4-3.強襲

 なかなか座り心地のいいソファだ。体が沈み込む感覚が気持ちいい。全員が腰を下ろしたところでフィオレッタが口を開く。


「色々と聞きたいことや話したいことはあるのだけれど、まずは一つ確認させてもらおうかな。ゴートの冒険者登録は問題ない?」

「もちろん。話が終わる頃には登録も終わっているさ。うちの職員は真面目だからね」

「なのにギルド長は不真面目でサボりがちと。あまり迷惑をかけてはいけないよ?」

「なに、上がゆるいと下はしっかりするものさ。これでうまく回っているんだよ」


 仲のいい人間同士の気をおかないやり取りを聞きながら、出されたお茶を飲む。どうやら俺は冒険者になれるらしい。帰りにどんな依頼があるのかを確認する必要があるな。なんというか、ちょっとワクワクする。


「で、こちらのゴートなんだけど、実は魔剣の使い手なんだ」

「……それはそれは」


 俺についての話が始まったようなので、まずは魔剣を見せることにする。驚かさないように、ゆっくりと、魔剣を抜く。両刃の直剣だ。黒い刀身には、鮮やかな赤い紋様が波打つように蠢いている。


 そのまま魔剣を机に置く。綺麗に手入れされた机を傷つけないようにそっと。アンガスは俺の所作一つすら見逃さないとばかりに、じっと観察している。魔剣と、俺とを。


「気がついたら俺の手にあった。いつ、どこで手に入れたのかは覚えていない」

「ゴートと私の目的は、魔剣による呪いから、ゴートを解き放つこと。何せ完全にゴートを使い手として認識しているようでね、どんなに遠くに置き去りにしても気がついたらゴートの元に戻ってくるんだ。私の森の中であってもね」

「それで──私に?」

「うん。この手の話は師匠に聞くのが一番なのではあるけれど、それがいつになるかはわかったものではないからね。アンガスは師匠との付き合いも長いし、魔剣についても聞いたことがあるかなと思って」

「確かに私も彼女から多少のことは聞いている。何せ魔剣というものは君たち魔女が──」


 魔剣が鳴る。そこからは反射だ。机の上に手を伸ばしていては間に合わない。なにも持たないまま、魔剣があるように、腕を振る。


 ガキン、と衝撃音が響く。瞬時に俺の手へと現れた魔剣が、何者かの一撃を防いだ。それは全体が血のように真っ赤な剣だ。やや短めで、分厚く幅広の刀身。俺たち以外誰もいなかった応接室に、突如として現れた何者かが軽口を叩く。


「俺を呼んだろう?」

「知らん。帰れ!」

 

 呼んでもいない乱入者がやけに甲高い声で戯言を抜かす。俺が防がなかったら、フィオレッタが斬られていた。それが許せるわけがない。強引に交えた刃を押し込み、思い切り蹴り飛ばす。


 手応えならぬ足ごたえは今ひとつ。それなりに身軽らしく、衝撃を逃がされた。それなりに広い応接室だ。そのまま壁際に着地している様を見るだに、ほとんど効いてなさそうだ。


「あれー? 邪魔が入っちゃったかぁ。まいったなぁ、魔女だけでいいんだけど」


 ぷらぷらと赤い剣をぶら下げている、小柄で痩せぎすの男。改めて見れば、甲高い声にそぐわぬ髭面の中年だ。アンガスの整えられたヒゲとは違って、無精髭が無造作に伸びている。はっきり言って見苦しい。


「気をつけたまえ、ゴート君。あの赤い剣は魔剣だ」


 ただの剣じゃないことは分かってた。何せさっきから魔剣が、俺だけに聞こえる声で猛り狂っている。殺せ殺せと、アンガスの忠告すら危うく聞き逃すところだ。


「そうそう、こいつは俺の魔剣さぁ。魔剣ルームルス! じゃあ、死んでいけや!」


 ルームルスとやらが宙を薙ぐ。その瞬間に魔剣使いが姿を消す。いや、フィオレッタの背後にすでに"いる"。

 2人を庇うように前に出ていたことが災いした。できたのは振り返ることまで。フィオレッタに振るわれる刃を、俺は見ているだけしかできない。髭面の魔剣使いはそんな俺を横目にニヤリと笑っている。フィオレッタはまだ反応できていない。振るわれれば致命の一撃。


