言の葉の憧憬 act.0-灯が消えた理由-

キラキラなまいにち

「ことはちゃん、今日はおままごと係ね〜!」


「はーい!」


 胸の前でぎゅっとエプロンの紐を結んで、私は大きな声で返事をする。

 先生が笑って頷いてくれたのを見て、ちょっぴり誇らしい気持ちになる。


「じゃあ、ことはがお母さんで、わたしがお姉ちゃんね!」

「えー、じゃあぼくがペット役ー!」


 ごっこ遊びの輪が広がっていく。

 私はにこにこと笑いながら、紙のお皿をみんなに配っていく。


「はーい、ごはんできましたよ〜!」

 ちょっと大人っぽく言ってみると、みんなが「ありがとー!」って返してくれた。


 それだけで、胸がぽかぽかする。


 先生がにこにこ笑顔で私に言った。


「ことはちゃん、いつもお手伝いありがとね」

 その言葉を聞いて、もっともっと嬉しくなった。


 ──私は、誰かの役に立つのが大好きだった。


「パパとママ、今日もおそいの?」

 先生がそう聞いてきたとき、私は元気に笑ってうなずいた。


「うん!でも、おしごとがんばってるから、えらいんだよ!」


 保育園でいちばん最後になっても、私は泣かなかった。

 大好きなお父さんとお母さんが、いっぱいがんばってることを、私はちゃんと知っていたから。




 つぎの日、待ちに待ったお絵かきのじかん。

 私は、クレヨンでお絵かきするのが得意だった。

 保育園に咲いてる綺麗なお花の絵を描いていたら、

 机の下から小さなすすり泣きの声が聞こえてきた。


「……う、えぐっ……」


 私はしゃがんで、その子の顔をのぞき込んだ。


「だいじょうぶ?」


 目がうるうるしていて、ほっぺがほんのり赤くなってる。


「できなかったの……うまく、かけなかったの……」


 ぽろぽろと、その子の目から涙がこぼれだした。


「そっか……でも、いっしょにやったらきっとできるよ!」


 私はにっこり笑って、ピンクのクレヨンを差し出した。

 その子──梨佳ちゃんは、驚いたように目を瞬かせたあと、小さく笑った。


「……ありがと……がんばる…!」


 なんだか、心があったかくなった。



 その日から、梨佳ちゃんは私のあとをよくついてくるようになった。

 お外遊びのときも、お昼寝のときも、気づけばとなりにいる。


 すぐ泣くし、すぐ転ぶし、発表会の練習ではぜんぜん声が出なかったりするけど、

 それでも私が声をかけると、梨佳ちゃんはきちんと笑ってくれる。


「ことはちゃんがいると、できる気がするの」


 そんなふうに言ってくれる子なんて、はじめてだった。


 私は、梨佳ちゃんと一緒にいるのが好きだった。

 手をつないで歩く帰り道。

 ふたりでわけっこするクッキー。

「また明日ね」って言われると、明日が来るのが楽しみになった。


 毎日が、きらきらしていた。




 とっても天気がいい日。

 今日は、お父さんとお母さんと、三人で遊園地に行く日。


 電車の中でも、お父さんはずっとふざけていて、

「次は〜琴羽駅〜、琴羽駅〜、降りるときは手を挙げてね〜」


 なんてアナウンスごっこをするから、

 私は笑いが止まらなくて、お腹がくすぐったくなる。


「パパ、ちがうよ〜、そこはまだ動物園じゃないよ〜」

「えっ!?動物園!?おい琴羽、ここって遊園地だったよな!?」

「そうだよ〜!パパまちがってる〜!」

「うお~っ!ごめんよ~!…って、やっぱり遊園地やないか~い!」


 私がケラケラ笑うと、お父さんも楽しそうに笑って、

 その様子を、お母さんが少しだけ距離をとって見ている。


「ふたりとも、元気ね……」


 お母さんが、ぽつりとそう呟いた。

 でもその声は少しだけ、小さくて遠かった。


 遊園地に着くと、まっさきに見えたのは赤い大きな観覧車だった。

 保育園よりも、おうちよりも、なによりも大きい観覧車に、私の目は釘付けになった。


