな、旦那さんの不倫現場に居合わせた奥さんのように、怒りに満ちて歪んでいた。
「ありえない。ありえない。ありえない、ありえない、ありえないっ」
それは、まるで断末魔みたいだった。あるいは、地獄の底から響いてくる怨嗟かもしれない。耳にするだけで不幸のどん底に引きずり込まれるみたいな猫桃ちゃんの非難の言葉は、あっという間にあたしの身体を冷やしていった。
「なんで。なんでよ。なんで――」
下唇を噛んで、唇の端を歪めた彼女は。
「――なんで或留好があたしじゃなくて愛流なんかを選ぶのよ!!」
ドキッとした。
「猫桃ちゃん――」
叫んだ台詞の真意を問いただす間もなく、猫桃ちゃんは最後にあたしを睨みつけると、走り去っていった。
最後まで彼女の目尻には、涙が浮かんでいるのがわかった。
片想いして、やっと交際を始めた恋人に恨まれて放心しているあたしのことを、或留好は未だに抱きしめていた。
……え? 何、どういうこと?
猫桃ちゃんは、何に怒ったの?
ていうかこれ、結局あたし、振られたってことでいいの?
「……はは。相変わらず、面白いね、君は。まさかこんな見事に自爆するだなんて、素晴らしいよ」
沢山の疑問が頭の中に浮かび続けるあたしとは対照的に、或留好はとても楽しげに笑っていた。
「……ふざけんなよ」
「え?」
自分でも、恐ろしいくらいドライな声が漏れたと思った。
ドアを閉めて、あたしは、ぱちんと、自分の身体に触れていた或留好の手を払い除けた。
誰のせいだとか、一方的に罪をなすりつける気はないよ。
あたしにだって、きっとこの状況を未然に防ぐ手段はあったはずなんだから。
今日のことは、或留好が直接の原因かもしれない。
でも、きっとどこかにあたしにも落ち度があった。
だから、この件で或留好に詰め寄ったりはしない。
「親友が泣いてたのになんであんたは呑気に笑ってられるんだよ!」
「……っ!」
けど、大切な友達が悲しんでるのを見て笑うような感性を、あたしは許せなかった。
「ほんと、あたしってば最低だよ。せっかく好き合えた猫桃ちゃんを泣かせて。おまけに、こんな最低最悪な人格破綻者の言いなりになってさ」
「あ、いや、ちがう、そんなつもりで、言ったんじゃ……」
珍しく、或留好が狼狽えてる。いつものあたしだったら、からかったりするんだろうけど、今はそんな気分じゃなかった。
カレー屋さんに入ったら甘口じゃなくて絶対食べられない十辛を選んで自爆するくらい、自暴自棄になってる。
「もういいよ、或留好。あたしが間違ってた」
脱がされた服を拾って、着直す。
「あたしの動画とか、好きにしないよ。SNSにばら撒こうが何しようが、もう関係ないから」
着替えながら、泣いていた猫桃ちゃんの顔を思い出す。
本当に大切なことを、見落としてしまっていた。
嘘をついた自分が、誰かにとっての特別になろうなんて、虫が良すぎるよね。
「あたしは、ちゃんと猫桃ちゃんに謝る。これまでのことも、全部話す」
何度コールしても、猫桃ちゃんには繋がらない。
明日から、学校は再開する。
そこで、直接謝ろう。
「……そんなことをして、猫桃が許してくれると思ってるのか?」
「ぜんぜん。ていうか、許してもらおうなんて思わないし」
「じゃあ、なんで……?」
意味がわからないとばかりに眉をひそめる或留好に。
「――悪いことをしたら謝るのは当然じゃん」
「な……っ」
当たり前のことを言った。
「許す許さないを決めるのは猫桃ちゃんだし、その決定に縋ろうなんて思ってないよ。ただ、あたしがあたしを許せないんだよ。このまま、或留好に踊らされて、猫桃ちゃんを裏切り続けるのはさ」
着替え終わって、呆然としている或留好に踵を返す。
「あー、そうだ。ごめんね、或留好。先に謝っとく。あんただけが悪いとは言わないんだけどさ、それでもやっぱ許せないんだよ。あたし、子供だから。無意味だってわかってても、八つ当たりするから」
大きく息を吸って、吐き出す。
端的に感情を表現する言葉を脳内で探し出して、見つける。
「――あんたみたいな性悪とは、金輪際関わり合いにならないから! 二度とあたしに話しかけんな、ばーか!」
一生分の恨みがこもっていたんじゃないかというくらい大きなあたしの叫びが、静寂に包まれていた店内を駆け抜けた。
「お騒がせしてごめんなさい」
最後に、受付で謝罪して、あたしは店を出た。
最後に見せた或留好の顔は、まるで、大好きな玩具を取り上げられてしまった子供みたいに、情けない様子だった。
「愛流? ちょっと、どうしたのよその顔は!?」
「萌々寝……萌々寝……ももねぇ……!」
無我夢中で走った。
気がついたらあたしは、萌々寝の家に押しかけていた。
ぼろぼろと目からは涙がこぼれ落ちる。
萌々寝だってびっくりしたはずなのに、彼女は何も言わずにただあたしを抱きしめてくれた。
全身を包み込む萌々寝の温もりが、荒んだあたしの心を癒やしていく。
そうして、ちょっとだけ心にゆとりができると、頭に浮かんでしまうのは或留好の顔だった。
「ちょっとだけ、可愛いとこもあるじゃんとか思ってたあたしが、馬鹿だったのかな……っ。或留好なんて、もう、知らない!」
「愛流……」
困ったような萌々寝の呟きが、妙に頭に残るのだった。
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