みおちゃんがいちばんかわいいから

あわいむつめ

しばいぬ

 どうしてこんなものがほしいんだろう。

 クレーンゲームの筐体のなか、ライトに照らされてプラスチックの瞳を輝かせている柴犬を、わたしは凝視した。

 特別、愛くるしいとは思わない。作りがいいわけでもないし、好きなキャラクターというわけでもない。

 しかし店外からちらりと見えたこの柴犬に寄せられて、わたしはおこづかいの大半を失う羽目になった。

 わたしはこの柴犬が“ほしい”のだろうか。

 クレーンを移動させながら、一向に取れない柴犬にため息をつく。

 “ほしい”ということになるのだろう。

 入ったこともないゲームセンターで、やったこともないクレーンゲームに、数千円を注ぎこんだ。

 もうすぐ塾の授業が始まるのにここを離れる気にはならないし、下りていくクレーンに毎回ドキドキがとまらない。

 客観的には“ドハマり”していた。

 ……わたしはそんなに柴犬が好きだったのだろうか。

(最後の一回……)

 すっからかんになった財布を学生鞄にしまい、わたしは百円玉を投入口に押しこんだ。

 すぐにピロピロと音が鳴って、ボタンを押せと急かされる。

 わたしは震える手でボタンに触れ、台の上でコケている柴犬の真上でクレーンを停止させた。

 我ながら上手くいったと思う。

 アームは柴犬の中心でガバッと開かれ、柴犬を強く掴んだように見えた。

 ……しかし極めて弱く設定されたアームは、柴犬を持ち上げることすらなかった。

 少し位置のズレた柴犬が、ちょうどわたしの方を向く。

 チープな瞳が嫌に悲しげだった。

 

「…………」


 わたしがもう一度この店に来るときまで、この子はここにいてくれるだろうか。

 たぶん、いないだろうと思う。

 次、おこづかいが補充されるのが来月の初め。

 それまで二週間以上あった。

 仮に残っていたとして、取れるとも思えないし。

 残念、残念。

 そんなにほしかったわけでもないし、お金が尽きればしょうがない。

 唇を噛んで台を離れようとすると、後ろから声をかけられた。


「みおちゃん?」


 その落ち着いた声色には心当たりがあった。

 振り向くと思った通り、クラスで前の席のヨウちゃんだ。

 わたしと目が合ったヨウちゃんは小さく手を振りながら近づいてきた。


「わー、さっきぶり」

「……うん」


 ヨウちゃんとはついさっき、放課とともにバイバイをしたところだった。

 帰り際、塾があると言ってしまったから少し気まずい。

 べつに遊びに誘われていたわけではないけれど、嘘をついたみたいでいたたまれなかった。

 すぐに隣までやってきたヨウちゃんとわたしには、大人とこどもくらい背丈に差がある。

 もちろんわたしがこどもで、ヨウちゃんが大人だ。

 170……いや、もっと? 背伸びをしたわたしよりも高いことは確か。

 わたしがぼうっとヨウちゃんを見ていると、まるで親が子どもに向けるみたいな笑顔を返された。

 こういう余裕があるところが、本当にうらやましい。

 学校でも、わたしは先生に話しかけられると緊張してうまく声が出ないのに、ヨウちゃんは飄々とおしゃべりしている。……おしゃべりはしているけど馴れ馴れしくはない。

 近すぎず遠すぎず。

 一定の要望には応えるけれど、過度な期待は受け流す。

 先生にも、先輩にも、同級生にも。

 ……きっと親にも。

 憧れる……けれどヨウちゃんが大人であればあるほど、わたしがまだまだこどものどうしようもない奴なのを痛感してみじめになった。

 わたしがヨウちゃんより優れているところといえば……テストの点数くらいだろうか……?