 それを防いだのはアンガスの鉄拳だ。


 その髭面を横合いから思い切り殴りつけたのだ。迂闊なことに俺を煽ろうと警戒をしていなかったのだろう。意識の外から顔面を殴られて、今度こそ受け身を取る暇さえなく壁に激突している。


 その隙に俺もフィオレッタの隣に戻る。まだ状況を飲み込めていないフィオレッタに、とりあえず一言。


「さすが、育ての親だな」

「──だろう?」


 アンガスも思わず相好を崩す。普段は適当に扱われているだけに、この言葉に感激すらしている様子。

  

「……はぁ。邪魔するなよなぁ。面倒くせぇ」


 そんな心温まる一幕に水をさすやつがあるか。殴り倒されて横たわったまま、それでも諦めようという気はまるでないらしい。

 頭の中で魔剣が吠える。あの赤い剣を破壊しろと、あの魔剣を砕けと、俺の頭の中を声が埋め尽くす。


「魔剣ルームルスは言葉を起点に姿を移す力を持っている。おそらくその言葉は、"魔剣"だ。」

「せぇかぁい!」

 

 髭面の魔剣使いが目を細め、赤い魔剣の力が、魔剣使いをどこかへ移した。まさに瞬間移動。瞬く時間すら許さず、アンガスの背後に現れた髭面が、赤い魔剣を振り下ろす。


 だがあいにく、それは読めている。ヘラヘラしている割には沸点の低そうな態度。姿を消す前に残した視線。そして何より、俺の手の魔剣がそこだと鳴いた。


 正面から迎え撃つように、下段から思い切り魔剣を振り上げた。なにもないところから姿を現した魔剣使いからすれば予想外の迎撃だ。俺の魔剣が、髭面を赤い魔剣ごと捉える。

 

 ニヤリと口元が歪むのがわかる。相手は魔剣の使い手だ。魔剣が、相手だ。ならば魔剣を砕け。この手の魔剣は、全て討ち滅ぼせ。そうだ。魔剣など、全て斬り殺してやろう。封印など生ぬるい。悪魔を、魔剣に封じられた悪魔を殺すのだ。殺そう。やっとだ。やっと悪魔を殺せる。

 俺の手で、俺の体が魔剣の喜びに体を震わせる。うぞうぞと、刀身の紋様がまるで舌舐めずりするかのように蠢く。


 熱に浮かされたように、魔剣の囁きを聞いている。魔剣が殺せと言っている。じゃあ殺さないといけないのか。そうか。

 少しだけ腰を落とし、体の力を抜く。力を込めるのは斬る時だけ、一瞬だけでいい。

 不意打ちをまともに食らってふらつく魔剣使いへと、切先を向ける。殺そう。ああ、殺そう。頭の中に響く声に従い──

 

「ゴート!!」


 ハッとして魔剣を床へと深く突き刺す。待ち望んだ瞬間に水を刺された魔剣が、俺の頭に暴力的なまでの恨み言を叩きつけてくる。だが、幾万の呪声よりも、俺に届く声がある。


「それ以上は、ダメだ。殺してしまうよ」


 そうだ。フィオレッタの声がなければ、俺はあの魔剣使いを殺していた。あの赤い魔剣ごと両断するつもりだった。それができるだけの力が、俺と魔剣にはあったから。

 

 床に突き立てたままの魔剣と、それを抑える俺の手。そこにフィオレッタが手をのせる。まるで怖がりの子供を落ち着かせるように、その手から暖かな熱が伝わってくる。


「抑えられないようなら、彼は私が相手をするよ? もう手は割れているし、油断もないからね、あのくらいならどうとでもできる」

「いや、もう大丈夫だ」


 無理矢理に床に突き刺した魔剣を、ゆっくりと引き抜く。


 そんなことをしていれば魔剣使いも回復するというもので、見れば俺を明らかに警戒しつつも、フィオレッタを狙う目つきをしている。

  

「お前のそれも、魔剣か? なんだそれ、知らないぞ?」


 それこそ知ったことか。フィオレッタを狙うような人間と交わす言葉はない。


「ああそうか、魔女を守るために魔剣使いを護衛にしたのか? 俺の知らない魔剣があったんだな? クソ野郎どもめ、俺に隠し事しやがって!! ……なら、お前から聞けばいいよなぁ。ほら、教えてくれよッ!」


 言い切ると真っ直ぐに突っ込んできた。俺が魔剣を構えると、また掻き消える。全く鬱陶しい。今度はどこだ? 魔剣が鳴く声のままに、くるりと持ち替えた魔剣を腕と胴の間から突き出す。慌てて飛びずさる魔剣使いの気配。


