第18話


「お母様、具合が良くないんですって?」


夕方、アンドレイニ伯爵家に着いた馬車を降りた私に、母の具合が悪いとの報告があった。


私は取るものも取り敢えず母の元へとかけつけた。



「あぁ……キルステン。こんな格好でごめんなさいね」


母の声は弱々しかった。震える腕で上半身を起こそうとする母に私は駆け寄った。


「起きなくていいわ!そのまま寝てて。……お母様、無理はしないでとあれほど言ったのに……。それとも私の手紙で心配をかけてしまった?」


「キルステン……何があったの?」


母の問いに私は言葉に詰まる。


「やっぱり子どもが出来なかった事が……」


母は辛そうに眉を下げた。母にそんな顔をさせたかったわけではないが、私はそれを否定も肯定も出来ずにいた。離縁の理由はそれだけではないが、その事で離縁出来たのもまた事実だ。


私が答えに困っていたちょうどその時、



「奥様。お医者様がお見えになりました。お通ししてもよろしいでしょうか?」

ノックと共に扉の外からイライジャの声が聞こえた。



「あぁ……今日も先生がお見えになる日だったかしら?」

母は弱々しい声で、疑問を口にした。


私はそれと同時に扉へと向かい、我が家の主治医を招き入れるべく扉を開ける。そこには見知った顔の医者とイライジャが居た。



私は一旦母を医者に任せて、部屋を出た。

馬車からここに一直線で来た為、着替えも何も終わっていない。




「お嬢様。荷物はお嬢様のお部屋に運んでおります」


イライジャにそう言われて、私は思わず、


「私の部屋?残っていたの?」

と声を上げてしまった。


先日父の葬儀の為に滞在していた時は客間に泊まっていた。

我が国では嫁いだ後、実家には娘の部屋を残さないのが仕来りだ。幼い頃から使っていた部屋はもう残っていないのだと思い込んでいた私は何だか嬉しくなった。


「元の通り……とはいきませんでしたが、皆に聞いて何とか」


イライジャの言葉に私は首を傾げた。


「まさか、改めて部屋を……?」


「お嬢様のお部屋は一度全て片付けてしまわれていたので……」


そう言いながら私達は嫁ぐ前、私が使っていた部屋の前へと辿り着いていた。

イライジャはその部屋の前でピタリと足を止めた。


「では、私は失礼します」

そう頭を下げてから直ぐに背を向けたイライジャに私は声を掛けた。


「あの……私が母に代わり、この家の事を……」


イライジャは振り向いた。


「畏まりました。よろしくお願いいたします」


彼は無駄な言葉を一切発せず、それだけを言うと、また背を向けて去って行く。私はその背中を不思議な気持ちで見送った。


部屋へ入って驚いた。家具を良く見ると、確かに私がずっと使っていた物とは違うようだが、それも本当に目を凝らして見なければ分からないほどの僅かな違いだ。パッと見た限りでは嫁ぐ前の私の部屋がそのまま残されていた様に思えて、私はホッとするような感覚を覚える。それと同時に私は、


「イライジャって……何者なのかしら?」

と無意識に呟いていた。




不思議な男イライジャ。しかし彼の仕事に対する厳しさは本物で―


「こちらとこちらに目を通して下さい。それと、こちら……計算に間違いがあるようなので、私が直しても?」


書類の束を持ったイライジャがニコリともせず私の間違いを指摘する。


「え……あぁ。確認しなければならない物はそこに置いておいて。あと、……良ければ計算は直してちょうだい」


私が『そこ』と指示した場所にはまだ未確認の書類がドン!と置いたままになっている。イライジャはそれを見て、


「私で出来る部分はやりますよ」

と冷たく言う。


イライジャは仕事が早いので、私がもたもたしているのが我慢出来ないのだろう。でも私としても必死なのだが、なんせ仕事が多すぎる。母にはこの量の仕事はどだい無理な話だったと思い知る。


「母では無理だったわね……」

私の呟きに、


「お嬢様にも無理そうですけどね」

とイライジャの無慈悲な言葉が突き刺さった。


「………お嬢様って呼ばれるのは、何だか違和感があるわ」


つい先日まで『奥様』と呼ばれていた私。流石にお嬢様と呼ばれる歳でもないし……いやまだ二十一なのだけど。


「では何とお呼びするのが?」


「うーん……」

改めて言われると何が良いのか?


「名前で良いわ」


それが無難だろうと私がそう言えば、何故かイライジャは、


「では……キルステン様……と」

と俯きながら小さな声で言った。



母には離縁の理由をはっきり言わないまま一週間が経った。母はやっとまともに食事をとれる様になってきたが、まだまだ元気とは言い難い。


サミュエルは無邪気に私が此処に戻って来た事を喜んでいた。


そういえばイライジャは私に離縁の理由など全く尋ねる素振りもない。もちろん他の使用人もだが。


今日は仕事相手と面会予定がある。私の身支度をしてくれていたメイドに私は何気なく尋ねた。


「皆、私が何故離縁したのか……訊かないのね。気を使ってくれているのね。ありがとう」



「あ……。それはイライジャが……」


「イライジャ?」


「はい。余計な事は尋ねるな……と」


「そう……」


またここでもイライジャだ。彼は何となく私の行動の先を読んでいるような不思議さがある。





面会相手を待っている間にイライジャに尋ねる。


「そういえば。イライジャは何故あの時此処の馬車を王都まで迎えに来させたの?しかも絶妙なタイミングで」


「……もし離縁を申し出たのなら、この国では大体五日~七日で許可がおります。特別な場合を除いて。キルステン様からの手紙が届いた日から考えるとあの日ぐらいが妥当と判断しました」


無表情で淡々と喋るイライジャだが、私はびっくりしてしまった


「貴方って……この世の全てが分かっているの?」


「大袈裟ですね、そんな訳ないじゃないですか。理論的に考えて導き出した答えです」


ピシッとした隙のない佇まいのイライジャがまるで機械の様に思える。


「では貴方にも分からない事があるの?」


私の何気ない問いにイライジャはまたもな淡々と答える。


「人の心はわかりません。想像は出来ても」


そう言ったイライジャが少し怒っている様に見えたのは私の気のせいだったのだろうか?



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