異種族共生社会での寿命との向き合い方

うぽぽ

第1話 『異種族婚における寿命差トラブル講義』

 都市の中心エリアから少し外れた海沿いにある「生命倫理局・第九支部」。見た目は一見、普通の役所に近いが、玄関だけでも多様な種族向けの設計が施されている。大柄な獣人用の広いドア、小柄な亜人用の低いドア、そして、触手型や羽のある者が通りやすい可動式ゲートまで揃っているのが特徴だ。


 なぜこんなに工夫が必要なのか。それは、この社会が多種族共生を基本としながらも、種族によって体格や文化、そして“寿命”までも異なるからである。人間ヒューマン獣人ビースト悪魔族デーモン精霊族スピリット昆虫型知性体インセクト上位存在アンデッド……それぞれの姿や生態は大きく違い、死の迎え方も様々だ。そんな“バラバラ”な命を支えるために、生命倫理局は設立された。


 もともと、異なる種族同士が争いなく共生するには、法律面や経済面だけでなく、“命”や“死”の価値観もすり合わせる必要があった。たとえば、ある種族にとっては“世界からの消滅”が当たり前の終わりでも、他の種族には“急に消える死”として扱われ、ショックや混乱を招くことが多かったからだ。そこで、死と生を専門に扱う第三者機関として生まれたのが生命倫理局である。


 法律では解決できない“気持ち”の問題や、医療ではフォローしきれない“死の概念”を調整するのが、この局の主な役割だ。その業務内容は多岐にわたり、終末期ケアの支援、遺族への心理サポート、異種族婚における寿命差へのアドバイスなどを行っている。また、子どもが極端に短命または長命になるケースが発生した場合の家族支援や、種族ごとに違う葬儀スタイルを調整するなど、“命にまつわる困りごと”の総合窓口として機能している。


 そんな生命倫理局の中でも、第九支部は特に“異種族婚”を専門に扱うことで知られている。最近増えている婚姻トラブルを解決し、穏やかな結婚生活をサポートするために、定期的に『寿命差トラブル講義』を開催しているのだ。


 ——そして今、その講習室には、つい先日結婚したばかりの異種族カップルたちが集まっていた獣人ビースト悪魔族デーモン精霊族スピリット昆虫型インセクトの集団知性体など、姿や文化はまちまちだ。羽根や角、鱗を持つ者もいれば、半透明の身体を持つ者もいる。だが、異種族共生主義が進んだ現代において、人口比の上では純血の人間は殆どいない。


 壇上に立っているのは、純血の人間真野和臣まのかずおみ。ここでは珍しい存在だが、彼は落ち着いた様子で配布資料を手渡している。やがて全員がそろったところで、穏やかな声を響かせた。


「皆さん、今日は『異種族婚における寿命差トラブル講義』へようこそ。生命倫理局・第九支部の真野といいます。ここでは結婚生活で起こりがちな“死”や“寿命の違い”の問題を、どう受け止めるか一緒に考えていきましょう」


 ホワイトボードには、大きく『寿命格差がもたらす、愛と別れ』という文字が記されている。結婚式を済ませて間もない人たちには重い話題かもしれないが、この世界では種族ごとに寿命も死の形も違う。そこから生まれるトラブルを放置するわけにはいかないのだ。


「まずはご結婚おめでとうございます。皆さん、違う種族同士で結ばれたわけですが、寿命が違うと“どちらが先に亡くなるかわからない”とか、“死そのものの概念が全然違う”など、今後起こり得る問題がいくつかあります」


 この場所にいる者たちは、それぞれが互いに異なる時間軸と死の意味を抱えており、真野の言葉が静かに染み渡っていく。


「なので、できるだけ早いうちに、それをどう受け止めるか話し合っていただければ安心だと思います。そんな当然のことだけど、目を反らしてしまいそうな事実を、再認識する場所がこの講義です」


