第4話 王子様はワガママ


 憂鬱な気分で、六月に入ってから二回目の登校をしたあたしの耳に、初夏を思わせるカラッとした声が響いた。


「愛流! おはよう!」


「おはよう、萌々寝」


 腰まで伸びた亜麻色のさらさらとしたロングヘアが軽快に揺れる。

 声の持ち主は、百日紅萌々寝(さるすべり ももね)。


 或留好の次に高身長で、大きな目ところころ変わる愉快な表情が特徴的な女の子だ。


 あたしにとって唯一の、保育園来の仲を持つ子だ。


 猫桃ちゃんを相手にした時に感じる緊張感も、或留好を相手取った時に覚える疲労感も感じない。学校でたった一人、気取らない・気張らない等身大の自分で向き合える、貴重な親友である。


「萌々寝はいいなあ。いいぞお、萌々寝」


「髪くしゃくしゃやめてよ! 朝セットするの、すっごく大変なんだからね!」


 と、口では文句を言いながらも萌々寝は、いつもあたしに触らせてくれる。

 なんだかんだ優しい子。好きだわぁ、友達として。親友として。愛玩動物として。


「愛流!」


「うん? どうしたんだい、萌々寝さんや」


「何よそのおばあちゃんみたいな喋り方は!」


 芝居がかった口調がお気に召したのか、萌々寝は怒りながらクスクスした。

 結構器用だなあ、萌々寝。


「愛流、大丈夫? 疲れてない?」


「どうしてそう思うの?」


「な、なんとなくよ! ただ、いつもよりちょっとだけ声の張りが弱くて、心配になったとかじゃないわよ! なんとなく、こう、そう思ったのよ!」


「萌々寝……萌々寝は一生そのままでいてね……」


「なんで頭撫でるのよ!」


 気疲れマックスの精神状態に萌々寝サンライズパワーを浴びると、うっかり召されそうになる。これだから萌々寝の友達、略してモモフレはやめられないぜ!


「萌々寝、お菓子食べる?」


「食べるー!」


「ヤムヤムつけ棒だよ~」


「これ、大好き! クッキーにチョコべたべたってするとね、幸福指数五倍になるのよ!」


 キラキラと目を輝かせて、赤い蓋を破って食べ始める萌々寝。

 ああ、ペットを飼うのってこういう気持ちなのかな。


 あたしは、萌々寝を見るたびにそんなことを思う。


「あ……萌々寝ってば、自分ばっかり食べちゃった……」


 しゅんとしょげる萌々寝。叱られた後の子犬みたい。可愛い。


「あ、あのね、もうほとんど残ってないけど、愛流も、食べる?」


「いーよー。おばちゃんはねぇ、萌々寝が美味しそうに食べてるのを見れたら、それだけでお腹いっぱいなのよ」


「変なの! そんなに言うなら全部食べるわ! 全部食べるわ。全部、食べるからね?」


「いーよー。遠慮しないで、たーんとおあがり?」


 あたしがそう言うと、萌々寝は独り占めした罪悪感がまだ残っているのか、複雑そ

うな顔を浮かべたまま、お菓子を食べ続ける。


 ああ、本当に誰かさんにもこれくらいの無邪気さがあったら、どれだけあたしは気楽だったか。


「きゃあああ~~~~~!」


「……うげ。婦女子共が色めき立ったってことは」


 背筋にびりびりとした悪寒が走り、あたしを黄色い歓声が上がった原因を突き止めるために、声がする方に顔を向けた。


「やあ、愛流。おはよう。清々しい朝だね」


 嫌そうな顔をするなよ。立場、わかっているよね?


「うん! そうだね、或留好! 清々しい上にあなたと同じ空間にいられて、あたしってば、すっごく幸せだよ!」


 恨むべきは謎に卓越したあたしの読唇術!

 口パクで喋る或留好の言葉を瞬時に理解したあたしは、ご機嫌を取るみたいに作り笑いを浮かべた。


 ……ふ、普段使わない使われ方をしている表情筋が、五秒で既に崩壊しかけてる。

 耐えろ、耐えるんだあたし!