「ここじゃ狭いか」

「外に押し出してくれる? 窓の外、街路樹があるだろう? そこまでね。もちろん、殺さないようにね」

「もちろんだ」


 今度は俺が魔剣使いを攻め立てる番だ。戦いの場としては狭い応接室だ。軽い踏み込みで距離を詰め、剣戟で魔剣使いの足を止める。魔剣同士とはいえ、俺の魔剣の方がリーチがある。剣の腕も俺の方が上。赤い魔剣の力も狙いもすでに割れている。

 

 一瞬の隙をついて魔剣使いの首根っこを掴む。そのまま勢いよく窓の外へと投げ飛ばす。フィオレッタの指定の街路樹まで一直線だ。


「ん、いいね」


 フィオレッタが指を振る。ただそれだけで街路樹は猛烈な勢いで枝を増やし伸ばしていく。どこにでもあるような木が、何百年も育った大樹へと姿を変える。太く長く伸びた枝は絡み合い、魔剣使いを中心として巨大な球状の空間を作り出していく。


「さ、ゴートも」


 促されるままに窓から飛び出し、高速で形作られる球へと入り込む。街路樹の成長は止まることなく、俺が入ってきた入り口をあっという間に埋めてみせる。枝同士が布を織るよう作り出した面で覆われる。

 

 つまり、俺と魔剣使い、ただ2人だけの空間ということだ。

 

「こんなもので、俺のルームルスが閉じ込められると思うなよ!」


 魔剣使いが赤い魔剣、ルームルスの力を発動する。その姿がかき消え、すぐに枝で編まれた壁面に現れる。おそらくはフィオレッタの元に飛ぼうとでもしたのだろう。

 だが甘い。俺の魔剣すら完全とはいえずとも大人しくさせるのがフィオレッタの魔法だ。こんなチンピラじみた髭面が、その魔法を超えられるわけがない。

 

「ふ、ふざけやがってぇ……!」


 別にフィオレッタはふざけていないと思う。実際のところこいつの魔剣は厄介だ。正面からなら俺でもフィオレッタでも多分負けることはない。だけど、万一こいつを逃すと、ずっと奇襲を警戒しなくてはならなくなる。だから逃げられないように魔法を使ったのだ。


「もう、お前に逃げ道はない。それとも、誰かが呼んでくれるまで粘ってみるか?」

「お前を殺せば済む話だろぉ? このルームルスにできないとでも思うか?!」

「知らん。その折れ欠けのナマクラでできるなら、やってみろ」

「!?」


 初めの不意打ちを防ぎ、逆に不意打ちを仕掛けた。当然同じ場所を狙ってのことだ。やつの魔剣ルームルスに、俺の魔剣による斬り傷ができている。分厚く幅広の刀身の1/3ほどに達する深い傷。今更気が付くとは、随分抜けた奴だ。無精ひげも切らないような無頓着さなら当然か。

 頭の中で魔剣が囁く。あと少し。あと一撃。それであの魔剣は終わりだと。魔剣に封じられた悪魔を殺すことができると。殺せと。殺せと、殺せと。俺の意思と体を思い通りに操ろうとする、邪悪な囁き。 


「魔剣ならくれてやる。人はダメだ。それが嫌なら、俺は何も斬らない」


 魔剣の囁きが少しおさまる。人も魔剣も殺したい魔剣だが、背に腹は変えられまい。ふたたび声が増える。魔剣を殺せと、吠え猛る。


「それでいい。さあ、あの魔剣を叩き折るぞ」

 

 魔剣が鳴る。数多の命を力へと変える。顕すのは単純な強化。俺の体がうっすらと光を持つ。こんな邪悪な魔剣の力なのに、光になるんだな。バカなことを考えながら、魔剣を肩に担ぐ。

 魔剣ルームルスを叩き折る。なら、最大の一撃をくれてやればいいだけのこと。


 髭面が、この球面を利用して駆け降りてくる。そのまま瞬間移動で撹乱して、不意を打つつもりだろう。舐められたものだ。


「力を表せルームルス! 魔気解放!!」


 髭面がなにやらそれっぽいことを言う。文字通り、悪魔の力をより大きく引き出すための呪文か何か。

 魔剣の力は、その刀身に封じられるという悪魔の力だ。力を全開にすれば、それこそ分身するかのように、俺の周囲に超高速の瞬間移動くらいはできただろう。ないとは思うが、フィオレッタの作り出したこの樹の檻を抜けだすことすらありうる。


 ──万全ならばの話だが。

 

「ルームルス?!」


 二度三度と瞬間移動を繰り返し、中途半端な位置で髭面が姿を現す。バカなやつめ。刀身に傷がついたことの意味を考えられないのか?