 スクリーンに映し出された資料には、寿命差から生じる主な問題が四つ挙げられていた。


『1. 老いるスピードの差(見送る側と見送られる側の苦しみ)』

『2. 子どもの寿命が極端に変化するリスク』

『3. 死別後の記憶の扱い(忘れる・忘れられない問題)』

『4. 種族ごとに違う死の捉え方(精霊族の変性、悪魔族の契約消失、昆虫型知性体の更新)』


 獣人の女性が、小さく手を挙げる。虎のような模様を持つ彼女は、隣にいる蛇のような鱗を持つ獣人の男性と手を握りながら、不安そうに口を開いた。


「私たち、同じ獣人でも系統が違うせいで、寿命が違うんです。もし私が先に老いて動けなくなったら……相手はそれを見てどれだけ辛いだろう、と考えると怖くて……」


 真野はうなずいて、資料を確認する。彼が所属する生命倫理局は、まさにそうした“恐れ”や“疑問”に答えるための組織だ。


「老いるほうも、見続けるほうも、どちらも大変ですよね。でも、お互いが何を恐れているのか話し合っていれば、少なくとも孤独にはなりにくい。黙ったままだと、“言えなかったこと”があとから大きい後悔としてのしかかります」


 特に短命の種族と長命の種族の組み合わせでは、時間の感覚そのものが異なるため、相手の苦しみや焦りが想像しにくい。ゆえに、言葉にして共有することが、何よりの備えとなるのだ。

 

「末期になってから『何も伝えられなかった』と嘆くより、今から『こういう別れ方がいい』『最後に交わしたい言葉は何か』などイメージしておくほうが、いざというときの混乱を減らせます。形に残すかどうかは自由ですが、“選択肢を増やす”ことが何より大切なんです」


 続いて真野はスライドを切り替え、事件ファイルの見出しを示す。


「例えば、一つの事例を紹介しましょう。精霊族の妻と悪魔族の夫が二十年ほど穏やかに暮らしていましたが、あるとき夫の契約トラブルで余命が急に縮み、わずか一週間で存在が消えてしまいました。妻はショックで“私も変性して消えたい”と言ったんです」


 精霊族と悪魔族のカップルは、まるで自分たちの将来を想像するように身を固める。

 物質世界への存在を“契約”によって維持する悪魔族は、契約の条件によっては突然死契約終了の可能性がある。精霊族には、死という概念は存在しない。その代わりに存在そのものを自然界に循環させ、完全に同調する“変性”が、死の一形態として認識されている。

 悪魔族の青年は腕を組んで黙り込んでいる。彼の場合、“契約”が破綻すると余命が急激に縮む可能性があり、隣の精霊族は“変性”によって自然に溶ける死を迎えるかもしれない。いったいどちらが先になるのか、まるで想像がつかない。


「このとき、生命倫理士が介入し、『本当に望む結末は何か』をともに考えました。最終的に妻は変性を選ばず、現実を生きる道を選びましたが、もし誰も支えなかったら、二人の思い出ごと闇に沈んでいたかもしれないんです」


 もう一つのファイルを拡大して映す。真野は声を少し落としながら続ける。


「もうひとつ、生まれた子どもの遺伝子異常。母が長命の長耳族エルフ、父が獣人という組み合わせで生まれた子の、遺伝子が致命的なエラーを起こし、わずか五歳で急激に老化が始まりました。両親は現実を受け止められず、医療機関や役所と対立しているうちに、看取りも間に合わないまま亡くなったのです。最後に“お母さん、どこ……”とつぶやいたそうですが、両親はそばにいませんでした」


 会場がしんとする。子どもの死の話は、どの種族であっても重い。しかも、このように寿命が極端にずれる子どもが生まれるリスクが、異種族婚にはつきまとう。


「もっと早い段階で倫理士が両親と子どもをつなげていたら、結末は違ったかもしれません。寿命のズレは夫婦だけでなく、子どもにも大きな影響を与えるんです」


 ここで、背に硬質の甲羅を持つ亜人の女性が遠慮がちに手を挙げる。


「……私たちの場合、両方とも長寿命の種族なのに、“一緒にいる時間が長すぎる”のが逆に怖いというか。千年先でも結婚生活が続くかもしれないのに、本当に同じ気持ちを保てるのか、自信がなくて……」


