第15話 名古屋へ

第15話 明日見る夕陽は今日と同じ色なのかな



◆◆◆


 トイレから中々出てこない九台の様子を見に行った宗吾が目にしたのは、夥しい血を流し、うつ伏せに倒れている彼の姿だった。


 何故? 先程まで楽しそうに笑って、はしゃいでいたのに。

 将来の夢もあって、前だけを見ていた、未来ある若者だったのに。何故こんなことになったのだ⁉︎ 


「……兄、さん」

「九、台く……九台ッ‼︎ どうしたッ⁉︎」

「熱い、熱いよ兄さん。僕、刺された、のかな?」

「おい! なんでこんなことになってんだよッ⁉︎ 台八ーーッ! くっ、今すぐ呼ばなくちゃあ、台八! おい、聞こえるか⁉︎」

「宗、兄さ、ねぇ、何で、あの人、が僕を」

「あの人って、誰だよ! 九台! 九台ぁ」


 九台の体から段々と体から力が抜け、目が虚になっていくのが、宗吾には分かった。


 瞼を重そうにし、閉じるのに抗っているその様は、とても眠そうにしている感じではない。もう閉じてしまったら二度とは開かないような、最後の抵抗だった。


「兄さん、母、さん。僕は、生まれてきて、良かったのか、な」

「九台! そんな悲しいこと言うな‼︎」

『おい宗吾兄ぃ。キュウタの何が悲しいって? あとキュウタよォ、このスタンプはどういう意味だ?』

「台八! 九台が刺さ……スタンプ?」


 やっと繋がった台八が口にした言葉の意味が分からなくて、宗吾はLINNEの通知を確認する。そこに来ていたのは、九台からのLINNEスタンプが二つ。送られてきているのは、トーク履歴の一番上にあった、家族全員が居るトークルームだ。


 その内容は、青っぽい色の野球帽を被った選手らしきキャラが『やっー!』と叫んでいるものと、織姫イチカと思われるイラストのキャラが『よろしく!』と拳を突き出しているものだったからである。


「って、台八! スタンプはいいから、スタッフか、警察か、医者を呼んでくれよ! 九台が! 九台がぁ」

『さっきからなんだよ宗兄ぃ? キュウタに何があったんだよ?』

「九台が、刺されたんだ」

『…………どういう意味だ……?』

「一塁側から回ってきて、二階のライトスタンド側に向かう廊下……右側の関係者専用の扉から入ってきて」

『ちっ、もう向かってるよッ!』


 しかし台八の激走は、功を奏さない。宗吾もトイレから叫んでスタッフを呼ぶが、既に手遅れだった。


 だって九台はもう立ち上がらず、息もしていない。

 目を閉じて、眠ったように動かないのだから。



 ライブが終わり、次々と退場していくファン達。


 その笑顔は、今日起きたことを何も知らない。


 織姫イチカに隠し子が居たこと。

 その子が生まれて初めて母を訪ねたこと。

 その母に拒まれたこと。


 そして、生まれてきた意味を疑いながら死んでいったこと。


 悦びに満ちた人々は、帰り際に、ドーム周りに留まるパトカーの多さだけが気になって、どうせテンションが上がりすぎたファンの騒ぎを牽制するためだろう、と勝手に想いつつ、何の気無しに帰路に着くことだろう。


