第3話 光の影
そして約束の日曜日。
私は一足先に公園に着いたため、ベンチに座って大橋さんを待つことにした。
体育祭の練習をする約束なので、今日は授業で使っているジャージを着ている。本当は、近所ですれ違うランニング中のお兄さんが着ているようなスポーツウェアが良いのだろうが、そんなものをインドア派の私が持っているはずもない。
まぁどうせ大橋さんと二人きりなのだから、服装なんて気にする必要もないだろう。
……いやしかし、休日に同級生と会うのだから、少しはそういうことを気にした方が青春っぽいのではないだろうか。
「大丈夫」「いやしかし……」――そんな風に自問自答を繰り返していると、遠くから5、6人程の女子グループが近づいてくるのが見えた。年齢は私と同じくらいに見えるが、服は私と比べ物にならないくらいオシャレなスポーツウェアを着ている。まさにカースト上位勢といった感じの面子だ。
もしかすると、私達のように練習をしに来た人達なのかもしれない。そう思った途端、「今すぐここを離れたい!」と、私の脳が拒絶反応を示し始めた。
休日に知り合いと会うのは青春っぽいが、同年代くらいの知らない人と遭遇するのは不幸以外の何ものでもない。お互いに「あの人同じ学校の人かな」とチラチラ窺い合うような、気まずい状況になるのが嫌すぎる。
私は膝上に置いてあるスマホに視線を戻し、大橋さんが来るのを今か今かと待ちわびる。
やがてその女子グループの顔がなんとなく識別できるくらいまで近くなると、そこから一人の女子が抜け出し、私の方に向かって走り出した。
「お~い! みっき~!」
「あ……大橋さん……」
大きく手を振りながら近づいて来る。
「お待たせ~! ごめんね、待たせちゃったかな?」
「あ、いや、今来たところだから……」
……あ、なんだか今のセリフ、青春っぽい。
無意識に青春を感じることができて、少し嬉しい。
しかし今はそんなことを考えている場合ではない。
「大橋さん、その、後ろの人って……」
今は大橋さんと一緒に歩いて来た人達のことが気になる。
「うん、友達だよ」
いつも通りの無邪気な笑顔で大橋さんは答える。
……やっぱり。
「明日、クラス対抗リレーがあるでしょ? せっかくだし、クラスの皆で練習しようってことになったんだ! ていうかみっきー、あの子達がクラスメイトだって完全に忘れてたでしょ~?」
確かにそう言われると、同じ教室にあんな人達がいたような気がしなくもない。
しかし大橋さんにとっては友達でも、私にとっては赤の他人。いきなりそんな人達を連れてこられても、心の準備が出来ていない。ここは適当な理由をついて帰ってしまった方が、精神衛生上良いかもしれない。
「あのっ、大橋さ――」
「おーい、光ー!」
しかし、そんな甘い考えが簡単に通るはずもない。いつの間にか大橋さんの友達がぞろぞろと集まってきて、私の周りをあっという間に囲んでしまった。これでは逃げようにも逃げられない。
「もしかして、この子が最近よく光と一緒にいるっていう子?」
「そう、みっきーこと影谷美姫ちゃん。
それはどちらかと言うと、私が言うべきセリフだろう。絶対に言わないけれど。
「ふーん、あなたが……」
友美と呼ばれるその人はさらりとした髪を耳にかけながら、私の顔をじっと覗き込んできた。
「あっ、え、えっと……」
友美さんの顔は女の私が見てもドキドキするくらい綺麗に整っており、つい言葉がどもってしまう。
「よろしくね、影谷さん」
そんな私を見て、友美さんはニコっと笑い、手を差し伸べてきた。
「あっはい、よろしくお願いします……」
軽く握手を交わすと、その周りにいる人達が「私も私もー」と言って、握手を求めてくる。いきなり人気者になった気分だ。
この人達となら一緒に練習してもいいかも……。
先ほどまで感じていた不安はいつの間にか消えている。自分でも優しくしてくれる人間に弱すぎると、つくづく思う。
「それじゃあそろそろ、練習始めちゃおっか!」
そして一通り握手を終えた後、大橋さんを中心にリレーの練習が始まった。
公園に落ちているイイ感じの木の枝を見つけたので、それをバトン代わりにして使う。
私の走る順番は友美さんと大橋さんの間。私は友美さんにバトンをもらい、それを大橋さんに渡さなければいけない。
運動神経の悪い私は何度もバトンを落としてしまうが、その度に大橋さんや周りの友達は笑って「ドンマイ!」と励ましてくれる。
大変だが、誰かと一緒に努力するということを経験して、私の心はだんだんと満たされ始めていた。
しばらくして、休憩に入る。
「喉渇いた~! みんな、自販機で飲み物買わない?」
大橋さんの提案に他の人達も「賛成ー」と言って、自動販売機の方へ歩きだす。
「あ、私ちょっとお手洗い……」
たくさんの人と話し、疲れてしまった。私は少し独りになりたいと思い、そのグループから一時的に離れることにした。
「みっきー、トイレの場所分かる? アタシ付いていってあげようか?」
「あ、いや大丈夫……」