 でもテストの点数もヨウちゃんがちょっと勉強したら抜かれそうだった。地頭は確実にヨウちゃんの方がいいと思う。

 考えれば考えるほど、ヨウちゃんはすごい人だった。


「これ、気になる?」


 ヨウちゃんが台の上の柴犬を見て言った。

 わたしの視線が無意識に柴犬に移っていたのを察してのことだろう。


「え……」


 でも惨敗したよ、とは言えなかった。

 わたしがもごもごしている間に、ヨウちゃんはすっかりやる気になっている。

「よーし」と舌をちょこんと出して、五百円玉を投入口に押しこんだ。


「あ……」


 止める暇もなかった。

 すぐにピロピロと憎たらしい音が鳴り出す。

 ヨウちゃんは「うーん」とザッと柴犬を観察すると、慣れた手つきでボタンを押した。

 がたがた揺れるクレーンを見つめて、「ここら辺かな」と手を離す。

 止まったクレーンは柴犬の中心から少し外れていた。

(ああ……)

 ヨウちゃんならもしかしたら……という期待が一気に萎む。

 ガバッと勢いよく開いたアームが哀れにも思えた。

 かわいそうに、下りたところで柴犬を掴むことすらなく……と眺めていると、なんとアームの先、ツメの部分が柴犬からぴょこんと出たタグの輪っかに差しこまれた。

 そのまま閉じたアームにタグが引っかかり、いとも簡単に柴犬が空中へ持ちあがる。

 そしてガタン、と取り出し口に落ちてきた。


「とれたー」


 と嬉しそうなヨウちゃんの横で、わたしは呆然としていた。


「すご……」


 一発だった。

 ヨウちゃんは取り出し口から柴犬を拾うと、当たり前のようにわたしに差し出してきた。


「え……」

「はい」

「その、わるいよ……」

「……?」


 なにが? と言わんばかりだった。


「ありがと……」


 恐る恐る受け取ると、柴犬は意外と大きくてずっしりしていた。

 手に触れるもこもこの体に、間抜けな表情がなんとも言えない。

 前足の裏、肉球の部分をもんでみるとほどよい弾力でとても心地よかった。

 

「かわいい……」

 

 顔がにやける。

 もう一度お礼を言おうとヨウちゃんを見ると、ヨウちゃんもにやついていた。

 普段のヨウちゃんはクールな感じが多いから、あまり見たことがない顔だ。

 ヨウちゃんは口角をむずむずさせながら言った。


「ほんと、かわいいね」

「うん。あの、ありがとうね。ヨウちゃん、やさしいね」

「どうしたしまして〜」


 ヨウちゃんが照れくさそうに頬をかくと、


『ボタンを押してね!』


 と高い声が鳴った。柴犬のいないクレーンゲームからだった。

 びくっとしたヨウちゃんが手元のパネルを確認する。

 そこには『4』と表示されていた。


「ああ、まだ残ってるんだった」


 ヨウちゃんはそう言い残してどこかへ歩いて行ってしまった。

 空っぽの台の前に、わたしがぽつんと取り残される。

(どこいっちゃったんだろ)

 見回してもヨウちゃんの姿はない。ゲームの筐体で入り組んだ店内は見通しが悪く、慣れてないわたしは簡単に迷子になりそうなほどだった。

(なんか……こわいかも)

 思えばよくゲーセンなんてところに入れたものだ。

 あちこちから騒音が響いて、客といえば男の人ばかり。

 制服の自分が場違いに思えて、だんだんと足下がふらふらしてきた。

(ヨウちゃん……)

 柴犬をぎゅうっと抱きしめると胴が潰れて足が曲がった。

 かわいそうだった。

 でも、わたしはさらに力をこめて顔を埋めた。わたしの鼻に柴犬の鼻が押されて、べこっとへこむ。

 なんともいえない、新品のタオルみたいな匂いがした。

 そのとき近づいてくる足音が聞こえた。


「これ、お願いします」


 ヨウちゃんの声だった。後ろに店員さんを連れている。

 なんだ、店員さんを呼びにいったのかと一人納得した。

 店員さんは手早く柴犬を台の上にセットする。

 それが終わると「大丈夫ですかね」と確認をとって、すたすた歩いていった。


「ありがとうございまーす」

 