 油断すればアトピーみたいなブツブツが皮膚に浮かびそうな苦しい心境だけど、ここで奴の機嫌を損ねたらあらゆる意味でまずい。

 私は、煮えたぎりそうな怒りを抑えて、必死に良い友達を演じた。


「……ご機嫌取りも必死だね。笑えるよ」


「……そう思うんなら解放してくれてもいいんだけど?」


「……そんなに動画を公開してSNSの有名人になりたいのかい?」


「……動画(そっち)は一生封印しろ! ていうか消去(デリ)れ!」


 親友をハグするみたいにあたしを抱きしめた或留好と、耳元でそんな会話をした。


「で、何の用よ?」


「決まってるじゃないか。今日の放課後、いつもの空き教室においで。たっぷりと交流を深めようじゃないか」


「……はい、喜んで」


 離れ際、最悪の宣告をした或留好に、あたしは精一杯の愛想を振りまいた。


(下手くそな笑顔の演技、上手だね♪)


 ぱくぱくと口を動かしながら漏らした皮肉を、執念深い私の目が見逃すことはなかった。


 あいつめ! 絶対に生まれ変わったら顎で扱き使ってやるからね!

 精一杯の呪詛を心の中で撒き散らして、席に戻る。


「愛流……兎女城或留好と、仲良しなの?」


「え? あ、ああ、うん、実はそうなの! いやぁ、私史上最高に目立つ友達ができちゃって大変だよぉ、あっはっは!」


 どこか物憂げな様子の萌々寝に、あたしが奴を敵視していることがバレないように笑いかける。


「愛流、あのね、あのね」


 もじもじと、萌々寝はまるでおトイレを我慢する子供みたいに、顔を伏せた。


「嫌なことがあったら、言ってね! 私は、愛流の……味方だから」


「……うん。ありがとね、萌々寝」


「だからわしゃわしゃしないで~~!」


 今日の放課後に待ち受ける、魔王なんかよりもよほど残忍な敵と戦う前に、あたしは心のライフポイントを回復させるべく、ヒーリングアニマルを精一杯愛でた。


 最後は、萌々寝が涙目になってしまったので予備に携帯していたキャンディを授けてご機嫌をとった。


 ああ、同じご機嫌取りでも萌々寝みたいに安らげるんならどれだけ楽しいことか。

 テストでいい点を取った小学生みたいに、飴を舐めながら喜ぶ萌々寝を見て、あたしはそんなことを思うのだった。




 例年と比べて気温が高くなると、季節を勘違いした桜の開花が早まる。スマホアプリのデイリーミッションを消化がてら目にしたネットニュースの記事を思い出す。

 春どころか既に夏だというのに、なんでそんなニュースを思い出したんだろ。


 ジィジィと鳴く蝉の声を聞きながら、あたしは溜め息をついて、ちょっとした現実逃避をしていた。


「ふむ。ご主人さまを待たせるとは、悪いメイドだね」


「お生憎さま。近年のトレンドは働き方改革ですので。シフト時間きっちり働くのがあたしの主義なの」


 五分前出勤すらしてやるもんかっ。

 あたしは、締め切った空間内で汗一つかかない或留好の優雅さにちょっとした苛立ちを覚えながら、そう言った。


「それで、今日の要求は何? またエロいこと?」


「この短期間で随分と嫌われたものだね」


「あんなことを命じておいて嫌われないって感覚があるんなら、病院行った方がいいと思うけど?」


「悲しいことに、嫌われないんだよ、私は。人気者だからね♪」


 嫌味なまでに眩しい微笑み。くそぅ、顔だけはいいよなあ、こいつっ。

 持って回った言い回しとか、きざったらしい振る舞いとか、ことごとく趣味じゃない。


 けど、視覚に訴えかけるビジュアルの悪魔的な破壊力だけは、認めざるを得ない。


「ふふ。そんなに見つめてどうしたんだい? 照れるじゃないか」


 きっと、或留好のファンならこの笑顔を見て卒倒するんだろうなあ。

 太陽より眩しいとか、平気で口にしそう。……おぇ。


