江戸陰陽師

 事の次第を理解した吉宏は、懐から三枚の正方形のお札を取り出した。

 そのお札にはそれぞれ黒い墨で“式”と書かれている。


 吉宏はお札を口元に近付けて、ぶつぶつと小声で真言しんごんを唱えた。

 そして唱え終えると、お札は一人でに折り紙のように折られていき、蝶の形を作り出す。

 折り紙の蝶はまるで生きているかのようにその翼を羽ばたかせて吉宏の掌から飛び立ち、江戸の空へと飛んでいく。


 今のは式神しきがみである。式札しきふだという札に、妖怪や霊を封じ込めて必要な時に飛び出して使役する。

 たった今、吉宏が出して見せたのは蝶の妖怪を封じ込めた式札で、江戸市中で何かを探す時に吉宏が好んで使う式神だった。


「相変わらず便利なものだなぁ」


 普通の町人が見たら、驚いて声を上げそうな光景だが、幼い頃から吉宏の陰陽師としての姿を見てきた宗次郎は今更驚きはしない。


「ただ、あれの探査能力はあまり高くはないから、そこまで当てにはできないけどね。捜し物なら僕の式より、宗次の式の方が得意だと思うけどな」


「え? あぁ、いやいや。うちの蛇は動きが鈍いからな。とてもこの広い江戸を探し回るなんてできねえよ」


風魔忍者の頭領は代々蛇のあやかしを使役していた。

しかし、今回の任務には不向きだろうという判断から、宗次郎はその蛇を使わずにいたのだ。


「さて、俺達も行くとするか!」


「うん!」


 そして二人は江戸の町へと繰り出す。

 その道中、宗次郎は吉宏に昨夜の仕事について尋ねてみた。


「にしても吉宏、昨日は何時に帰ってきたんだ?」


「え? う~んとね。丑の刻 (午前一時から午前三時頃)ぐらいかな。昨日は高橋様と大徳院様から担当を押し付けられちゃってさ。いつもの三倍は掛かっちゃったんだよね」


「またその高橋と大徳院かよ」


 御用陰陽師は、夜中にそれぞれ江戸市中の担当地域を見回りして物の怪の類がいないかを探すのが職務となっている。

 昨夜の当番だった吉宏は、同じく昨夜が当番で別の地域を担当していた高橋と大徳院という二人の先輩陰陽師に、体調が優れないから代わりに見回りをするよう頼まれていた。

 そして、それは一度や二度の事ではなかったのだ。


「どうせまた仮病だろ。吉宏は大人しくて人が良いからな。まんまと良い様に使われてるんだよ。サボった奴の担当地域なんて放っておけば良いのさ」


「でも、だからって誰も見回りをしないわけにもいかないでしょ」


「ったくお前は真面目だな。働き過ぎてると、その内に本当に身体を壊すぞ」


「ふふ。大丈夫だよ。宗次とこうしてるだけで疲れなんか吹き飛ぶから」


 ニコッと笑う吉宏の笑顔を見て、宗次郎は思わず頬を赤くしてしまう。

「そ、そうか。なら、良かったよ。でも、連れ出しておいて何だけど、疲れてるなら無理するなよ」


「ありがとう、宗次。でも、ここ最近の辻斬りに妖怪が絡んでるんだとしたら、見つけられなかった僕等の責任でもあるから。できる限りの協力はするよ」


「別に吉宏の責任じゃないだろ」


 御用陰陽師は二日に一度の夜、十数人でそれぞれの担当地域を見回る規定になっている。

 しかし、この広い江戸の町を十数人程度で見回り切れるはずもなく、実際には半分近くの地域、比較的田舎で公儀としては重要性の低い所は手付かずになっていた。


「それじゃあまずは、昨夜の事件現場に行くとするか」


「うん。そうだね!」


グウウキュルルル~


 二人が仲良く肩を並べて江戸の町に繰り出した瞬間だった。

 吉宏のお腹が豪快な音を立てる。


「あはは。ごめん、宗次。僕、昨日の朝から何も食べてないんだ」

 吉宏は照れ臭そうに後頭部を右手で掻きながら言う。

 家計が火の車の桐御門家では一日一食が基本で、その一食も一般家庭の半分程度の量しかなかった。

 育ち盛りの吉宏の胃袋がそれだけで満足できるはずもない。

 特に夜のお勤めの後なので、吉宏の空腹具合は限界寸前だった。


「しょうがねえな。まずは朝餉あさげを食べに行くか。吉宏は何が食べたい?」


「宗次と一緒なら何でも良いよ」


「お! 嬉しい事を言ってくれるじゃねえか! じゃあ、寿司でも行くか」


「良いね! 行こう、行こう!」

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