 と見送った後、ヨウちゃんはわたしと目が合うなり申し訳なさそうに言ってきた。


「ごめんね、店員さん探すの時間かかっちゃった」

「……ううん」


 結局ヨウちゃんは、残った四回のチャンスでもう一匹柴犬を取ってみせた。

 二匹目もわたしに渡そうとしてきたので、断固として遠慮させていただいた。


「じゃ、おそろいだね」


 ヨウちゃんは上機嫌に笑顔をつくった。

 そしてヨウちゃんの柴犬をわたしの柴犬をくっつけて、「わー」とじゃれあうみたいに柴犬同士の顔を擦りあわせた。

 それが終わるとヨウちゃんが訊いた。


「ね、まだ遊べる?」

「うん……あ、でも、お金、つかっちゃった」

 

 わたしがうつむくと、ヨウちゃんは店の奥を指さして「じゃあ」と切り出した。


「プリクラ、撮る?」

「……」


 なにが「じゃあ」なんだ……? と店の奥を見ると証明写真を撮るやつの高級版みたいな機械がいくつか並んでいる。

 娯楽に疎いわたしでもあれがプリクラで、写真を撮る機械だということは知っていた。

 写真……思えば学校で年に一、二度撮られるだけで、自分で撮ったことなんてほとんどない。

 でも写真なんてスマホでいつでも撮れるのに、なんでわざわざお金を払ってまで撮るんだろう。

 ……考えてもよくわからなかった。

 きっとあの明るい半個室には、わたしの知らない何かがあるのだ。


「あの、わたしお金ほんとにないよ」

「大丈夫だよ、いこっか」


 ヨウちゃんはお金についてはまるで気にしていないようで、すぐに歩き出してしまう。

 わたしは手綱を引かれるようにしてヨウちゃんの後ろをとぼとぼついていき、プリクラの前までやってきた。

 ヨウちゃんが「どれがいい?」と訊いてくれたけど、わからないのでおまかせする。


「あー……なにが違うんだろうね」

 

 ヨウちゃんは少し迷ったあと、一番手前の機種を選んだ。

 そのプリクラは入り口にのれんみたいな布が垂れ下がっていて、ヨウちゃんがそれを手で押さえて、わたしを待ってくれた。お礼を言って中に入る。

 はじめてのプリクラ……!


「わぁ……」


 まるで宇宙船みたいだった。

 正面に大きなカメラレンズと、手前にタッチスクリーン。

 あとは照明と白い壁に囲まれた四角い空間。

 そこにきゃぴきゃぴした声のアナウンスが少しうるさめに響いていた。

 なにからなにまで不思議で、なんならこの空間の方が写真に残しておきたいかも。

 荷物も置かずにあちこち見ていると、カツカツというローファーの足音が狭い室内に響いた。

 ヨウちゃんがのれんから手を離して、タッチスクリーンの前に移動したのだ。

 その足音がやたら大きく聞こえて、わたしも自分のローファーで硬い床を軽く打ってみた。

 カッ、カッ──。

 鈍い音が狭い個室に反響した。

 さっきまで嫌というほど耳に入ってきたゲームセンターの騒音はどうしてか遠く。

 横を向けば目と鼻の先にヨウちゃんがいた。

 さっきからタッチスクリーンを真剣にペンでつついている。

 その整った横顔がなんだかきらきらして見えた。

 いつも気だるげな目もと、強めの眼光、薄くできた隈、作り笑いの上手なお口。

 ピアス穴のあいたお耳、触るとぷにっとしたほっぺ、それらをもったいぶるように隠す長すぎない黒髪。

 とても見ていられず、自分の髪をいじるふりをして目を逸らす。

(なにこれ)

 ほんの少しだけ、ドキドキしていた。


「はじまるよ」


 ヨウちゃんが言うと、すぐにカウントダウンが始まった。

 

『3』

 

 どうしよう。

 ポーズとか……ああ、前髪が変な気がしてきた。


『2』


 そわそわ。

 立ち位置はここでいいのか、顔は大丈夫か。

 もう手遅れなのに、不安ばかりが浮かんでは消えていく。


『1』


 そのときヨウちゃんが口を開いた。


「あ、ちょい遠いかも」


 同時に、ヨウちゃんの手がわたしの腰にそえられて、やや強引に引き寄せられた。


「……んっ」

 