大橋さんはそう言って、私の方に歩み寄ってくる。きっと純粋に心配してくれているんだろうけれど、今はちょっと勘弁してほしい。
そう思った瞬間、予想外の人物が口を開けた。
「――いや、私が一緒に行くよ」
「ゆ、友美さん……?」
「私もちょうど行きたかったからさ。いいよね?」
そう言われると、流石に断れない。
「あ、も、もちろん……」
私は渋々了承し、友美さんと二人でトイレに向かった。
「お、お待たせ……」
トイレから出て、先に待っていた友美さんと合流する。
「そ、それじゃあ行こっか……」
トイレに向かう間、友美さんとは一言も会話が発生しなかった。私も自分から話しかけるタイプではないので文句は言えないが、正直かなり気まずい状況だ。
「……ねぇ、ちょっといい?」
「は、はい……!」
ついに友美さんが口を開き、私は少し安堵する。ようやくこの気まずい空間から解放されるんだ。
――しかし、次の友美さんの言葉を聞いて、私はようやく自分の置かれている状況の不味さを理解した。
「アンタさぁ、いい加減光に付きまとうの止めてくれない?」
「え…………」
今までの優しそうな友美さんはもういない。
今、私の目の前にいる人は明確な悪意を持って話しかけてくる、私にとっての“天敵”だ。
「光が最近よく一緒にいる子だって言うから、どんな人かと思ったけど、全然大したことないじゃない。服はダサいし、しゃべり方はキモいし。足が遅いのは仕方ないとしても、バトンの受け渡しは全然上手くならないし。アンタがいるだけで、どれだけ光に迷惑かかってると思ってるの?」
強い口調で責められて、思わず足がすくむ。だんだんと冷や汗が湧き、心臓がきゅっと締め付けられていくのを感じる。
ここから自動販売機の場所までは少し距離がある。友美さんが多少声を荒げても、大橋さん達に聞こえることはないだろう。友美さんはそれを見越して私に付いて来たのだと、やっと理解した。
しかし理解したところで、もう遅い。目の前に存在する恐怖に身体は硬直し、喉が枯れて声を出すこともままならない。
黒いモヤがじわじわと視界を覆い、かつて見たことのある光景が頭の中を走馬灯のように駆け巡る――。
小学校の教室の前で、私は呆然と立ちすくんでいる。
「みきちゃんってさー、せいかく悪くなーい?」
「分かるー! なんだかいい子ちゃんぶってるよねー」
「この前も先生にお花なんかわたしちゃってさー!」
「あったあった! わたし軽く引いちゃったもん!」
「――キャハハ!」
私の悪口で盛り上がっている声が扉越しに聞こえてくる。私とよく一緒に遊んでいた人達の声だ。
その日私は、大好きだった友達が、本当は自分のことが大嫌いだったと知った。
それ以降、私は周りの人間のことが信じられなくなり、やがて保健室へ逃げ込むようになった。
あ……そっか……。
かつての記憶が蘇り、思う。
私のこれからの人生はきっとあの頃と同じで、変わりはしない。
誰かといくら仲良くなったところで、その友情は本物にはなれないからだ。みんな何かしら相手に思うことがあって、それを笑顔で塗り隠している。
私がその笑顔に怯えている限り、私の人生が変わることは決してないだろう。
「光もきっとアンタのこと邪魔な存在だって思ってるから。 もう関わらないでね」
……だったらもう、頑張る必要もないか。
そう思い、私が彼女の前から消え去ろうとした次の瞬間――。
「ちょっと、何やってるの!」
大橋さんの聞いたこともない怒鳴り声が聞こえてきた。
「友美、今の言葉どういうこと!?」
「光……」
大橋さんは私達の方へ駆け寄り、友美さんを私から引きはがす。
「アタシがそんなこと、いつ言った!?」
「光、これはその……違うの」
「何がどう違うっていうのよ!」
大橋さんは友美さんを突き放す。
こんなに怒った大橋さんの顔は見たことがない。
それは友美さんも同じだったのか、困惑した表情を浮かべている。
「…………帰るよ、みっきー」
大橋さんは私の手を取り、歩き出す。
「待って、光!」
後ろから友美さんの声が聞こえてくる。
「…………」
それでも大橋さんは無言のまま、歩みを止めない。
「大橋さん……」
私の手を握る大橋さんの手は、わずかに震えていた。
公園から離れた場所まで来て、私は大橋さんの手を引っ張り、足を止める。
「大橋さん……」
「…………」
あれから大橋さんはずっと無言のままだ。
「……どうして私なんかのために、あんなことを……?」
未だ震える大橋さんの手を見つめ、私は聞く。大橋さんだって、本当は友達にあんな風に怒りたくなかったはずだ。
大橋さんはよく「受けた恩は返すタイプだから」と言っていたけれど、その言葉の裏には大橋さんを突き動かす何かがきっとある。そう思い、私は大橋さんの手を握ったまま、じっと口が開かれるのを待つことにした。
やがて大橋さんは意を決したように話し始める。
「……昔のアタシを見ているみたいで、許せなかったから」
そう言って大橋さんは下を向き、言葉を継ぐ。
「小学生の時、友達の悪口を言ったことがあるの」
「えっ……?」
大橋さんが悪口……?