「君はもう少し女性らしい振る舞いを覚えた方がいいと思うよ。多分、そっちの方が猫桃も好むだろう」


「え~!? ホントですかぁ? じゃあ、愛流ぅ、もっと清楚で可憐になりますねぇ!」


「……」


「コタツでみかんを食べてる最中に幽霊を見た、みたいな顔をするな!」


 どういう状況? と、自分で言ってて思う。


「こほん。まあいいさ。君のご指摘どおり、今日もエロいお願いを叶えてもらおうじ

ゃないか」


「はいはい。じゃあさっさと変態チックなお願いとやらを言ってみなさいな」


 平静を装って、あたしは極力或留好が喜ばない状況を作るために努力する。

 内心じゃ、当たり前だけど緊張してる。


 そりゃそうでしょ。だって同性相手とはいえ、脱ぐんだよ?

 でも、動揺すればするほど、目の前にいるサドプラネットからお忍びで地球観光にやってきた王子さまを喜ばせることになる。


 一度の接触でそれを理解したあたしは、ニュートラルを意識して、リアクションが大きくならないように、心で準備をする。


「ふぅん。余裕そうじゃないか」


「そりゃね。一回目はびっくりしたけど、あれで慣れたし。無茶なお願いされるってわかってれば、そんなに怖くないから」


「そうか。なら、遠慮なく」


 或留好は含みをもった笑みを浮かべながら、『ブラウスをめくって』と命じてき

た。

 よしよし! 同じことの繰り返しだ!


 これは勝ちのパターンに入ったか……?

 小躍りしたくなる心を抑えながら、指の動きが不自然に早くならないように自分に言い聞かせて、ブラウスのボタンに指をかける。


 そして、いざ脱ごうとした瞬間。


「ああ、そうだ。今日は私が脱がせてあげよう」


「はいっ!?」


 唐突に、或留好は思いついたみたいに言った。

 虚を疲れて動揺したあたしは、素っ頓狂な声を漏らしてしまった。


「くす」


 しまった! と思ったときには、遅くて。或留好はしてやったりという顔で、サディスティックな笑みを浮かべていた。


「や、やだ……やめて……」


「おや? 私に逆らえる立場だったかい?」


「ぐ、ぬぅ……」


 スマートフォンをちらつかせる或留好に、あたしは何も言い返せない。


「ほら、手を離して」


「……わかったわよ」


「おお、怖いなあ。まるで肉食獣みたいな目つきだよ」


「肉食獣はそっちでしょうが!」


 あたしの怒号みたいな大声にも動じることはなかった。


「ふふ。いい子だ」


 笑いながら、或留好はブラウスのボタンに指をかける。

 彼女の冷たい手がボタンを外そうと動く度に、指先が擦るみたいにお腹を撫でる。

 その異物感に耐えられないあたしは、そのたびに押し殺した悲鳴を上げてしまう。


「さあ、めくり上げて」


 指示通り、ボタンが外れたブラウスの下の部分を持ち上げる。

 するりとめくれて、お腹が露わになる。

 室内は締め切ってるせいで蒸し風呂みたいになっていて、身体に浮かび上がった汗が、全身を湿らせていた。


「ふぅ~」


「ひゃぅっ!?」


 突然、へそめがけて或留好が息を吹きかけた。

 背後からいきなり水をかけられた時みたいな、情けない悲鳴が出た。


「愛流は敏感なんだね」


「誰の、せいよ!」


「駄目駄目。可愛い子には笑顔が一番だよ。ほら、笑って」


「……っ」


「うん。それでいい」


 頬がひくついているのがわかる。

 腸が煮えくり返る思いで、あたしは笑顔を取り繕う。


 ……こいつ、絶対いつかやり返す!

 内心で復讐心を燃やしながら、あたしは或留好の言いなりになる。


 とんとんとん、と遠くの方で足音が聞こえるたびに、ドキンドキンと心臓が跳ね

る。

 もしこんな現場を見られたら、あたしの人生、終了?


