第2章 《裏》

「ねぇねぇお父さん!聞いて聞いて〜」

「あっ、川があるー、お父さん見て〜!」

車のなか、僕――加山かやままことは、今年で8歳になる娘と5歳の息子のおしゃべりに耳を傾けている。とても元気で、喧嘩もしょっちゅうしているが、優しい子に育ってくれた。

「こらこら、お父さんは運転してるんだから、話しかけちゃ駄目でしょー」

そう言ってさとすのは、妻の笑里えみりだ。結婚してから、もう10年になる。短いような長いような……。でもやはり子供たちの成長はとても早い。この間まで片手で持ててしまうくらいだったのに、ハイハイするようになって、話すようになって、保育園に通って、とうとう上の子は小学校に入学した。

「えぇ~、なんでー?」

出た。お決まりの『なんで』だ。

僕は笑いを噛み殺す。

さぁ、笑里、何と答える?

「事故しちゃうからだよ。そしたら、みんな痛い痛いになっちゃうよ〜」

「えぇ~。くふふ」

ミラーを見ると、チャイルドシートの上でクネクネ動いて笑っている息子が見えた。何が面白かったのかは分からないが、そんなあの子を見ているのは面白い。

「じゃあ、お母さんでいいや」

娘がそう言うと、笑里が後ろを振り向いて、人差し指を額に当てて、鬼の角みたいにした。

恵美えみ、お母さんいいって何よ」

『で』と言われたのが気に食わなかったようだ。そこを強調して言う。

「お母さんいい!」

「いい子〜!」

全員でコロコロと笑う。可愛らしく、楽しそうだ。

「おっ、あと少しだぞ〜」

「「本当!?」」

ぱぁっと顔を輝かせる様子は、姉弟きょうだいでそっくりだ。

「あと何分?」

「うーん、8分くらいかなぁ」

「うえ~、まだまだじゃん」

「もういい、寝る」

「ちょっと、もうすぐよ?」

笑里がたしなめても、ふてくされたように窓の方を向いて丸まってしまう。 

「ふっ」 

「「「あ、今笑った〜!」」」


✤✤✤


「…ねぇ、何の心境の変化よ」

駐車場に車を止めて、子供らを降ろしていると、隣から妻が話しかけてきた。

「お義母かあさんのお墓参りに行くだなんて…絶対何かあったでしょ」 

どう答えたものかと思考していると、どんっと背中に衝撃。ぶつかってきたのは娘の恵美だろう。

「お父さぁん、見てみて、お花綺麗」

ひょこっと僕の前にやって来て、恵美は駐車場の片隅を指さした。

紫、青の小さな花の集まり。藍色の集まりを意味する『集真藍あづさい』が訛って、この名になったとされる植物。触れると痛む古傷のような存在だった、この花……。

「紫陽花…本当、綺麗ねぇ」

笑里は、長男の真司しんじと手を繋いだまま、見惚みとれている。

(ねぇ、。まだ全ては許せないけれど……もう謝らないで。いや、本当はずっと前から少しずつ怨みは消えていたんだろう)

そこまで思って、少し哀しい気持ちになる。

(もう、母さんに僕の記憶は残っていない。それで良い。それがいい。これで、僕らは互いを傷つけなくて済むから)

笑里には、母の話をしたことがほとんどない。もうだいぶ昔にあの世に行った父のことも。笑里には憐れまないで欲しかったからだ。

よって、この間の『記憶ノ守り人』の人たちの話はしていない。あんなもの――幽霊だとかそんなものも含めて――が存在することは、幼い頃から知っていた。母方の祖父が、だったらしいからだ。

(不思議だ……。あれほど嫌った。なのに、今は自分たちがそれになっている)

母の写真を見た時、笑里は驚いたように言った。

『まぁ、あなたとそっくり』

母と僕は似ていた。だが、母と僕は違う。僕は子供を置いては逝かない。一人にはさせない。笑里も、妹を亡くしている。大切なのは僕らの『今』と、この子たちの『未来』。もう過去はいいのだ。

「お父さぁん、転んだぁ~っ!」

恵美の泣き声が聞こえてきた。僕は『父親』、恵美は『母親』。恵美と真司は『子供たからもの』。

これが、僕の家族なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る