第21話「威装」

「フィデリア。キミのその格好、暑くないのかい?」


 フィデリアが君臨する玉座の間。現在の室温は二十五度だった。

 外に出れば「暑い」、室内に入れば「寒い」。

 そんな温度差の中で、文句を言うハルトの姿は駄々をこねているようにも見える。

 だが、そう思われても仕方がない。

 彼ひとりのために城内の温度設定は見直され、“彼にとって”の“最適”に保たれているのだ。


 もっとも、これは我儘わがままを受け入れた結果ではない。

 ハルトの“子種”に悪影響が出ぬよう配慮された、魔王軍の戦略によるものだった。


「特に暑いとは感じないな、わらわは快適だぞ」


 フィデリアはそう言いながら、ふっと笑った。


 彼女の身を包むのは、黒鉄のアーマー。

 厳かな意匠を施されたそれは、ドワーフの名匠が打ち上げた傑作だった。


 豊かな胸元を押し潰すように締め上げながらも、下腹部は大胆に露出している。

 防御力よりも、“魔王の魅力”を引き出すことに特化した、計算され尽くした機能美である。


 灰銀の肢体を覆うハイレグレオタードには、ミスリル銀糸が編み込まれている。

 鉄鋼よりも強く、柔軟で、黄金よりも価値がある。

 属性への耐性を備えつつ、着用者の魔力にはよく馴染み、魔力を増幅させる。


 しなやかに引き締まった脚を包むハイサイブーツは、幻獣グリフォンのなめし革。

 風を切る猛禽もうきんの速さと、大地を踏みしめる獅子ししの力強さをもたらす逸品だ。


 それらすべてを包むのが、黒と紅を基調とした大マント。

 漆黒の生地に紅の縁取りが走り、背にはヴァルエンツァ家の紋章が、金糸で織り込まれている。

 “高位魔族エピックデーモン”特有の金属骨格の両翼は、器用に折りたたまれ、マントの内に隠されていた。

 剣も、矢も、銃弾すらも――あらゆる“敵意”を弾く、破邪の外套がいいん


 だが、それ以上に圧倒的なのは、彼女の身にまとう“覇気オーラ”だった。

 それは魔王の血に由来する、天性の力。

 いかなる装備をもってしても、こればかりは遮ることができない。


「本当かい? 例えばこれさぁ……」


 ハルトは椅子から立ち上がり、玉座へと歩を進めた。

 半袖に短パンという、謁見の間には到底ふさわしくない格好のまま。


「ひっっ!」


 メイド隊の誰かが、小さく悲鳴を上げる。


「こんだけ分厚いマントなんだよ。熱気とか籠りそうじゃないかい?」


 あまりにも自然に。何の躊躇ちゅうちょもなく。

 ハルトはフィデリアのマントの端をつまみ、ぺらりとめくった。


「ふむ……そう思うか?」

「うん。中は水着みたいなもんだから、涼しそうだけど……でも、この甲冑かっちゅうはなぁ……」


 ハルトは顎に手をあて、ふむふむといった調子で堂々と見つめる。


 ふたりは夫婦なのだから、本来なら何の問題もない。

 しかし、フィデリアは浮遊城ザイゲンシュタットを統べる“魔王”である。


「ちょっ、ちょっ、ちょっ! ……勇者さまっ!!」


 傍に控えていたミナが、思わず声を荒げた。

 沈着冷静。お堅いとすら評される才女。その彼女にしてはきわめて珍しい反応。

 案外にベッドの上では乱れるタイプではあるのだが、それはまた別の話だ。


「暑そう……か?」


 フィデリアの装いをしげしげと見つめながら、ハルトがつぶやいた。


「うん、暑そうだし……それに……心臓はカバーできてるけど、なんで鼠径部そけいぶとか、内股とかき出しなんだい? 動脈とか危な――」

「勇者さまっ!」


 ピシャリと叩きつけるような、ミナの声が飛ぶ。


「ん? どうした、ミナ」


 悪びられる様子もなく振り返るハルト。

 彼女は顔を強ばらせた。


「魔王さまのお召し物をめくるなんて……っ、勇者さま、それは非常識にも程があります!」

「マントだよ? スカートめくったわけじゃあないぞ?」