「あとであれ乗る!ぜ~ったい乗る~!!」


 ぴょんぴょんしながらはしゃぐ私を見て、お父さんも一緒にぴょんぴょんしながら笑った。


「じゃあ一番てっぺんで、ヤッホーしよっか!」


「えぇ~!お山じゃないんだよ~!?恥ずかしいよ~!ね、お母さん?」


 お母さんは、うん……とだけ返して、ケータイに映る自分の顔をじっと見つめていた。



 お昼ごはんの時間になると、ベンチに腰掛けて、お母さんが作ってくれたおにぎりを食べた。

 私はお腹がすいてたから、もぐもぐと夢中で食べて、ほっぺにごはん粒がくっついてしまって。


「ほら、ことは。ごはん粒、ついてるぞ〜」

 お父さんが笑って、そっとそれを指で取ってくれる。


 私はまたくすぐったくなって、「えへへ〜」って笑う。


 その時、お母さんが、ふっと目を細めた。

 笑っているみたいだった。でも、なんだかそれは……


 すこし、さびしそうだった。

 きっと、お腹が空いてげんきが出ないのかな?


「おかあさんもたべて〜!」


 そういっておにぎりを差し出す。でもお母さんは少しだけ笑って


「……ありがとうね」


 そう返してはくれたけど、

 その声も、笑顔も、どこか遠かった。


 気のせいかな、って思った。

 でもあのときのお母さんの表情、

 なぜだか、胸の奥が、きゅってなった。


 ────────────

 時は経ち、桜の咲く季節。


 今日から晴れて私も一年生。

 私は、梨佳と同じクラスになった。


 新しい教科書、はじめての筆箱、大きなランドセル。

 全部がまぶしくて、ちょっとだけ不安だったけど、

 教室で梨佳の姿を見つけた瞬間、不安はすーっと消えていった。


「ことはー!」


 どんなものよりも、まぶしい笑顔で手を振ってくれる。

 その声が聞こえるだけで、私はなんでもできるような気がした。


 授業も、掃除も、給食も。

 難しい勉強も、漢字の書き取りも、

 梨佳と一緒なら、ぜんぶへっちゃらだった。



 初めての授業参観の日。

 クラスメイトのお母さんたちが教室の後ろに並ぶ。

 ざわざわと騒がしい教室の空気が、少しずつ落ち着いていく。


 私は、そっと扉の方を見る。


 ──いない。


 どれだけ見渡しても、お母さんの姿はなかった。


 でも、それでも私は、

 自分の席に座って、きちんと背筋を伸ばした。


「……おしごと、がんばってるから」


 小さく、誰にも聞こえないように呟く。


 隣の席の子が、こっちを見て言った。


「え、来てないの?ママ」


 最初はなんて言えばいいかわからなかったけど、私はにこっと笑って

「うん!おしごと中なんだ」


 そう言って、胸を張った。


 パパもママも、いつも私のために頑張ってる。

 だから今日は、私がちゃんとしなきゃ。


 ──────


 ある日の夕方。


「琴羽、今日はちょっと長くお留守番できる?」


 お母さんが、そう聞いてきた。


「うん!」

 少し大げさに、大きく頷く。


「お父さんにね、サプライズがあるの。絶対、内緒にしててね」

「うん、ないしょ!」


 そう言って、いつもより可愛いメイクをしたお母さんは出かけていった。


 キッチンに残っていた洗い物をがんばって片づけて、

 ほうきでお部屋を掃いたり、クレヨンでおえかきをしたり。


 二人が帰ってくるまで、いい子にしていようと思った。


 時計の針が、少しずつ進んでいく。


 いつもなら、もう「ことはー、ねるぞー」ってパパの声が聞こえる時間。

 でも、今日はずっと静かだった。


 お家の中は、テレビもついてなくて、

 時計の音だけが、コチコチと響いていた──────


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