 ぐらっと体が揺れて一歩分ヨウちゃんと近づいたわたしの体は、もうほぼヨウちゃんと密着する。


『はい、ちーず!』

 

 パシャっとわざとらしいシャッター音が鳴って、今、撮られたのだとわかった。

 もう撮影は終わったのに、体が棒みたいになったまま動けない。

 ヨウちゃんはわたしの腰に手を回したまま、左手にタッチペンを持って画面を操作している。

 ……息が止まるかと思った。

 でも、ぽふっとぶつかったヨウちゃんから柔軟剤とシャンプーと、学校を一日がんばったヨウちゃんのいい匂いがした。

(なんか……なんか……やば……)

 ヨウちゃんはわたしのこと、変に思わなかっただろうか。

 においとか、顔とか、振る舞いとか。

 撮った写真を見て『こいつブスだな』なんて思われたら、わたし死ぬかも。

 衝動的にヨウちゃんを見上げてもべつになんとも思ってなさそうで、余計に恥ずかしくなってきた。

 そのときヨウちゃんのタッチペンが画面をトントンと叩いた。

 なにかの入力が終わったのかな……とわたしは出口に向かおうとする。

 でもヨウちゃんの右手はわたしを離さなかった。


「……? ヨウちゃ……」


 わたしの声を機械から出た高い声がさえぎった。


『つぎはピースしてみよう!』


 うわ、まだ撮るのか。

 プリクラって何枚も撮るんだ……ぜんぜん知らなかった。

 すると挙動不審なわたしを見たヨウちゃんがやさしく教えてくれる。


「あと四回撮るよ」

「うっ、うん……」


 四回!?

 ……よんかい!?

 全部で五回も撮影するってこと……?

 驚く間もなくカウントダウンが始まる。


『3……2……1……はいチーズ!』


 言われるがままふたりでピースしてレンズを凝視する。

 パシャっと、二回目のフラッシュがたかれた。

 さっきのドキドキが落ち着いてきて、一枚目よりはマシな顔で撮れた気がする。

「これ、たのしいね」と画面を操作するヨウちゃんに呟くと、「ね」と返ってきた。

 わたし、奢られてるのに楽しみすぎかもしれない。

 そうしてすぐに次がはじまる。

 三回目。

 ポーズの指示はこうだった。


『ふたりでハートをつくって!』


 ハート!?

 ぎょっとしてヨウちゃんを見ると、「こうだよ」と手でハートの半分をつくってくれた。


「こう……?」

「そうそう」


 教えられるままわたしもハートの片側をつくって、ふたりで合わせる。

 ……できたハートはいびつだった。

 手の大きさが違いすぎて、真ん中で割れているようにしか見えない。

 恋人だったら破局していた。

 いや違う。そこじゃない。

 ハートに抵抗があるのはわたしだけなんだろうか。

 友達とハートって普通か? 普通か。え?

 ぐるぐるしているわたしを置いて、カウントダウンが進む。

 すぐにパシャっとフラッシュがたかれた。


「おてて、かわいいね」


 ヨウちゃんはやたら上機嫌だった。

 つくっていたハートを崩して、ヨウちゃんの指がわたしの指にからんでくる。

 ヨウちゃんのスラっとして長い指とわたしのちんちくりんな指。

 あわせてみると関節ひとつ分くらい長さに差がある。

 ショックだった。

 しかもどうしてか太さはそんなに変わらない。……わたしのほうが太い?