 反論するハルトだったが、ミナの口調は変わらない。


「承知しております。しかし、行為として十分に不適切です」

「えぇ~? そんなことないよなぁ? フィデリア?」


 同意を求めるように、玉座の伴侶へと視線を向ける。


「ふむ……ハルト。夫である貴様がすることなら、わらわとしては構わぬがな」


 フィデリアは涼しい顔でそう答えた。

 そのまま厳しい表情を崩さぬミナに目を向ける。


「ミナ。だが、気に病むな。貴様の忠言もまた、当然の務めであろう」

「はっ! ありがたきお言葉っ!」


 ぴしりと直立し、ミナは深々と頭を下げた。


「……スカートと言えばさ、これはスカートなのかい? 後ろ半分しかないんだけど」


 ちょっとしたバツの悪さを振り払うように、ハルトが話題を続けた。


 フィデリアが腰に履いた――いや、正確には“巻いた”という表現の方がふさわしいだろう。

 それは、正面を大きく開けた特殊な意匠の装備だった。


 隠すべき下着など存在しないのだから、道理は通っている。

 ただし、その作りは極めて繊細で、熟練の仕立て屋が手がけた業物だった。


「ハルト。わらわは魔王軍の総帥だぞ。いついかなる時も闘争に備えておる。これは腰回りを守るための甲冑かっちゅうよ」


 そう言って、フィデリアは脚を組み替えた。

 その動きにあわせて、腰に巻かれたスカートがガチャリと小さく音を立てる。


 黒鉄の装甲板が放射状に配置され、その隙間を繋ぐように布地が巧妙に編み込まれていた。


「ええ? よろいだって? だったらなおさら、なんで前を空けてるのか意味がわからないだろう?」


 ハルトの言い分は、実にもっともだった。

 だが、フィデリアは一切の動揺を見せない。


「正面からの攻撃であれば、かわせばよい。そのために、動きを制限する“前掛け”は要らぬのだ……それには……」


 言葉を区切り、フィデリアは肘掛けに腕を置く。

 そして顎に拳を添え、優雅に視線を流した。


「わらわに対して、真正面から挑んでくるものなど、そうそうおらぬのだ」


 フィデリアが淡々と口にする。

 圧倒的な強者である魔王に、真正面から挑める者など“普通の人間”にはいない。

 だが、ごくまれに人間の域を逸脱した“上振れ”が現れる。

 それが、勇者だ。


 一国にひとり現れるかどうかという、奇跡的な存在。

 その異常なまでの戦力をもってして、ようやく魔王に正面から挑むことができる。

 そうでなければ、そもそも“戦おう”という発想すら生まれない。


 ヴァルエンツァ家には、数千年に及ぶ血統の歴史がある。

 その長い時のなかで、歴代の魔王たちは幾度となく“勇者”と対峙たいじしてきた。

 正面から戦いを挑んでくる。それが勇者たちに共通する在り方だった。

 魔王たちもまた、そのすべてを真正面から受けて立った。


 血脈の最高傑作と謳われるフィデリアも、その例外ではない。

 これまで幾人もの勇者を退けてきたが、その中で最も手強かったのが目の前の夫。

 勇者ハルトだった。


「そうなの? だとしてもさぁ……」


 ハルトは首を傾げる。


 魔王の前に立つとはどういうことか。

 それは常人には想像もつかない次元の話だ。

 象の前に立つありのようなもの。あまりにも力の差が大きすぎて“戦う”という発想そのものが浮かばない。

 だが、ハルトは違った。


 “技能:解析Ⅳ”。

 その力によって、魔王の戦力を正確に見極め、自らの力量と照らし合わせ、冷静に勝機を判断する。

 いまの実力ではフィデリアには勝てない。


 それでも、成すすべなく敗れるとは思っていない。

 いずれ近い未来に彼女を超える日が来る。

 ハルトはそう確信していた。

 そしてそれは、フィデリアにとっても望む未来にほかならなかった。


「どうした? 心配なのか? 仮に被弾しようとも、わらわの肌を裂けるものか」


