あたしの、たいせつな

 その夜、ことはと一緒に洗い物を終えた頃。


「あんた、ちょっと来なさい」


 お母さんに声をかけられ、あたしはそっとことはの隣を離れた。

 台所の片隅、少し離れた扉の奥にある、静かな一室。


 扉が閉じる音がして、あたしの心臓がひとつ、大きく跳ねた。


「……で?説明してくれる?」


 お母さんの声は静かだった。

 でも、それが一番怖かった。


 あたしは唇を噛んで、でも、震える声で言葉を紡いだ。


「ことは……琴羽ちゃんが、いま、大変で……」


 どこからどう話せばいいか分からなかった。

 でも、黙ってるなんて、もっとできなかった。


「お母さん、琴羽ちゃんのこと、全然知らないでしょ? でもね、あたし毎日見てたんだよ……ことはがだんだん元気なくなってって、給食しか食べてないの知ってた……」


 言葉が、止まらなかった。

 喉の奥から、絞り出すように、でも確かに溢れてくる。


「ほんとはもっと早く助けたかった。……でも、あたし、どうしたらいいか分かんなくて……。今日だって、保健室で倒れてなかったら、気づけなかったかもしれない……ことはの家にも、ごはんもお水もなくって……ことはのお母さんも居なくってもう、ことは限界なんだって」


 お母さんは黙って聞いていた。

 それが苦しくて、怖くて、

 あたしはついに叫んでしまった。


「……一緒に居たいの! ことはと……ずっと一緒にいたいの!!あたしがっ……!!あたしがことはを守ってあげたいのっ……!!」


 その言葉が出た瞬間、自分でも驚いた。

 でも、それがあたしの“ほんと”だった。


 お母さんの表情が揺れた。


「梨佳……だとしても、ずっと一緒にっていうのは……」


 あたしはぐしぐしと涙を拭って、精一杯、まっすぐにお母さんを見た。


「お願い。今日だけでもいいから……泊まらせてもいい?」


 沈黙が、ほんの少し続いた。お母さんは困ったように一つ息を吐くと、あたしの頬に流れる雫を指先で拭ってから、口を開いた。


「……とりあえず、今日一日だけ、様子を見ようか」


 お母さんのその言葉に、あたしの胸がぱあっとあたたかくなった。


「ありがとう、お母さん……!」


 小さく頷いたお母さんの表情は、どこか困ったような、でも少しだけ、やさしさを滲ませていた。


 ────そして、私はことはのもとへと走った。




 夜が深まっていく。

 ことはと並んで、ひとつの布団にくるまって、私は天井を見上げていた。


 部屋の隅には、小さなライトスタンドのやわらかな光。

 となりでは、ことはが目を閉じたまま、静かな寝息を立てている。


 今日はたくさん泣いたし、きっと疲れてるよね。ちゃんと眠れてるかな。

 ──なんて、気になって仕方がなかった。

 たくさん泣いてたのは、あたしの方なのにね。


 そっと視線を横にやると、ことはの横顔が見えた。

 毛布の端をしっかりと握っている小さな手。

 微かに動く肩。


 眠ってる。

 でも、その眉の間が、少しだけ寄っている気がした。

 あたしは、小さく布団の中で寝返りをうって、ことはの方へ向き直った。


 そして、そっと。


 ことはの手に、自分の手を重ねる。


 ことはは、びくりと少しだけ反応したけれど、すぐにそのまま、私の手を握り返してくれた。


 あたたかい。

 この手のぬくもりが、何より安心する。


 目を閉じる。

 心臓の音が、ことはと重なって聞こえる気がした。


 ──大丈夫。


 明日も一緒に、朝を迎えよう。


 この子を、あたしの大切なことはを、絶対に、守りたい。


 その想いだけを胸に抱いて、あたしは静かに、目を閉じた。

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