「そ、かな」

「うん」

「……わたしは……ヨウちゃんの手のがよかった」


 わたしがこぼすと、ヨウちゃんは手を引いて自分の手をまじまじと見た。


「手、小さいほうがいいよ」

「……なんで?」

「かわいいもん」

「……」


 お世辞かと思ったけど、ヨウちゃんは真剣だった。

 ……そういうものだろうか。

 ハートも満足につくれないのに。

 すると、不意に機械がポーズの指示を発した。

 一定時間たつと勝手に次に進む仕組みなのだろう。

 指示はこうだった。


『パートナーとハグ!』


「「──っ!」」

 

 耳を疑った。

 なぜかパートナー……恋人認定されているし、しかもハグ。

 これにはヨウちゃんも驚いたようで、目をまんまるにしていた。


「……しよっか」

「う、うん」


 なんか、気まずい。

 お互いにぎこちなくハグをする。

 ハグといっても、間に膜を挟んでいるような……抱きついてはいるけど、抱きしめてはいないくらいのものだ。

 友達なら普通にこれくらいする……はず。

 嫌じゃないけど、とにかく気まずい。

 心臓がバクバクしている自分が気持ち悪いし、ヨウちゃんにバレたくなかった。

 でもたぶんいま、耳まで真っ赤だ。

 カウントダウンを聞きながら、はやく撮ってと呼吸を止める。

 そのとき、なにを考えたのかヨウちゃんがわたしを抱き締めた。

 ぎゅうううっと苦しいくらい抱き締められた。反射的にわたしの手にも力が入る。

 わたしの耳がヨウちゃんの胸にぐっと押しつけられた。

(うわ……うわうわうわ)

 顔が胸に沈む。ヨウちゃんの胸は大きいというわけではないけど、でもぬいぐるみに顔を埋めるときみたいに、ふにい……と沈んだ。

 バクバク、ドキドキ。

 全身がヨウちゃんに包まれているみたいだった。

 カウントダウンが進んでいるような……でもまだ終わっていないような。

 フラッシュがたかれたような……でもヨウちゃんが離してくれないから、まだなのかも。

 どれくらい経ったか。

 とても呼吸を止めていられなくなって、深く、ゆっくりと息を吸った。

(〜〜!!)

 ヨウちゃんの匂いがわたしに入ってきて、体のなかまでヨウちゃんになった。

 ふらふらする。

 貧血でも起こしたのだろうか。

 足もとがおぼつかなくなって、抱き締められるままヨウちゃんに体重をあずけた。

 するとヨウちゃんの体がしなるように動く。

 そしてちょうど、わたしの頭をヨウちゃんが真上から見下ろすくらいになった。

 わたしの髪にヨウちゃんの髪がこすれて、くすぐったい。

 それがきっかけで、そおっと、上目遣いにヨウちゃんの顔を見てみた。

 真っ赤っかで泣きそうな顔のヨウちゃんが潤んだ目でわたしを捉えていた。

 絶対にわたししか見たことのない顔だ。

 そのとき、プリクラが指示を出してきた。

 さっきの撮影はとっくに終わっていたのだ。

 いまから最後の撮影がはじまる。

 少し音割れした音声が狭い個室に響いた。


『さいごはパートナーとちゅー!』


 耳障りな声だった。

 それで少しだけ我に返る。

 ふらふらがましになって、もたれかかるのをやめた。自分の足でふんばった。

 その間、ずっとヨウちゃんと目をあわせたまま。

 ……キスするつもりはなかった。

 でもこれではキスのために準備したみたいになってしまった。


『3……2……1……』


 カウントダウンといっしょに、ゆっくりとヨウちゃんの顔が近づいてきた。

 わたしも、背伸びをして目を閉じる。

 腰を抱かれて、わたしのお腹がヨウちゃんの腰にあたった。

 鼻と鼻が擦れて、おでこを髪が撫でた。

 パシャ!っとシャッター音がして、まぶたの向こうが一瞬明滅する。

 くちびるが触れたような、触れなかったような。

 あたまもからだも雲の上にいるみたいにふわふわしていた。

 撮影が終わったと音声が流れて、ヨウちゃんはすぐに体を離した。

 

「「………………」」


 互いに目があわないまま、ヨウちゃんがタッチペンでなにやら画面をいじっている。

 気になって覗いてみると、さっきの写真が表示されていた。

 真っ赤っかに浮かれた女子高生が、キス……しているようにみえる。

 けれど肝心の口もとはハートマークで隠れていた。

 どうやらヨウちゃんが隠したらしい。

 顔を覗きこむと、ヨウちゃんはバツが悪そうにそっぽを向いた。


「……出よっか」

「そ……だね」

 