 そんな中、宗吾と台八は未だ帰路に着けない状況にあった。


 事の連絡は零音、そして他の兄弟達に行き渡り、宗吾達はその間、重要参考人として且つ巳洞球打の身元保証人として、その場に残されていた。


「貴方達が、巳洞球打さんの御家族様でしょうか」

「はい。兄です」


 やがて大きな体格の男が二人、宗吾の元へ、駆け足でやってくる。


 それは父と母の代わりにやってきてくれた、一真と真二だった。


「一真兄さん、来てくれてありがとうございます」

「宗吾。詳しく聞かせてくれ」


 宗吾は今分かる、全ての事情を話した。


 九台と別行動をし、帰ってこないと思ったら、実の母である太田智香に会いに行くところを見つけたこと。

 そして、母に拒絶されて戻る途中、トイレに入った九台を待っていて、なかなか出てこないので様子を見に行ったら、何者に刺されていたこと。


「そうか。九台は、母に会えたんだな」

「はい……一真兄さん。ひとつ聞きたいんですが、九台くんの名前の漢字って〈球打きゅうた〉なんですね」


 警察が身元を特定するため、九台の脳デバイスのパーソナリティにアクセスした時、プロフィール画面には、どこにも〈九台きゅうた〉の文字は無かった。


 代わりにあったのは球を打つと書いて〈球打きゅうた〉。振り仮名は同じキュウダだが、どこにも〈九台きゅうた〉の漢字は無かったのだ。


「ああ、おれら兄弟は元々巳洞家の子ではないからな。漢数字の名前は当て字で、本当は別の漢字があるんだ」

「球打……か。織姫イチカが、そう名付けたんですかね」


 織姫イチカは熱心な広島の赤い球団のファンだということも知られている。

 その情報を思い出し、宗吾は彼女に想いを馳せた。


 今までは画面の向こうにしか居なかった、けれども今はこの建物内の何処かにまだ残っている彼女は、果たしてこの事を知っているのだろうか。


 やっと手が届く場所に来てくれた息子が、自分の知らない間に殺されて、何を想うのだろうか。


「ソウちゃん。ダイちゃんは何処なんだよ」

「真二兄さん。台八くんはあっちで聴取を受けてる」


 宗吾は警察が事情聴取と現場検証をしている奥へと、兄二人を案内する。


 辿り着いた男子とトイレの床には既に遺体が無い。


 代わりにあるのは、白くかたどられたチョークアウトラインの人型と、薄黒く変色した血溜まり。それを呆然と見つめ立ち尽くす台八だけだ。


「ダイちゃん!」

「兄ぃ達! 俺、俺」


 台八は真二に抱きつくと、その腹に顔を埋めて身体を震わせる。


 そんな彼を見て、一真も真二も、やっと実感が湧いてきたのだろうか。大切な家族、末の弟が何者かに殺され、死んだという事実に。


「兄さん達。これはオレの責任です。これじゃあ何のために付いてきたのか、分からない。オレが目を離さなければ、九台くんは、きっと」

「バッキャローが! オメーが謝ったって仕方ねェだろがよォ!」

「おい真二」

「だってよカズマ兄ぃちゃん、こんなこと、どうすりゃあ良かったってんだよ⁉︎ ソウちゃんが悪くねーのは分かってるよ! けど、けどよォ‼︎」


 真二のやり場の無い怒りは、振るわれた拳に宿り、そのまま壁のタイルを砕いた。


 グローブの付いていない握り拳からは血が滴り、時間の経った九台の血と混ざり合い、赤と黒に鈍く光っている。


「宗吾。後はおれ達に任せて、台八を帰してやってくれ。頼む」

「俺も残るよ! 一真兄ぃ!」

「ダメだ。警察の許可をもらって今日は帰れ。もうすぐ父さんも来る。警察には話したんだろ?」

「ああ、話したさ。でも、でも」


 台八の気持ちが昂っているのは分かる。

 しかし宗吾は、台八の心が壊れていないかのほうが心配だ。


 心配……なのだが、それでも台八は強かった。こんな状況でも、巳洞家の使命を忘れていなかったのである。


「俺、兄ぃ達に伝えることがあるよ。イナミのダチを名乗るやつに、関係者席で遭遇した」

「ガチかよダイちゃん⁉︎ どんな奴だ⁉︎」


 台八が涙を腕で拭って話しだしたから、宗吾も思い出して情報を補足する。

 彼が言いたいのはきっと、あの目つきの悪い女性のことだ。


「メアリーや母さんよりも日本人ぽい……でも金髪で、西洋人っぽい感じがする女です。身長は女性にしては高い方で、台八と同じくらいはあったかも」

「ん? その特徴は、まさか台八の」

「それでどーしたんだよダイちゃん! 何か聞けたのかよ⁉︎」


 一真がボソリと呟いた時、真二が被せ気味に尋ねてきたからその言葉の真意は伺えなかった。台八はポケットからメモ紙を取り出して、兄達に見せる。


「ここに、来いって、来週」

「愛知県……名古屋⁉︎」

「その人、俺にだけ話してくれんだってさ。信じていいのか分かんねェけど」

