第11話 天使は気まぐれ


「ね、猫桃ちゃん! 待たせちゃってごめん!」


 あたしは、或留好が寝入ったのを確認して、こっそり彼女の家を出た。

 そして、そのままの足で猫桃ちゃんが待つ約束のビーチに向かった。

 十五時を回ったけど、まだギリギリ海水浴楽しめる、かな?


「んーん、ぜんっぜん大丈夫だよー! 一人は一人で、結構楽しかったし!」


「ああ……そう言ってくれるとありがたい……」


 猫桃ちゃんの優しさに触れたあたしは、思わず泣きそうになった。


 真っ白な生地にさくらんぼの柄が入ったフリルショルダーのビキニに身を包んだ天女が、あたしを極上の笑みで迎えてくれた。


 小柄な身体とは正反対に自らを主張する大きな胸は、目に毒で。腰回りのラインはシュッとしてるし、海だから髪型も普段とは違って下ろしているしで、見ているだけで感謝の言葉が無限に溢れてきてしまう。


「あ……そ、そういえば! 一人で大丈夫だった!? 猫桃ちゃん、可愛いし、ナンパとか……?」


「だいじょぶ~! ちょうどね、お友だちも来てて、さっきまで一緒だったから」


「よ、良かったぁ……」


「愛流ちゃん。心配してくれて、ありがと♪」


 ちろっと舌を出して微笑む。心臓が撃ち抜かれたみたいな衝撃が走った。

 大幅遅刻についても怒らないし、本当に、優しいなぁ……っ。


「ね、愛流ちゃん」


「な、何?」


「ぎゅっとして、いい?」


「ふぇっ!?」


 返事をする間もなく、猫桃ちゃんはあたしに抱きついてきた。

 ぐ、ぐあ……何これ……柔らかくて、温かい感触が、身体を、包んで……っ。


「愛流ちゃん」


「は、はい!」


「……いい匂い、するね」


 胸のあたりに顔を付けた猫桃ちゃんが、上目遣いにあたしを見る。

 いつもの可愛さとはちょっと毛色の違う、まるで或留好みたいに艷やかな声に、あたしの心臓はずっと早鐘を打っている。


「そ、そろそろ、離れてくれても、いいんじゃないかなあ、って……?」


「だ~め。これはね、わたしを放っておいた愛流ちゃんへの、罰ゲームなんだからぁ♪」


「ひぅっ」


 ゾクゾクゾクっと、背筋を悪寒が走っていく。

 な、なんだか、今日の猫桃ちゃんは、天使っていうか、小悪魔チック?


「ね、猫桃ちゃん! も、もう許してってば! これ以上されるとあたし、死んじゃう!」


「え~? そんなこと言われちゃうと、余計離したくなくなっちゃうよぉ♪」


 服の上からだけど伝わる猫桃ちゃんの温もり。そして、鼻腔をくすぐる果物みたいに甘い匂い。そして、見つめ合って離せない視線。


 あたしのあらゆる感覚が猫桃ちゃんに支配されていて、今にもパンクしてしまいそうだった。


「な、何でもする! 何でもするから許してよぉ!」


「今、何でもって言った?」


 ぴくりと、猫桃ちゃんの瞼が怪しげに動いた。

 彼女はあたしの迂闊な発言を見逃すことなく、あっさりと身体を離すと。


「じゃあさ、愛流ちゃん」


 二、三歩、軽快にバックステップを踏むと、両手を後ろにして、膝をやや曲げながら彼女は言った。


「わたしと、お付き合いして?」


「ああ、うん、お付き合いね。わかったよ、それくらいなら――」


 ピタリと、止まった。あたしの身体が。ううん、時間とかもだ、これ。


 世界から音が消えたような錯覚を感じる。


 今、なんて言った?


 ドツキアイ?


「それは喧嘩だよ~!」


 愉快そうに笑って、猫桃ちゃんは否定する。

 ということは、お付き合いって、あの、お付き合いデスカ?


「好きな人が、好きな人とする、ちょっと特別な感じのやつ、だよ?」


「や、やだなぁ、猫桃ちゃんってば! いくらあたしが冴えない女で場慣れしてなさそうだからって、変な冗談言っちゃ!」


「……冗談じゃ、ないよ?」


 ムッとしたみたいな、初めて見る彼女の、怒ったような顔。

 唇を可愛らしく尖らせて、眉は下がっていて。

 そのリアクションが、この場を冗談で流そうとしているあたしを場違いだって、責め立てる。


「冗談でこんなこと、わたし、言わないもん……っ」


「うぅ……っ」


 ほっぺが、焼いたお餅みたいに膨らんだ。


 拗ねた声といい、猫桃ちゃんって、全身凶器みたいな危なさ持ってるよ!


「ね。返事、聞かせて欲しいな」


 か細くて、消えていってしまいそうなほど不確かな声に、あたしの脳みそは機能不全を起こしていた。


 ど、ど、ど、どうすればいいの、これは!?

 正解を求めようにも、頼みの綱の萌々寝も笑留もここにはいない。


 自分で、考えなきゃ駄目なんだっ。


「愛流ちゃんは、わたしのこと……嫌い?」


 いいえ、大好きです!

 キラキラと、流れ星みたいに輝く猫桃ちゃんの二つの瞳。


 そんな純粋成分三百パーセントみたいな雰囲気で迫られたら、あなたに惚れているあたしに、抵抗なんてできるはずもなくて。


「あ、あのっ」


「うん」


「……あ、あたしで、ほんとに、い、いいの?」


 恥ずかしそうに、猫桃ちゃんは首を縦に振る。

 せっかくのお出かけを或留好の看病にせいで潰して厄日だとか思ってた少し前の自分を殴り飛ばしたい!


 安心しな、過去のあたし!

 徳を積んだ分、最高の結果になって返ってくるから!


「じゃ、じゃじゃ、じゃあ……がい、し……す」


「もっとぉ、おっきな声で、言って?」


 くすくすと悪戯っ子みたいに笑う猫桃ちゃん。

 あたしは、改めて覚悟を決めて、彼女に向き合う。


「こ、こんなあたしで良かったら、今後ともよろしくお願いします!」


「……嬉しい! わたしこそ、よろしくね! ――愛流!」


 ドクンと、心臓が跳ねた気がした。

 別にその呼び方は、萌々寝だって使うし、家族だって使う。

 誰かさんの専売特許じゃない。


 それなのにあたしは、猫桃ちゃんがあたしのことを愛流と呼んだ瞬間、或留好のことを思い浮かべていた。


 まるで、猫桃ちゃんによって、或留好との思い出が塗りつぶされていくみたいな。

 そんな感覚を、覚えながら

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