第53話 その美貌を振りまく男

「お取り込み中、申し訳ないが、少しいいかな」


 甘く体の芯から震え上がるような声がして、恐る恐る目を開くと長いアッシュゴールドの髪を無造作に横流しに、着崩れたシャツに身を包んだ仮面の男がそこに立っているのが目に入った。


「……ひっ!」


 一難去ってまた一難!


「な、なぜここにっ!」


 な、なんでこの人がここに……!


 と、いうよりも目にしただけで魂を抜かれるようなこの感情をどうにかしてほしい。


「ルイスの寝室から不吉な色があらわれるたびに対処しているのはこのわたしだ」


 ルイのほほに触れ、形のいい唇をきゅっと持ち上げ、恐ろしい美貌の魔人、第一王子が優雅にほほ笑んだ。


 その瞬間、彼の後ろからぶわっとこれまた違う色の花々が咲き誇ったように見えた。


 いや、もちろんこれは錯覚なのだが、仮面をつけていてもなおこの無意味なほどに艶めいた美貌は隠しきれていないこの男からは計り知れない可能性しか感じられない。


「今宵はそなたが寝床を共にしてくれるようなので、一安心だな」


「おっ、おい、まて! どう考えたらそうなる! 助けてくれ! 動けないのが見て分からないか!」


 ぞわっと震え上がる声でそうささやかれるのは心臓に悪いが、言わせておけば冗談じゃない。


「そなたが第二王子の部屋に夜這いをかけたことは周知の事実だ。今宵は諦めろ」


「ちょ、諦められるか……って、なんで周知の事実なんだ」


「王子の寝室に結界が張られてないとでも思ったか」


「……あ」


 ぞわぞわしつつも朦朧となりかける頭で、白金色の天使から言われたことを思い出す。


 移動範囲にも気をつけろと言われていたばかりだった。


「し、しまった……」


 何から何まで忠告を破ったことになる。


「大丈夫だ。ルイスは婚姻も結んでいなければ、もう婚約者もいない身だ。不貞行為でも何でもない。安心しろ」


「ちょっと待て、そういう問題じゃないだろ。安心なんてできるものか」


「わずかな羞恥心が残っているのならルイスから誘ったことにしておいてやる。どうせ大差はない」


「ふ、ふざけるな! なぜそうなる!」


 押しどけたくても一向に動きそうにないルイにつぶされかけながら、無駄に美貌を振りまいて楽しそうに笑う第一王子にあきれてものも言えなくなる。


 が、黙っているわけにもいかず、必死に猛抗議をするはめになる。


 まったくもって聞き入れてもらえないのがつらいところだ。


「あたしは毎朝毎晩、メーガンの愛らしい声で目覚めたいんだ。こんなところで眠りこけて目覚めてすぐにこーんな顔のいい男を目にするなんてまっぴらごめんだね」


「言わせておけば、人の妃をいつまでもそなたに貸すと思うなよ」


「……は?」


 何でここへ来てからこんなまぬけっ面ばかりしなければいけないのだろうか。


 もう誰が魔王で誰がラスボスなのだとか、もうどうでもいいような気さえしてきた。


 だが、こればかりは聞き捨てならない。


「ちょっと、今……ものすごく聞いてはいけないことが聞こえたような……」


「シャンティ・メーガンはわたしの大切な妃だ。どうしてもルイスの連れてきた異性を見たいとしばらく家出をされていた。くだらない恋愛小説の次は、男装令嬢ときた……さすがにわたしも不愉快だ」


「なっ、なんだって?」


 シャンティ……め、メーガン……だと?


 あ、あまりにも冗談がすぎる。


 あの明るくて天真爛漫な少女を想像したら、口から胃が飛び出してくるかと思うほど気が動転して絶句した。


「ふ、不愉快も何も自分は恋人とよろしくやってるくせに……いや、そういうことじゃなくって……そ、そんなことがあるはずが」


 もう嫌だこんなところ……などとそろそろ泣き言も言いたくなってくる。


 そんなとき、また外からノックの音がして、今度は何だと頭が痛くなる。


「ハーラルです」


「入れ」


「………」


 次から次へとより一層濃いメンツが勢ぞろいし、もうどうにでもしてくれ、と思えた。


「うわ! なんですか、これ。うわ……バラだらけ……この悪趣味な演出もこいつの趣味なんですか? ……さ、最悪」


 入ってくるなら美しい顔をこれでもかというくらいゆがめた美少年にめまいがする。


「さ、最悪なのはあたしだ。だから早く助けてくれと言っているのに」


 いや、前言撤回だ。


 どうにでもされるのは身の潔白を証明してからだ。


 このバラもあたしのせいではない。……いや、そうなのかもしれないけど、断じて趣味ではない。


「ハーラル、準備は?」


「万全です。すべて整っております」


「守りは?」


「うちの兵も術師もみな、守備につきました」


 こちらの意見などすべてを無視して、ふたりは淡々と会話を進めるのをあたしはただただ身動きを封じられた状態で見守るしかない。


「わかった。おまえも後を追ってくれるか」


「もちろんです」


「ルイスが言ったとおりだな」


「ええ」


「……あの、お話中大変申し訳ないんだが……いったいあなたがたは、なにをはなしているんだい?」


 絶対に聞いてはいけない。


 本能がそう聡っているというのに、あたしは彼らに問いかけていた。


 あとできっと後悔する。


 これまでの経験上、そんなことはわかりきっていたことなのに。


「ナイラスの街に魔物が現れた。兵士総出で返り討ちにしてやる」


「なっ……」


 ほらやっぱり。


 聞かなければよかったんだ。


 なんでそんなに次から次へと……嘆きたくもなったけど、これもまたそんな性分で、あたしにもそこへ向かわせてくれ!と叫んでいた。


 ルイがこんなことになったのもむしゃくしゃするし、あちこちからバカにされて、巻き込まれて、わけがわからないことばかりで……どうせ片足は突っ込んでいるんだ。


 それならばとことん応戦してやるまでだ。


「ルイは、どうする?」


「ここで我々が全力で守る。下には彼の率いる騎士団たちもそれぞれの守備に入った」


「それならば心強い」


 魔物がなんだ。魔王がなんだ。


 暴れてやらないと、もう気が収まらない。

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