第3話



「それが1年前?」



バーのカウンターに立つ男が不思議そうに聞いてくる。意外だという顔を私はじっと見た。



「はい。」


「へえ、それからずっとあの双子が君を傍に置いてるのか」



楠木義彦という男はそう言って、トレンチの上にグラスに入ったコーヒーを置く。


じっと私の顔を見て来るから、居心地が悪くて私は目を逸らす。




「…なんでしょうか。」


「いや〜意外だなぁと思って、あのふたりがお互い以外の相手に執着することないから、ましてや女の子なんて。」



その言葉に私は少し黙る。そして、静かに言葉を吐き出した。



「おふたりは私に執着なんかされてません。都合がいいから、傍に置いているだけです。」


「でも身の回りを世話をしてるんだろ?今や、君が居なきゃ生きてけないんじゃないか?」




そんな馬鹿なと心の中で思う。


確かに、あの日から私は彼らについて生きてきた。それでも、ホテル暮らしは変わらないし、命令以外必要最低限のことしか手を出していない。




「…。」




黙る私に楠木義彦は苦笑いを零す。謝るように、笑ってから言葉を吐き出した。灰色の煙がその場に上がっていく。




「不都合は無いのか?」


「…不都合と言いますと…」



聞き返すと彼はちらりと私を見た。全身をじっと見られたことに対して、不快感を覚えた。



「まあ、見る限り乱暴にはされてないみたいだが、所詮男と女だ。迫られることもあるだろ?ムリにされてないか?」


「…。」



このクソジジイと心の中で呟いた。と言っても、この人の表情を見ると本気で心配しているんだろう。



あのふたりの性格を知っていれば尚更だろう





「申し訳ありませんが…」



「あはっやば〜セクハラジジイいんじゃん。」



声が聞こえてビクッと肩を揺らす。見れば、真隣には白髪が立っていた。


しまった、聞かれたと思った時には既に呉は上機嫌だ。




「何面白そうな話してるの〜?」


「お前らが乱暴にしてないか確認してんだろ。」



その言葉にもう何も言わないで欲しいと心の中で願うが、呉はカウンターに肘を着いて、両手の上に顎を置いてこちらをニンマリ見る。




その視線に嫌な予感がして、目を逸らした。



「イロハ〜」



嫌な予感は的中する。今の私は彼の格好のおもちゃだ。



「僕らに乱暴されてるの〜?」


「いえ。」



まるで他人事のように聞いてくる呉の言葉に淡々と答える。



「イロハに酷いことしてる?」


「いえ」



楠木義彦は口に煙草を咥えて、呉の様子を困ったように見ていた。段々と近づいてくる呉から目を合わせず、言葉を繰り返していた。




「無理やりした事ないもんね〜?」


「ハイ」



その言葉に怪しそうに楠木義彦が目を細める。




「イロハは僕らのおもちゃだもんね〜?」


「ハイ。」



そこまで言ったところで、白髪の男…呉は私の顎を片手で掴む。それにビクッとして、彼と目を合わせた。




「じゃあ、ちゃんとこのセクハラジジイの要望に応えてあげないと。」


「…ハイ」




私は呉の言葉に、顔を上げる。楠木義彦をじっと見て、口を開いた。




「答えを述べますと、桐様も呉様も、このような性格ですが、自分からわざわざ、女性に手を上げるようなことはお好きではありません。自分より力のないものを相手するのは、面倒くさいかつつまらないからです。ましてや、私もこういう人間ですのでおふたりに無理やりにされたところで、抵抗する気がございません。桐様と呉様も面白みがないのです。そのようなことも含め、おふたりに無理やり組み敷かれるような経験はございません。今のところは。」