今の大橋さんからは想像もできない話に、私は一瞬自分の耳を疑った。
「軽い気持ちで言ったんだけど、でもそれがたまたま本人に聞かれちゃって。泣いてるその子を見て、アタシはとんでもないことをしてしまったんだって気付いた……」
大橋さんの声はだんだんと細く、弱く震え、握った手からは汗が流れ始める。
「その子とは大の仲良しで、いろんな遊びを教えてもらったのに、その恩を仇で返すことになった。アタシはその人の青春を奪ってしまったの……」
その言葉を聞いて、ハッと気が付く。
――私は悪口を言われた側の人間で、大橋さんは悪口を言っていた側の人間だったんだ。
「もしかして、恩はきちんと返すタイプっていうのも……」
「あの日以降、せめてもの罪滅ぼしをしようと思って、そうしてるの……」
「…………」
「でもその結果、みっきーを傷つけてしまった……」
大橋さんの手の力がだんだんと抜けていく。
「……もうこれ以上関わるのは止めるし、友美にもアタシの方から言っとくから、だから――」
すっと私の手から離れ、一歩下がる。
「こんなアタシをどうか許してください……」
大橋さんはそう言って頭を下げた後、背中を向けて歩き出す。
一歩、二歩、三歩……少しずつ、私達の間の距離は長くなる。
それにつれて、私の中の第六感が鳴らす警鐘の音は大きくなっていく。言葉では表現できないようなムズムズとした感情が湧き上がり、このままだと何か大切なものを失ってしまうと直感する。
七歩、八歩、九歩……十歩ほど離れた時、足音が二つ鳴り始める。
――私の足音だ。
九歩、八歩、七歩……今度はだんだんと距離が短くなっていく。
流れに身を任せ、大橋さんの背中を見送るのは簡単だ。そうすれば今まで通り友達も作らず、感情が動かされることもない、楽な日常に戻ることができる。
それでも――
三歩、二歩、一歩……今度は離さないように、がっちりと大橋さんの手を掴む。
そしてはっきりと、自分の気持ちを伝える。
「私も……変わりたいから!」
瞬間、止まっていた人生の歯車が動き始めた気がした。
「えっ…………」
大橋さんは急な出来事に困惑している。しかし、一度動いた歯車はすぐには止まらない。
「私も、大橋さんみたいに変わりたい……!」
「……アタシは、何も変わってないよ」
私は首を横に激しく振って、否定する。
「変わったよ! だって大橋さんは、少なくとも私の前では悪口なんて言ったことないし!」
「それは……そうだけど」
「それにあの頃から本当に何も変わってないんだったら、大橋さんはきっと今頃人気者じゃなかったし、私に青春なんて教えてくれなかったよ!」
大橋さんは誰かを傷つけた側の人間で、私は誰かに傷つけられた側の人間。私は大橋さんみたいな人のせいでこんな性格になってしまったのかもしれない。
しかし大橋さんは違う。あんなことがあったからこそ、自分を改めて、生き方を変えることが出来たんだ。
私と大橋さんは、例えるなら消毒液と制汗剤。
過去のトラウマを理由に自分の殻に引きこもり、人を寄せ付けない消毒液のような存在になったのが私。
一方、自分の過ちに気付き、人に配慮が出来る制汗剤のような存在になったのが大橋さんだ。
だからこそ私は、大橋さんのように変わりたいと思った。
「私……もっと大橋さんにいろんな青春を教えて欲しい」
「でも……今日みたいに、またみっきーのこと傷つけちゃうかもしれないよ……」
人と関わる以上、嫌な事もたくさんあるだろう。もしかしたら、また誰かの笑顔に裏切られるかもしれない。
それでも――
「……いいよ。それでも、私は大橋さんと友達になりたいから!」
「……!」
大橋さんの手を両手でしっかりと握る。
「私と……友達になってくれますか……?」
大橋さんの顔を見て、自分の思いを真っ直ぐぶつける。
「もちろん……! アタシ、受けた恩は返すタイプだから!」
大橋さんは一粒の涙を流しながら、ニコっとした笑顔で答える。
手の震えはもう、止まっていた。
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