2-1.森の魔女
深い森の中を、雨の中を濡れながら歩く。疲労で重い体に雨の冷たさがいっそ気持ちよい。昔なら、風邪をひいてしまわないかと心配していたところだが、今はそんなことを気にかける必要はない。
抜き身のまま片手でぶら下げているこの剣があるからだ。
魔剣。人の命を吸い力に変える、最低の武器だ。それが今俺の手にあるのだ。真っ黒い両刃の刀身には薄暗い赤い紋様が描かれており、まるで炎のように蠢き続けている。
こんな不気味な魔剣を持っているのはなぜか。それを俺は覚えていない。ただ気が付いた時には俺の手にあった。
こうして誰もいない森の中を一人歩いていても、頭の中に響く声がある。命を食らえと、血を捧げろと。今はその声を無視できている。だが、いつかはこの声に負けてしまうのだろう。ひたすらに命を奪って、最後には命を奪われる。なんと哀れな末路だろう。俺は、そうなりたくはない。
魔剣をどうにかする方法はないのか。それを俺は探すことにしたから、こうやって旅をしている。村のみんなに迷惑をかけたくはないし、家族を手にかけるだなんて考えたくもない。
この旅の終わりは、俺か魔剣の最期だ。いつか村に帰るために、魔剣を滅ぼす。びっくりするほど実りのない旅を、今も俺は続けているのだ。
***
魔剣を手にしてからというもの、人間らしさ、というものからだんだんと離れていくのを感じている。
腹が減らないのだ。こうやって森をさまよって20日ほどになる。その間、俺は食べ物どころか水一滴だって飲んでいない。だというのに動いていられるのは、魔剣の力によるものだ。先ほどまで降っていた雨に濡れた体も、放っておいても風邪をひくことすらない。
ここは魔女が住むという深い森だ。魔力が満ち溢れていて、魔獣が溢れるほど住んでいる。こうやって人間が歩いていれば、格好の獲物と襲い掛かってくる。それらすべてを魔剣で殺している。腹が減らずとも動けているのは、魔獣の命を喰らい、俺へと還元する。魔剣とはいえただの剣だ。人がいなければただの置物に過ぎない。だからできる限り使い手を保とうとしているのだろう。
襲ってくる魔獣相手ならば、俺の心も痛まない。人と獣で命に差はないから、獣を狩ることを俺は選ぶ。
魔剣とはそれなりに長い付き合いになってしまったが、おかげでまだ殺人には手を付けずにいられている。
理性も未だ残っている、と思う。だが、いつまで持つかはわからない。だって昔の俺なら魔獣を殺すなんてできなかった。家禽をつぶすのだって抵抗があった、と思う。なのに、今では喜びすらもって魔獣を殺している。その変化は、魔剣による操作なのか、俺自身の変質なのか。いつか人を斬ることに、殺すことに躊躇わなくなってしまうかもしれない。俺はそれが怖くてならない。
わざわざ魔女の森に来たのは、魔獣を殺すためではない。魔女に会うためだ。もしかしたら魔女であれば魔剣をどうにかできるかもしれない。その期待があってのこと。
特にこの森の魔女はもう300年もの間生きているらしい。そのくらい長く生きているのなら、魔剣についても何かしら知っている可能性が高い。可能なら魔剣を何とかしてほしいと思っている。
しかしさすが魔女の森、広く深い。深すぎる。俺が適当に歩きすぎている可能性はあるが、20日間歩き回ってまるで魔女の痕跡が見つからないのは異常だ。魔法で隠れているのかもしれない。結界とかそういうのがあると聞いたこともある。だから時々魔剣を振り回してみて結界とか切れないかと試している。
そして今、その苦労が報われたようだ。
***
「──そっちには何もないけれど、何か探し物かな?」
突然俺の背後から知らない女の声がした。こんな森の深くに人がいるわけがない。まず間違いなく魔女。警戒させるのも良くないので、振り向かずにそのまま会話を続ける。
「今見つかった。ずっと探していて、いい加減この景色にも飽き飽きしていたから助かる」
「同じ道を延々回っているならそうなるだろうね。キミ専用の獣道でも作るつもりかと思っていたよ」
「同じ道?」
「足元をよく見てみるといい。全部キミの足跡だよ。気づいてなかったのかい? それは、ちょっと呆れてしまうよ」
確かに足元を見てみれば、なにやら踏み固められた跡がある。前にも、後ろにも。濡れた枯葉や草に覆われて足跡はないが、もしはっきり足跡が見えたなら全て同じ俺の靴跡になるだろう。通りで段々と歩きやすくなってきたわけだ。
初対面でマヌケを晒してしまったことがわかり、なんとなく馬鹿らしくなってしまった。さくっと振り向くと、そこには真っ黒なドレスを身に纏った女性が立っていた。
詳しいわけではないからなんとなくだが、高そうな黒のドレス。胸元まである長い髪は空に浮かぶ雲の様に真っ白。黒い服と対照的で、鮮烈なほどにはっきりとして見える。白と黒、唇だけが桃色に色づいている。まあ間違いない。これで魔女でないということはないはずだ。だが念のため確認はしておく。
「あんたが魔女か?」
「その通り。ああ、その物騒な剣を私に向けないでくれるかな。というかキミ手ぶら? 荷物とか、せめて鞘はないの?」
「ない。いつもは布で包んでいるんだが、気づいたらなくしてた。仕方ないからむき出しのままにしてる」
「……知恵を魔剣に奪われたってわけではなさそうだね。その杜撰な性格は元から?」