「は? 分かんなくても行くんだよ! そうしねぇと、キュウちゃんが報われねーじゃねぇか!」

「う、うう、キュウタ……バカやろぉ……!」


 台八は宗吾に寄りかかり、壁を叩くと、一度拭いたはずの涙が再び流れだす。


 甲子園で負けて、砂を掴む球児が如く、俯き、倒れ込もうとするから宗吾は慌てて支える。


 けれども、いくら支えても、力が一切無く、倒れていってしまうのだ。


 どれほど手を広げても、どれほど手を伸ばしても、届かないものはある。拾えないものはある。


 沢山取りたいのに、指の隙間から溢れてしまう砂のように、掴みどころのない哀しみが、掌の間から、只管に溢れていくだけだった。


 次の週。

 宗吾は台八と共に名古屋へ向かった。


 本当は父の秘書である藍莉が同伴してくれる予定だったが、ちょうど一週間前に骨折してしまったらしく、二人で行くことになった。


 朝九時半頃に着いて、東京に勝るとも劣らない大都会の青い空に手を広げる。


 空気は少しは熱い。

 日が出ているから、海の方へ散歩しに行くのも良いが、台八が来る途中ずっと名古屋の食べ物の話ばかりするからお腹が減った。


 朝リニアの中で駅弁を食べたのにも関わらず、遅めのモーニングと称して、カフェに行って小倉トーストでも食べることにしたのだ。


「本場のやつは美味ェわ!」

「小倉トースト食べたことあるのか?」

「ああ! 玖炉江がさ! 朝作ってくれんだよ! あれも美味ーけど、店で食うと特別な気分になれるっつーかさ、こう、なんかあるよな!」

「あはは。そうだね」

「昼は味噌カツ食おうぜ! 手羽先でも良いなー!」


 食べながら次の食事の話までする台八は、目を等号付き不等号みたいにして笑っていた。


 九台が亡くなってから彼は三日三晩ずっと落ち込んでいたが、日が経つ連れ、兄としての落ち着きを取り戻していっている。


 今はちょっとした旅行気分でテンションが上がっているのだろう。久しく見られなかった笑顔が見られて、宗吾も嬉しかった。


 九台を刺した容疑者についてだが、やはりあのトイレから出てきてすれ違った、黒いフードを被った、性別不明の人物で間違いない。と、監視カメラの映像からも分かった。


 けれど、そのものの素顔が映った角度の映像は無く、容疑者候補なんて、あの日ドームに来た全観客と全スタッフという気の遠くなるような数のため、特定に時間がかかるということだった。


「六時までどーするよ?」

「せっかくだから観光しない? 父さんも、この件以降は暫くキミとオレを任務に就かせないって言っていたし、これから部活に集中するためにも、今日くらいは遊ぼうよ」

「おう! そうだな!」


 名古屋港水族館に名古屋城、名古屋のドーム球場など、二人は時間まで色々見て回った。


 水族館近くの公園から見る海の景色。

 戦国武将の格好をしたご当地アイドルのショー。

 様々な思い出が出来たが、一番心に残ったのは、ドーム球場の周りを歩いている時、台八が話してくれた、自身と九台のことだった。


「アイツは、小さい頃から大人しくて、俺とは真逆の性格だった。臆病で、根性無しで、意気地無し。なんでも諦める。すぐに辞める。それでも末っ子だから皆んなに一番可愛がられてて、少し妬いたこともあった。でもアイツは俺の唯一の弟だから、俺が一番近くに居てやろうって思ったんだ」

「へえ。台八は偉いな。でも二人とも野球に一生懸命で、九台もそんな意気地無しには見えないけどなぁ」

「そだよ。唯一真逆じゃあないところがあるとすれば、野球は真剣だったっつーことだな」

「彼、すごい投手だったんだろ?」

「ああ。アイツはドラフトで一位指名を貰ってもおかしくないようなレベルの投手だぜ。俺のこともスカウトは見てくれていると思うけどよー。流石にアイツの比じゃあないぜ」

「キミ達二人が活躍する姿、観たかったな」

「観せてやるよ。絶対、成ってやる。アイツの分も背負って、二人分の活躍をしてやる!」

「二人分? なら投手もやったら⁉︎」

「良いねぇ! 二刀流だ!」

「目指すはオータニだ!」


 そんな歴史上の人物の名前を出して意気込みを語る彼と共に、宗吾は港橋広場公園に移動し、そして午後六時。宗吾と台八の前に、あの金髪の女性が姿を現したのだった。


「能く来たね」

「おばさん!」

「おばさんじゃあねェよ。お姉さんでもないけどな」


 約束通り、あの日の女だ。彼女は以前の格好ではなく、無地のタンクトップにカーディガンを羽織った、初夏の夜にはぴったりの、涼しげで、ラフな格好だった。





…………To be continued.




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