「っ」


「ちょ、あんた、なに、して……ひぅん!」


 ざらりと、生ぬるい感触が私のへそを撫でる。

 見ると、或留好の指が、あたしのお腹の上をゆっくりと歩いていた。


「このまま汗を放置していたら風邪を引いてしまうだろう? だから、拭き取ってあげようと思ってね」


「だからって、そんな、最低なやり方しなくて……もっ」


 さわ、さわ。

 或留好は、あたしの反応を楽しむみたいに、じっくりと指先でお腹を撫で続ける。

 彼女の温もりに触れるたびに、あたしの身体は反射的に跳ねてしまう。


 我慢、我慢。

 そう思うほどに感覚は敏感になって、視界が滲んで、思考が纏まらなくなっていく。


「はぁ、はぁっ」


「どうしたんだい? 随分と苦しそうじゃないか」


「うる、さい。さっさと、それ、終わらせて、よ……っ」


 膝が笑い出した。

 あたしは強がりを隠すため、敢えて笑ってやった。

 それを見た或留好は、意外そうな顔をした後。


「背伸びする子は嫌いじゃないよ」


 あたしのお腹に手のひら全部をつけて、擦り始めた。

 汗ばんで熱くなった身体に、彼女の冷たい右手は、刺激が強すぎる。

 一撫でされるたびに、腰が抜けそうになった。



「あんた、絶対ろくな死に方しないわよ……っ」


「はは。私に限れば、そんなことはないんだろうさ。きっと誰もが羨む大往生さ」


 本気で言っているのが腹立つし、おそらく或留好の言う通りになるんだろうなって思ってしまうのもまた悔しい。


 兎女城、或留好。


 あたしと違って、何でも持ってて、欲しいものは望めば手に入るような、反則(チート)女。いつだって彼女は支配階級で、こうやって下界で足掻くあたしみたいな貧民を食い荒らすんだろうさ。


「頑張るじゃないか。意地の強さだけは、認めるしかないかな」


「ちょ、あんたっ」


 或留好は膝立ちになって、あたしのお腹に唇をつけた。

 舐めるでもなく、息を吹きかけるでもなく、ただじっと、唇を当て続ける。

 かすかな息遣いが、振動となってお腹を撫でていく。


 ……下腹部が、熱い。


「愛流。君は本当に、面白いなあ。ますます、可愛がってあげたくなるよ」


 じんじんする痛みに近い熱を覚えながら、あたしはこの気分屋がいつになったらイタズラをやめてくれるのか考える。


 弱音なんか、絶対に吐くもんか!

 たとえ死んだとしても、こんな理不尽な奴には屈服しない!