ペラペラと無表情で話す私に楠木義彦が目を丸くしている。その顔を見て、呉がケタケタと笑っていた。




「それに桐様と呉様は容姿が大変整われていますので、女性に困ることはございません。」




性欲処理の相手を私なんかがしなくてもいいのだが、彼らに求められたことがないと言えば嘘になるし、既にその経験が何度かある。





「酷くしたら、イロハが逃げるとか面白いこと言えばいいけどさ〜」



「逃げることは現実的に考えて不可能なので」



淡々と述べる私の言葉を聞いて、唇を尖らせて「ほら〜」と呉は言う。私に面白みがないと言いたいのだ。




「ふぅん。じゃあそんな女の子を傍に置いてる理由は?」




理解することを諦めたように楠木義彦が溜め息をついた。頭をかきながら、呉の方へ視線を向ける。




「ウン?決まってんじゃん」




何言ってるんだ、と言わんばかりの笑顔。呉が私の方へ指さして、頬をつつく。




「コレは僕らの従順なネコちゃんなの。どっかの狂犬とは違うネ」




その言葉に楠木義彦がハァ、と溜め息をついた。そして、煙草を咥えたままカウンターに頬杖を着いた。



「そんなにあの子が、3人を傍に置いてるわけが気になるのか?」



その言葉に呉はシラッと視線を外して、



「別に?アイツらがヒメに希望を見出してるのが気に入らないだけさ。」



頬杖を着いて面白くなさそうに言う。こういう顔の彼は珍しいので横目でじっとその顔を見た。



「自分たちには何の決定権もない、ただの飼われた犬ってことを理解した方がいい。家のことに口を出すなんて、与えられた命の意味を理解していないね」





与えられた命…





彼はそう言ってまたこちらを笑顔で見る。ビクッと思わず肩が揺れたが、彼は何食わぬ顔で私の頬を片手で挟んで、歪んだ目で笑う。




「その点、これは従順さ。面白味がないくらいだけど、それは今後に期待してるよ、イロハ」



「…か、しこまりました」



喋りにくさを感じながらも、頷く私を見て満足そうに笑った呉は手を離す。そして、楠木義彦の方を向いて



「僕らのおもちゃに手を出したきゃ出せよ、オッサン」



笑った。





「まあ、後でどうなるかなんて言わなくても分かると思うけど」




歪んだ目で笑う彼はそう言って踵を返す。階段を昇って片割れが待つであろう2階へ向かった。



その様子を見守って、私は息をつく。後ろで、




「次期当主様の玩具になんか、手出さねぇよ」



煙草をふかしながら引きつった笑みで困ったように言う。そして、溜め息をつくから私は階段の方から、また楠木義彦へ視線を移した。



「でも、ただのペットにしたって荷が重い。余っ程、暁のお嬢の護衛たちの方が幸運に思えるね」


「…どういう意味でしょうか」



含みのある言い方に聞き返すと、楠木義彦は口から煙草を離して続けた。



「あのふたりはまた他の家とは別の意味でバケモノだ。この世界で生きていく覚悟も素質もある。確実に組織の頂点に近い地位を確立するだろう。」





そんなもの、初めて会った時から目の当たりにしてる。


喉を掻っ切ろうとした私が持ったナイフを、躊躇い無しに掴んだ呉は平然としていた。それも彼らは頭がキレる。



暁月会と呼ばれる四家の内、ひとつに当たる己斐家は現当主…己斐 秋一様の亡き後は、彼らが既に当主として率いることが決定している。



己斐 穂恵(ホノエ)様は桐と呉の母親に当たるが、彼らを出産すると同時にこの世を去った。


そして、彼らの父親に当たる人間は、婿入りしてきたにも関わらず、遥昔に離縁しているそうで、己斐の血を引き継ぐものとして、彼らはこの家に重宝されているらしい。




「…存じております。」



呟く私の言葉に、楠木義彦は目を細めて同情するように笑った。





「ただの猫が着いて行くには、命が何個あっても足らないよ。」


「…。」



楠木義彦の言葉を頭の中で復唱した。じっと自分の手を見下ろして、一度握ってから顔を上げた。




「…それは願ったり叶ったりです。」




その言葉に楠木義彦が目を丸くする。まるで何を言っているのか、という顔だ。




「イロハ、いつまでジジイにセクハラ受けてんだ。飲み物」


「はい。」



上から聞こえてきた声に返事をする。吹き抜けの天井に、呉の片割れの黒髪の男の顔が見える。トレンチを手に取って、踵を返そうとすると…



「君が望んでその場にいるならいいけど、心が壊死しそうなら逃げるべきだと思うよ。」


「…はぁ…」



そう背後から呼び止められた。私は曖昧な返事をして、振り返ると彼はまた眉を下げて困った顔をする。




「君が本当に欠陥人間ならまだしも、真人間だとして、彼らの前で感情を吐露できないのは、あまりに可哀想だ。」



「…。」




私が欠陥人間?余程、あのふたりの方がネジが外れていそうだが、言わないでおこうと心の中で思った。




「…おふたりに感情の起伏を見せたら、玩具にされます。」



多分今も尚、私の表情はピクリとも動いてないのだろう。表情に感情を乗せるのは元より苦手だが…




「おふたりは喜怒哀楽の激しい方がお好きですから。」




あの二人に会ってからは、身の守り方としてその術を身につけた。




「面白がって、玩具にされると身が持ちません。」




そんなことで命を落としたくない。




「…呉様も桐様も面白みがないといいますが…、本当、いらない心配です」




思わず困ったように口にすると、楠木義彦が意外な顔をする。私は再度頭を下げて踵を返した。遅くなると、文句を言われてしまうから。




「…ふぅん、なんだ。案外普通の女の子だね。」



楠木義彦は階段を上がっていく少女を見ながらそう呟く。煙草を口に咥えて、一度息を吸う。



「笑えるんじゃん」




困ったように口にした時少しだけ口角が上がったのを、楠木義彦は見逃さなかった。灰色の煙と一緒に出た言葉は誰にきかれふこともなく、その場に消えていく。




「3人の生活を楽しめているのなら、お嬢のところと変わらないぞ、呉」


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