 首の取れかけた悪魔に、どんな力が出せるというのか。

 対してこちらはすでに全開だ。強化された肉体で髭面との間合いを瞬時に詰める。


「ちゃんと防げよ?」


 警告とともに、全力で魔剣を振り下ろす。動揺しながらも、髭面はルームルスを盾がわりに掲げてみせた。よしよし、それでいい。

 髭面ごと斬らなくてもいい。ただ、魔剣ルームルスを叩き折る。それだけで。


 ゴキンと鈍い音が響き、魔剣ルームルスが両断される。いや、両断したというべきだな。俺の魔剣は髭面の鼻先を切り裂く寸前で停止している。

 呆然としている髭面の手から、ルームルスが落ちる。そしてその背後にも、叩き負ったルームルスの剣先がくるくると回転しながら、落ちた。


「う、嘘だ……。おれの、俺の魔剣が……!」


 折れた魔剣の断面から、薄気味悪い青い液体が蒸気のようにあふれ出し始めた。これは、魔剣の中に封じられていたという悪魔の血、なのかもしれない。別に悪魔の血が赤くなければならない理由もないだろうしな。気持ち悪い、とは思うけれども。


 俺の手の内で魔剣が大きく震える。その血を寄越せとでもいうのだろう。別にそんなもの欲しくはない。あまり近づきたくもないし、ルームルスの近くに俺の魔剣を放り投げる。地面に落ちるかと思えば、なぜか宙に浮きあがり、青い蒸気を刀身へと吸い込んでいく。ルームルスの赤い刀身がみるみる色をなくし、干からびていく。逆に俺の魔剣はますます猛り狂い、俺の頭に歓喜の呪いをまき散らす。殺した、殺した、悪魔を殺したぞと。そして最期の一滴すら残さずに、すべての蒸気を平らげ、魔剣が地面に落ちる。そうしてようやく魔剣は静かになった。


「お前だって悪魔なんだろうに」

 

 魔剣の力は封印された悪魔による。なら、俺の魔剣も悪魔が封じられたものであるはず。まあ、悪魔に同族意識なんてないのかもしれないけれど。

 

 髭面は、ルームルスだったものを呆然と見つめ、震えている。もうこいつには何もできないだろう。ひとまずは一件落着だ。

 あとはここから出て、髭面をしかるべきところ──ギルドか衛士へ引き渡しておしまいだ。地面、というか街路時の枝で出来た床をとんとんと叩いてみる。気が付くか?

 

「終わったのかな?」


 フィオレッタの声。なんとなく安心する。


「終わった。髭面の持っていた魔剣は叩き折って、髭面は無事だ」

「それは上々だね。さあ、樹を開けるから、ちょっと待っててくれ」


 その声に合わせて俺と髭面を閉じ込めていた球体が、少しずつほどけていく。まるで逆回しするように、きれいに何もなかったかのように元の街路樹の姿に変わっていく。

 俺と髭面の足元の枝は、俺たち二人を地面に静かに下ろすことまでやって見せた。そうして、街路樹はただの街路樹へと戻ってしまった。


 フィオレッタはその街路樹を撫でて苦労をねぎらっている。


「すごいな……」

「まあ、伊達に森の魔女を名乗ってないよ」


 ちらりと髭面を見る。


「彼は……アンガスに任せようか。ギルドの中で起きた事件のわけだし」

「そうだな。俺も冒険者のしるしを受け取らないとならんからな。依頼もどんなものがあるかを見ておきたい」

「あれ、結構やる気満々だね? ふふ、でも依頼はまた今度かな。今日はこの後食料の買い出しがあるからね」


 そういえばそうだった。俺がいる分消費が激しいわけだし、大量に買ってもらって馬車馬のように運ぶことにしよう。……今のところは俺はほとんど一文無しだから、早いところ食費くらいは払えるようになりたいものだ。


「あー、その予定はキャンセルしてもらおう。二人にはもう少し聞かなければならないことが出来たからね。嫌とは言わせないよ、フィオレッタ。もちろんゴート君もね」


 アンガスの真剣な表情に逃げられないことを悟る。フィオレッタは肩を落としている。


「もう、予定が台無しだね」

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