「俺が判断できる限りは元からだ。それより、聞きたいことがある」
「初対面の相手に随分だね。まして抜き身の剣をぶら下げた人間が、何を聞きたいというのかな? 私の悲鳴なんて言わないでくれよ?」
「……俺の名は
言われればその通りだ。初対面なあらまずは自己紹介。人付き合いの基本を疎かにしてはならない。名乗ることと、あとはなんだ? とりあえずは鞘か。鞘があればいい。
近くの木で即席の鞘を作ることにする。魔剣でそこらの木を切り倒す。こいつの切れ味なら斧で何度も叩かずとも、線を引くように切断できる。
適当な長さの丸太にして、魔剣を突き刺せばあっという間に出来上がりだ。
「木を切る時は周りに注意しなさいって言われなかった?」
振り返れば、魔女はなぜか体を濡らして、落ち葉や枯れ葉をまとわりつかせている。なるほど、切り倒した衝撃でそこらの木々の雨粒が落ちてきたのだろう。おまけに舞い上がった落ち葉が直撃したと。魔女らしい全身真っ黒な装いも、木の葉を纏ってなんとなく身近にいそうな雰囲気になる。親しみやすいのではなかろうか。白黒のままよりよほどいい気もする。
「似合っているとか言ったら放り出すから」
俺は口をつぐんだ。
「キミが適当な人間だということはよくわかった。ギリギリ馬鹿正直と言えなくもない。いいよ、質問に答えよう。わざわざ私を訪ねてきたんだからね。着いて来るといい」
そういうと魔女はさっさと歩き出す。迷子でどうしようもなくなる事態は避けられたわけだ。大人しく彼女の後ろをついていく。
しかし疑問がある。俺はその時々で最善を選んで話をしているつもりなのだが、どうも人を怒らせることが多い。一体なぜだ?
今回は案内してもらえるわけだが、同じようにしても門前払いをくらったこともある。単に魔女が寛大な性格なのか、それとも偶然怒らなかっただけなのか。質問をするのはこれからだ。万一にも怒らせて放り出されるわけにはいかない。これから俺は魔女との会話において、暗闇を歩くような慎重さを持たなくてはならない。
そんなことを考えながら、魔女の後をついて歩いていく。
ただそれだけなのだが、魔女の森歩きはなかなかの見ものだ。森の中に不似合いな真っ黒なドレスはすぐに木々に引っかかりそうなのだが、魔女が近づくと木々がぐんにょりと避けるのだ。おかげでドレスが傷つくことなく、魔女は悠々と歩いていけるというわけだ。
残念ながら俺にはそういう気遣いをしてくれないらしく、魔女が通り過ぎるとすぐに木々は元の形を取り戻す。普通にぶつかるし引っかかる。まあずっとそうやって森を歩いているから今更気にすることではない。邪魔なら斬ればいいだけの話だ。
「まだあんたの名前を聞いてないぞ」
「ゴートって本名なの? ヤギって意味だよね」
質問をはぐらかされてしまった。が、初対面の男に名乗らないのは淑女のたしなみという奴かもしれない。女性について疎い自覚はあるから、あまり深追いはしない。
しかし剣をぶら下げた不審な男に背中を見せるのはいただけない。後ろから襲われる可能性を考えていないのか、それとも容易く退ける自信があるのか。……おそらく後者。なにをするでもなく木々は彼女を避けていく。森の魔女、その名の通りに森は魔女に味方するのだろう。悪意を持った瞬間に、そういう不届き物は森に取り押さえられることになるんだろう。
「ああ、うちではヤギを飼っていたからな。わかりやすいだろう?」
「冗談──というわけではなさそうだね。もしヤギではなく馬がいたらホースだったってこと?」
「そうなっただろうな。あんたは動物を飼っているか?」
「……フィオレッタ。間違ってもチキンなんて呼ばないように」
「わかった」
なかなか洒落た名前だが、押し出しという意味では少し物足りない。やはり濁点があった方が力強さがある。
その後は大した会話もなく、ただ歩くこと少々。森が突然開けて、小さな畑と水車を持つ家が現れた。
「ここが私の、魔女の住処だ。先に言っておくけれど、荒したりしたら承知しないよ」
「荒らす気はない。あんたに聞きたいことがある。どんな答えにせよ、聞いたらすぐに出ていく」
「え?! そんなに早く?! そ、そんなに急がなくてもいいんだよ? 暴れたりしないって言うなら、キミは私の客人ってことになるんだから、もてなしくらいはさせてくれよ!」
「いや、一人暮らしの女性の家に長居するのはよくない」
「待て待て待って! それは普通の場合だろう? 私は森の魔女で、キミを招いたんだ。だからキミは家主である私のいうことを聞くべきだ。だいたい私がいいというのに、誰がダメだっていうんだい?」
確かに、本人がそういうなら問題ない、のか……? 俺の社会的な常識は家族からの教育によって成り立っている。判断に困ったからには父と母と妹の顔を思い浮かべる。判定は……ギリギリよし。母はあまりいい顔をしなそうだが、妹は本人がいいというならいいんじゃないというだろう。父も多分そういう。だから2対1で可。
「なら世話になる。改めて、よろしく」
「ん、よろしい。森の魔女フィオレッタが、旅人ゴート、キミを客人として受け入れよう」
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