 ふたりともうわずった声だった。

 床の端っこに置いていた荷物を拾い上げる。

 ヨウちゃんがさきにプリクラから出て、取り出し口にがさっと降ってきた写真を取った。

 そして無言でわたしの分の写真を渡される。


「あり……がと」


 どうするんだ、これ。とりあえず財布にしまっておく。

 その後、ふたりとも早歩きで逃げるようにゲームセンター入口の自動ドアをくぐった。

 ゲームセンターの騒音から解放されて、自動車の行き交う音に包まれる。

 十二月初旬、本格的に冷えこみつつあるゆるい風がわたしの浮かれた頬を少しだけ引きしめた。

 時間を見てみると、もうとっくに塾の授業が始まっている。

 習い事をサボったのは初めてのことだった……かな。

 ふとヨウちゃんと目があってどちらともなく別れを切り出す。


「じゃあ、またね」

「うん、また」

「……また、あしたね」

「……うん」


 ばいばい、と小さく手を振るヨウちゃんはすっかりいつも通りに戻っていた。

 手を振り返すと、ヨウちゃんは気がすんだのか背中を向けて歩き出した。

 片手に持った柴犬がシュールで笑いそうになる。


「どうしよっか、このあと」


 ヨウちゃんに取ってもらった柴犬に話しかけてみた。

 返事はなかったけれど、かわりに鞄のなかのスマホが鳴った。

 ……ママからの電話だった。

 ため息をついて、出る。

 

「もしもし、ママ」

 

 電話の向こうのママは、いまどこにいるの? と早口で訊いてきた。

 塾の先生あたりが心配してママに連絡したのかな。


「いま塾に向かってるところ。委員会でね、長引いちゃったの」


 訊かれてもいないのに遅刻の理由をでっち上げておく。

 ママはほっと一安心という感じで、要約すると「気をつけて行くのよ、大事な時期なんだから」になるお話をつらつらと叙情的に述べた。

 あいづちをしばらくうっていたらだんだんと語気が落ち着いてきたので、頃合いをみて会話を切り上げ、電話を終える。

 スマホをしまうと、どっと疲れが押し寄せてきた。


「あぁ……しにたいぃ……」


 べつに死にたくはないけど。

 ……クラスメイトとプリクラでえっちなことしてたんだよと言ったら、ママはどうなっちゃうんだろう。

 少しだけ想像して、怖くなってやめた。

 ほんとに死人が出そうだった。

 目の前の道路を行き交う車を眺めながら、柴犬をなでなでする。

(塾、めんどいなぁ……)

 ぼうっとして「あ」と声が出た。


「柴犬、どうしよう……」


 塾に持って行くわけにもいかないし、家に置いてくるのもママがいるから無理だし。

 学生鞄に入れておこうにも柴犬が意外と大きく、教科書やノート類が詰まったこの鞄にはきついだろう。

 ……いや、いけるか。

 逡巡の後、決断した。


「ヨウちゃん、ごめんね」


 一応ごめんねをしておいて、わたしは学生鞄にぐいぐいと柴犬を詰める。

 ぐいぐい、ぐいぐい。

 するとたちまち柴犬は原型を失って、ぺちゃんこの状態でなんとか学生鞄に入った。

 ふう、と一息。

 ファスナーが半分くらい閉まらないけれど、まあ大丈夫だろう。

 わたしはぺちゃんこの柴犬をぽんぽんと撫でて、塾への道を歩き出した。

 一歩、二歩……のんびり進む。

 途中、ふと頭に浮かんだ。

 かわいいものは、思わずぎゅっとしたくなる……みたいな、現象? 法則?

 なんだっけ。

 カッ、カッ、カッ、カッ──。

 ローファーを鳴らしながら考える。

 キュート……なんとか。

 キュート、キュート……。

 ああ。

 キュート……アグレッション?

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