第3話


 子供たちが寝静まった家の中で、巻物を照らしていた蝋燭の火が揺れる。

「遅くまで術の勉強かィ? 熱心だねェ」

 姿は見えず、声だけがはっきりと聞こえる。その独特な喋り方ですぐに誰か分かるが、敢えて部屋の主は尋ねた。

「誰だ」

「なんだァ、耄碌もうろくジジィ。本格的に嫁さんのお迎えが必要かァ?」

 ケケケッと笑う。それは、昼間の時より明確な悪意と蔑みをもって。

「鼓が心配していたぞ。お前の口が悪すぎて周りから嫌われていると。またサヤにも余計なことを言ったんじゃないのか? あまりアレを構うのはやめろと言ったはずだ」

 怒りよりは呆れを多く含んだため息とともにそう言う。どうせ何を言っても無駄なのは分かっている。

「気ィ悪くするってことはさァ、後ろめたいんだろォ。アンタの娘、頭は悪くないもんなァ」

「理由はどうあれ、アレが鼓にとって必要なのは確かだ。それはお前も分かっているだろう」

「そうさ。だから程々にしといてやってるんじゃァないか。たまァに後ろから声をかけるだけサ。それでも随分オカシな顔するから面白いけどなァ。この間なんて──」

「その話はいい」

 苛立たしげに遮られ、彼はそれすら馬鹿にするように小さく笑った。

「お前の素行などどうでもいいが、任務はしくじるなよ」

「誰に向かって言ってンの? 今みたいなカンタンな仕事でしくじる方が難しいってモンだろ」

「お前に処理を任せたはずの子供が先ほど下流で見つかったと報告があった。この不手際はどう説明するつもりだ」

「アァ? アー、途中で邪魔がはいったンだよ。まさかあんなウルセェもんが里ん中を練りまわるとは思わねェだろ? ガシャガシャガシャガシャいってさァ。普段と人の流れが変わるなら、事前に言っといてくんなきゃァ」

「言い訳か。おかげで騒がれる前にあの家ごと片付けなくてはいけなくなった」

「アラ、カワイソー」

「子供は愚かだったが、両親は真面目でよく働く者たちだったというのに。勿体ないことだ」

「ハイハイ。悪かったよ。殺してくればいいんだろォ」

「母親は元忍だ。退いてしばらく経つから腕は落ちているだろうが、子供が事故ではなく、殺されたことには気づいているだろう。子供を失った母親は手負いの獣と同じだ。用心してかかれ」

「へェ、あのヒト忍だったんだ。珍しィねェ。あのガキ、実子だろ?」

「父親とは血がつながっていないがな。そんなことはどうでもいい。早く行け」

「ハーィ」


 トットットッ、わざとらしい足音をたててそれは離れていく。

「……はぁ」

 思わずため息がもれる。

 あのこちらをどこまでも小馬鹿にしている子供は、忍としてまだ若い。正式に任務をこなすようになってからもうすぐでやっと一年というところだ。けれども、それは最初から異質だった。人前に姿を現すのを嫌い、大抵は上か後ろから声が聞こえる。そして、現役を退き管理役にまわったとは言えまだ勘は鈍っていないというのに、この私が気配をさぐるのに労するほど洗練された忍としての技能。

 態度が悪かろうが、人望が無かろうがそんなことはどうでもよい。能力があれば評価などあとからいくらでもついてくる。鼓に対する執着だけがあれの弱点だが、それもあの才能を手元に置いておくためなら大したことではない。

 今回の失態は珍しいが、どうせ他の者に任せてもしくじっただろう。予測不能な事態ということもあったが、なにより忍は里の外の者には冷酷になれるが、中の者には愛情がある。そうやって心の均衡を保つよう教育されているからだ。だから今回のような──里の中に出た浅はかな裏切り者、口の軽い愚か者を処分するような仕事は、色々と気を回しても何かしらほころびがでる。けれどもあれは全ての感情を鼓にだけ向けて、それ以外の全てに対して恐ろしいほどに酷薄である。

 だから優秀な忍でさえ必ず一瞬は葛藤するような仕事であっても、一切の感情なく終わらせる事ができる。今回やつが失敗したのは本人が文句を言っていた通り、予定しなかった燐太郎の帰郷にあり、里の中で無理矢理に任務を続行するには制約が多すぎたのは事実だろう。むろん私も分かっていれば伝えていたのだが、どうにもあちら﹅﹅﹅の男も何を考えているのか分からないところがある。急に帰るのが早まったという言葉をどこまで信じていいものか。