 じりじりとライフゲージが減って、赤点滅が始まってもなお、あたしの決心は鈍らない……はずだった。


「或留好~、どこ~?」


「っ!?」


 教室の壁越しに聞こえる、とある女子生徒の声を聞いて、血の気が引いた。


「はは。これはこれは。人生とは、意外なことが起きるから楽しいのかな」


 あたしの動揺を気取ってか、或留好は更に醜悪な表情になる。

 教室の壁越しに聞こえる声は、聞き違うはずがない。

 あたしが恋い焦がれる女の子にして、あたしが或留好の玩具になる原因にもなった女の子。

 恋々愛猫桃ちゃんの、ちょっとおっとりとした優しげな声だった。


「ほら、こっちにおいで」


「な……何、すんのよ?」


 唐突に、或留好が私の背中をぽんと押した。

 壁際に正面から押しつけられる。


「或留好~? いないの~? ……おかしいなあ。こっちの方に行ったのを見たって、聞いたんだけどなぁ」


 壁一枚を挟んだ向こうに、猫桃ちゃんがいる。

 自覚すると、私の心臓は更に暴れまわる。


 BPM千くらいはゆうに超えてそう。音ゲーのハイテンポな曲がのろまに思えるくらいだった。


「ひぅ!」

「ほら。声を抑えないと、聞こえてしまうよ?」


 後ろから覆いかぶさるような体勢になった或留好は、今度はがら空きのあたしの背中に右手を添えて、上下にゆっくりと動かす。


 慈しむような優しいタッチが、もしかしたら人によっては何物にも代えがたい至福になるのかもしれない。でも、あたしにとってこんなのは、単なる拷問だった。


 好きでも何でもない女の子に、遊び半分で弄ばれる。屈辱以外の何物でもない。


「或留好~?」


「なんだい、猫桃」


「あ、なんだぁ! そこにいたんだ!」


 ガラガラと、扉が開く音がする。


「何してるの~?」


「ちょっと先生に頼まれた資料整理をしていたんだよ」


 ドクドクドクドク。

 或留好がわずかなドアの隙間から、顔だけを出して廊下を覗いている。


「え~大変! わたしも手伝うよ~!」


「いや、問題ないよ。もうすぐ終わるし、この部屋は埃っぽい。猫桃の顔が汚れたらもったいないよ」


「え~、そうかなあ?」


「それに、お化けが出るかもしれないしね」


 ちらりと、一瞬或留好がこっちを見ながら、背中を擦った。

 指先がスカートの中に入り込んで、少しだけお尻に触れる。


「……ひっ」


「え? 今、何か聞こえた? やだ、或留好、本当に、お化け?」


「私には聞こえなかったよ。ということは、君だけを狙っているお化けかもね」


 嘘だ。

 言いながら、またしても或留好はあたしの腰を撫でる。

 すっかり冷や汗でびしょびしょで、触れているだけでも不快感が大きいはずなのに。


 或留好はむしろ面白がって、手のひら全部を押しつけるみたいに腰を擦った。

 すり、すり、すり。

 ぬめぬめした蛇が這うみたいなしつこい感触に、いい加減限界だった。

 だめ……もう……っ。


「もーやだぁ! 意地悪する或留好なんて嫌いだもん!」


 理性が決壊する前に、猫桃ちゃんは走り去った。

 あたしは遠ざかる足音を聞きながら、精根尽き果てたように膝をついた。


「危なかったね」


 わざとらしい発言に、返事をする余裕すらない。


「今のは私も焦ったよ。でも、おかげで面白いものが見れて、満足さ」


 額に手を当てながら、くすくすと笑う。

 こいつ……どこまでも人格破綻者だなぁ……!


「おや、まだ睨むだけの元気があるのかい。なら、最後にもうひと仕事頼もうかな」


 そう言って或留好は、先程まであたしの背中を弄んでいた右手を、あたしに向かって差し出す。


「君の汗のせいで濡れてしまった。拭いておくれよ」


 元はと言えば自分のせいでしょうが!

 憤る心に蓋をして、あたしはポケットからハンカチを取り出す。


「ああ、違う違う」


 或留好は、ちろっと、可愛らしく舌を出した。

 ま、まさか、こいつ?


「よろしくね」


 憎たらしい顔であたしを見つめる。

 ……選択肢なんて、最初からない。

 観念してあたしは、耳にかかった髪をかき上げながら、身体をかがめて或留好の右手に向かって。


「ん、ちゅ、ぺろ」


「ああ、これは、実際にやられてみると、凄く、くすぐったいね」


 舌を這わせた。

 少し塩っ気のある味が口内に広がっていく。


 すっかり疲弊したあたしの身体が水分を欲するのか、彼女の手を舐めるあたしの舌はあまり制御が効かない。


「躾のなっていない犬みたいだね。凄くはしたないよ」


 ゾクリと、背筋が震える。

 なんだろう、これ。


 或留好の声を聞いていると、浮遊感のような、虚脱感のような。一瞬だけ、全身が浮き上がるような感覚になる。


「ご苦労さま」


 三分くらい、或留好の言いなりになっていただろうか。

 満足したのか、彼女はあたしの舌から離れたた右手をそのままこちらの頭の上に乗せた。


「契約通り、ちゃんと相応の報酬を用意するよ」


 何度か髪の毛を撫でた後、或留好は颯爽と教室を出ていった。


「くっそぉ……豆腐の角に頭ぶつけて死んじゃえ! 馬鹿或留好!」


 誰に届くでもないあたしの叫びは、虚しく室内を木霊したのだった。

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