 真野は頷き、手元の書類ケースに指を滑らせながら、新たな資料を取り出す。透明なフォルダの中から抜き出した紙束を軽く整え、視線を前に戻す。


「“長命同士”の場合は、また別の悩みがあるんです。長すぎる寿命がゆえに関係が冷えきったり、“先に変性して相手を楽にするほうがいいのでは”と考えたり、あるいは“不死をもつ自分が相手を置いていってしまう”と苦しんだり。寿命差というと短命が悩むイメージがありますが、長命同士にもこうした問題が出ます」


 真野は講習室の端に置かれたホワイトボードに歩み寄ると、備え付けのマーカーを手に取り、項目を書き加えていった。


『5. 長命同士でも“永遠”をともに過ごせるか』

『6. 不死性のある種族と寿命がある種族の温度差』

『7. 親や周囲の反対(種族差別や文化衝突)によるストレス』

『8. 生命倫理局の具体的支援(家族説得・葬儀調整・終末期カウンセリング)』


「たとえば、悪魔族やアンデッド系など、不死に近い存在が異種族と結婚しようとすると、相手が先にいなくなるのをどこまで受け止められるか、大きな不安が出やすいです。周囲も『あまりに寿命が違いすぎる』と反対することが多く、家族関係がギクシャクする例も少なくありません」


 鱗に覆われた翼竜型の亜人男性が、ため息をつくように話し始める。


「うちの親も、相手が混血種ハーフなのをよく思ってないんです。“生き方のペースが違いすぎる”とか言われて……どうにか分かってもらえないかと、思い悩んでいて」

「まさに、そこも私たち生命倫理局が協力できる部分ですね。家族を説得する方法を一緒に考えたり、周囲にどう寿命差の説明をするか、具体的なシミュレーションを立てたり。私たちの仕事は『死』に向き合うだけでなく、“どう生きるか”を支えることでもあるんです」


 そう言って微笑む真野の姿は、いかにも“相談役”らしい穏やかさに満ちている。そして、講義を受けるカップルたちの空気も、最初の重苦しさから少しずつ、前向きな方向へ変わっていく。


「さて、まだ不安や疑問は尽きないと思いますが、ここまでが前半です。後半は個別面談を行いますので、“私たちの種族ではこんな特殊な死があるんだけど?”や“子どもがもし異種族の特徴を受け継いだらどうしよう?”など、何でも気軽に相談してください。辛いと感じる話も多いでしょうが、少しでも準備すれば乗り越えられる可能性が高まりますからね」


 こうして、“死”をまだ実感できていない新婚カップルたちに、寿命差から生まれる多彩なトラブルと、その対処法を紹介するのが真野の大事な任務だ。実際には、この後の個別面談で、さらに突っ込んだ質問や悩みが飛び出すはずだが、そのためにこそ第九支部がある。


 最後に、真野はホワイトボードを指さしながら、大切なことを付け加えた。


「生命倫理局は、こうした寿命の問題だけでなく、終末期のケアや葬儀の調整、場合によっては“実際に死と向き合えない”方のためのカウンセリングなど、幅広いサポートを行っています。どうか遠慮なく頼ってください。この世界で、それぞれの種族が安らかに最期を迎えられるように——私たちは、その手伝いができればと思っています」


 様々な種族がいるからこそ、生き方も死に方も多種多様。結婚という幸せの裏には、いつか必ず訪れる“別れ”がある。そこに加わる親や周囲の意見、遺伝や契約、不死性の悩みなど、それぞれが抱える問題は決して軽くない。それでも今、この場で学び、語り合うことで、彼らの未来はきっとより穏やかになるだろう。

 そして、それらの支援を行い、命と死の橋渡しをすることこそが、生命倫理局の職員である真野の職務である。

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