「あれも忍になっていれば相当優秀だっただろうにな」

 惜しい惜しい、と思いながら、またため息をつき、巻物に目を落とし任務達成の報告を待つ──。


   ***


「母さん、母さん、あけて、母さん、母さん」


 暗闇の中で炭をいた呂色の刀を持ち鬼の形相をしていた女──母親だった女

 それは失った子供の声を聞くやいなや我を忘れ、刀を打ち捨て勢いよく家の戸を開ける。簡素な木建の戸を。

直一なおいち!」

 子供の名を叫び、そしてかしいだ。さっきまで歩くためにあったはずのそれが無かったから。

「やァちょっとでも足止めになればと思って仕掛けたが、まさかこうも上手く引っかかってくれるとはねェ」

 家の中に置いてけぼりをくった足が残っているのを見て笑う。

「直一、直一は!」

 地べたを這って女は叫ぶ。

「死んだの見ただろォが」

「声がしたのよぉ!」

「あァ、この声か『カアサン、カアサン、アケテ』って?」

 女は目を見開き、怒りに、叫ぶことすら忘れてぶるぶると震えながらその声を見上げた。息子にそっくりな声は、確かにそれから発せられた。自分とてかつては似たようなことが出来たのに、今はそれが信じられない。実はこの者が息子で、それが何かの間違いで自分を殺しにきたのではないだろうか、と思った。そうではないともう一方ではっきりと分かっていながら。

「……どうしてぇ……どうして、あたしの直一がぁ……!」

「仕方ねェ。お前の息子が馬鹿で口が軽かったのが悪かったなァ。となり町で修行のことを喋っちまうとはね。おかげであっちにも調査隊が行ったサ。大した情報は漏れてなかったみたいだがねェ。可哀想だが、こうやって最期に理由を知れただけでも感謝しな」

「……どうして?」

「アァ?」

 今度はただ悲しみだけを孕んだ目がそれを見上げた。女は、息子が殺されるに足る間違いを、この里では絶対に許されない罪を犯したのだと理解せざるおえなかったために、もはやそれを処分した者へ怒ることは出来なかった。体に心に染み付いた忍としての在り方が最後に人間的な悲しみだけを残して彼女はただ疑問をぶつけた。

「どうして、理由を教えてくれるのさ。お前は、あたしを声も出さずに殺せただろう。……頭領は、騒ぎになることをお望みじゃない。だからとて、お前はあたしたちに情を持ってるわけじゃない。ねぇ、蒲……あんたはあたし達のことなんか、気にもとめちゃいないはずさ。そうだろう」

「周りの家には薬を焚いてある。少々騒いても起きては来ねェさ。だがまァ確かにオレがそこまで面倒なことする必要はねェなァ」

「じゃぁ、なん、で……?」

 足からのおびただしい出血により、女は意識が朦朧としながらも聞いた。

「大したことじゃァねェ。鼓がアンタの馬鹿息子を心配してちょっと修行の面倒を見てやってたからサ。なんだかんだ鼓も楽しそうにしてたし、飯を食わせてもらったこともあっただろォ。その、礼だよ」

「……お前は、いつか、必ず鼓のせいで、死ぬよ。死ぬより、ひどい思いを、するかもしれない」

「あァ。きっとそうサ。だけどそれで良いんだ。オレは、そのために生まれたんだ。……アバヨ。お前はいいカアサンだったと思うぜ」

 動かない女の脈を確認し、足を縛って片付けをはじめる。

「やァ! すごいなコリャ。イイ嫁さんでは無かったみたいだァ。それとも、イイ旦那じゃ無かったのかネ」

 滅多刺しにされて家の中で息絶えた夫であった男を見下ろして、片付けの面倒さにため息をつきながら手早く処理を行う。

 ここまで家の中が汚れているならもう何しても一緒だと思い、運びやすいようにサクサクと切り分けて袋の中へ入れていく。場合によっては家の中を綺麗にするのだが、こうなってくると夜明けまでにそれをするのは無理だろう。畳も壁も箪笥も全部血まみれだ。となったら燃やしてしまうのが早いだろう。少々強引だが、一番綺麗なやり方だ。

 大事なのは、この家で人が惨たらしく殺されたという印象を持たせないこと。死んだことを全て隠すことは不可能だ。けれども、心の何処かに追放されただけなのではないか、という可能性を残させる。よしんば殺されたのだと理解せざるおえないとしても、それがあっさりと済まされたのではないかと思わせること。里内での裏切り者の処理をそうやって綺麗に終わらせることで、里人は明日からの日常を少しの喪失と悲しみだけ感じながら過ごしていける。

「オレがアンタの息子を綺麗に片付けてりゃあ、アンタもそうやって生きていられたのになァ」

 山中に掘った穴の中に二人をばらばらと投げ入れて死体の分解を早めるための薬を撒く。

 ……けれども仕方がない。一つの家庭より一人の少女のほうが蒲にとっては大事だった。彼女に知られるわけにはいかなかった。彼女にわずかでも憂いをもたせるわけにはいかなかった。

「疑念と怒りを持ったヤツから、この里では死んでいくんだ……」

 万に一つでも、あの子供の死体を知ることで鼓が悲しみ、そしてそれが殺したオレに対する憎しみや、頭領の命令が本当に正しかったのかなんて考えはじめたら。何もかもが壊れてしまう。


 ──翌朝になって、すぐに家が燃えたことも、その理由に対する推測も噂が流れたが、鼓は焼け崩れた家を見てたった一言。

「まだ直一も見つかってないのに」

 と少しだけ寂しそうに言ったので。蒲は鼓にだけ聞こえるように笑って。

「早く見つかるといいな」

 と言った。


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