 フィデリアが笑みを含んだ声で問いかける。


「その辺りの戦士や、魔物ならそうだろうね。でも、僕や他の勇者が相手なら。万が一があるだろう?」


 ハルトは真顔のまま返した。


「ふむ」


 フィデリアがわずかに眉を動かす。

 ハルトの指摘には否定できない一理があった。

 相手が勇者であれば、無傷では済まない可能性がある。


「それだと大腿動脈だいたいどうみゃくが丸見えじゃあないか? 甲冑かっちゅうとはいかないまでも、隠すべきじゃあないかい?」


 ハルトは視線をフィデリアの太腿ふとももに向けたまま、首をひねるように言った。


 しなやかに引き締まった脚線。

 露わになった内腿うちまたの肌は、柔らかく、かつ鋼のような強さを宿していた。

 武威と艶やかさを兼ね備えた、魔王の肉体。


 全身は厳重な装甲に包まれているが、下腹部だけは大胆に開け放たれている。

 重厚な防備のなかで、むき出しとなったその箇所は、かえって視線を惹きつける。

 結果として、その色香はむしろ際立っていた。


 ダイスワールドにおいて、強者の戦闘は派手だ。

 勇者であれば、その剣の一振りで空を裂き、大地を割る。

 魔王がにらめば、一国の軍勢すらたじろぐ。

 士気が崩れ、戦列に重いデバフが降りかかる。

 これは比喩ではない。技能スキルによる明確な“効果”だ。


 その反面、本物の強者同士の戦闘は、意外なほど地味になりがちだった。

 互いの技能スキルが、互いの技能スキルを打ち消し合い、最終的には純粋な近接戦闘に収束する。


 ハルトの心眼と、フィデリアの魔眼。

 未来すら見通すかのようなそれらの感覚も、互いに干渉しあえば帳消しになる。

 最後に効いてくるのは“服で急所を隠しているかどうか”という事実だった。


「んも~、勇者くん! 魔王さまの御御足おみあしを他の男に見られたくないって言えばいいのにぃ! 素直な方がいいですよぉ?」


 夫婦の会話に割って入ったのは、ネメラだった。

 魔王軍最年長のリッチである彼女は、数千年物の世間知らず。

 気にせずズケズケと話に入ってくる。


「ネメラ! 何を言ってるんだ? 僕は純粋に――」

「魔王さまを独り占めしたいんですよね?」


 ハルトの反論に、ネメラがすかさず被せる。


「はぁっ? そんな話はしていないだろう?」


 動揺するハルトに、今度はフィデリアが口を開いた。


「なるほどのぉ……わらわとしては、不安にさせるつもりなど毛頭ないのだがな」


 フィデリアは静かにそう述べた。

 特に感情を交えることもない、淡々と事実を口にする。


「わらわは貴様の妻。貴様のものよ……しかし……」


 視線を正面に据えたまま、わずかに語調を落とす。

 その声音は変わらず平静だが、言葉に込められた意味は重い。


「……わらわは王である。この身は、貴様ひとり“だけ”ものではない。魔王軍すべての者のもの――そして、国で待つ民草のために在る」


 立場を明確に示す、理知的な言葉だった。

 個人としての情よりも、当主としての務めを優先する。

 それが、フィデリアという存在であり、魔王としての覚悟だった。


「いやっ! だからぁ!」


 ハルトが声を上げるが、それを遮るようにミナが一歩前へ出る。


「勇者さま。そもそも魔王さまのお召し物は、ヴァルエンツァ家の伝統に則った“威装”です。それを破廉恥などと評するのは、勇者さまが普段からそういうことばかり考えているせいでは? ……少しは反省なさってください」


 彼女は眉ひとつ動かさず、早口気味に一息で言い切った。

 淡々としながらも、どこかあきれをにじませるような声音で。


「僕は一言も破廉恥とは言ってないぞ! 話聞いてくれよっ!」


 暑い日は、まだまだ続く――。


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