第32話

嚥下できない分が口の端から溢れる。そのとき、勢いよく駆けてきた足音とともに美海が現れた。彼女は髪が振り乱れてこそいるものの、ヘアゴムは解けてはいなかった。

「凪子、あなた一体……」

 凪子は唇を離し、夏月の上体を起こす。美海は戸口で狼狽していたが、すぐに状況を読み取り、いつもの彼女に戻った。

「夏月、……ああ良かった。意識が戻ったのね? あなた、椅子から落ちて床に倒れてたのよ」

 駆け寄ってきた美海に抱き締められた夏月は、温もりを確かに感じて胸が一杯になった。あれは、質の悪い夢だったのだ。もしかしたら、暑さにやられて見た妄想だったのかもしれない。

「先生は?」

「 職員室にいたから、もうじき来ると思うわ。でも、夏月が大丈夫そうで、一安心ね」

 保健室の雰囲気は緊迫したものから穏やかなものに変わる。夏月も次第に気持ちが落ち着き、擦れ擦れにある美海のまっさらな領域を改めて眺めた。

 ちょうど凪子が口づけた箇所に、真っ赤な痕がついている。

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