第8章

第56話

 皆月みなづきかなで、アサミ、そして従業員の田辺は渡り廊下を通って旧館の受付まで行った。

 灯りはついているのにロビーは薄暗い。


「新堂さん、ちょっといいっすか~」

 と、田辺が受付の小窓から声をかけた。


 昭和の風情を感じさせる受付室の小窓から、ベテラン女性従業員の新堂が顔を覗かせる。


「田辺くん、もうあがったんじゃなかったの、あら、皆様」


 と、言ったが、新堂はアサミとは会ったことがないのでわずかに怪訝けげんな表情を見せた。


 アサミがにっこりして、

「アサミといいます。今夜はこちらにお世話になります」

 と、言った。


「あら、お客様に失礼致しました」

 と、新堂。


「いえいえ」

 と奏が勝手に答える。

「新堂さんに少々お聞きしたいことが」

 奏は長身を折り曲げて小窓から受付室の中を覗き込んだ。


 皆月は、受付室の中に館主の娘、小学生の桜子もいることに気づいた。


 彼女は受付室の中にある小さな机の上で、またクレヨンを手にし絵を描いているようだった。


「あの子が桜子ちゃん?」

 と、アサミが奏に耳打ちした。

「ああ」

 と、奏。


 新堂は桜子を振り返り、様子を気にした。


「あの、桜子ちゃんはまだショックを受けていますので……」

 と、小声で言う。


 桜子の母親が、外のしだれ桜の巨木にいたのはついさきほどのことだ。


「業務中に大変申し訳ありません。……桜子ちゃん」


 奏は受付室の中にいる桜子に向かって直接、声をかけた。

 桜子がクレヨンを握っていた手を止めて顔をあげる。


「また絵を描いてるのかい。よかったら、おとといみたいにお茶を出してくれないか」


 桜子は頷いた。茫洋ぼうようとした目つきをしている。



 彼女は立ち上がると受付室を出て、タッとどこかへ駆けて行った。たぶん、別に給湯室のようなものがあるのだろう。


 机の上の絵は皆月からはしっかりとは見えなかったが、今度は桜(と首吊り死体)の絵ではないようだった。


 赤い色と黒い色が見えた。


 新堂が気がかりそうな表情を見せる中、奏が、

「お尋ねしたいことというのは、音楽ホールの建材に使われたという解体された古民家のことなんですが」

 と、切り出した。


「古民家……」

「はい。もともとはどこに建っていたものを解体したものかといったことが知りたいのですが、若島わかしまさんはまだ帰ってきていらっしゃらないとのことですし、奥さまが亡くなられて帰ってきても今はそれどころではないかと」


「ええ……」

 新堂は不安げに頬に手を当てた。


「あの、でもそれが何か」


「どうも事件があった部屋では天井の改修の際に音楽ホールに使った余りの、解体した古民家からとっている木材が使われたとのことで」

 新堂はわずかに眼を大きくみひらいた。

 それから、

「その古民家は江戸時代から建っていたものだと聞いています。隣というか、峠をひとつ越えた所にある集落にあったものだそうですわ。確かユイちゃんの出身の村に建っていたもののはずよ」

 話の最後のほうは田辺に向けて新堂は言った。


 そして、皆月らに向けては、

「ユイちゃんというのはうちの従業員の入間いりまという者なんですが」

 と、補足した。


 皆月らは互いに視線を交わしあった。

 田辺がすっとんきょうな声をあげる。

「ええ~、そうなんスか? ユイからそんな話聞かなかったな」


 奏が顎を撫でた。

「予想した通りではないようだな。実は入間ユイさんからも話を聞かせてもらっています」


 そうして、かなでは首を振りながら皆月みなづにとアサミを見た。

「図書館にあった郷土史料の伝説によれば、死人桜しにんざくらが伐採されたのは昭和初期とのことだ。江戸時代から建ってた古民家ならどうも、関係があるのかないのか」

「アテが外れたな」

 と、皆月は肩をすくめた。

「でも死人桜のあった村に建っていた古民家ではある。何か関連はあるのかも」

「ああ」



 桜子が無言でお茶を運んできた。

「あれっ、桜子ちゃんぼくの分まで? ごめんね」

 と、田辺が言う。


 桜子はやはり無言だったが、田辺を見上げて、すう、と、微笑わらった。


 皆月は内心、ぞっとした。


 母親を亡くしたばかりの子供の顔つきとは思えなかった。

 彼女は何かを楽しんでいるように見えたのだ。



 窓の外は暗闇になりつつあった。


 ぽつ、ぽつ、と、小さな灯りが旧館前のあちこちに灯り始めた。


 シゲさんという高齢の従業員が、竹灯籠たけどうろうにひとつひとつ火を入れているのが窓から見えた。


「田辺くん、手伝ってあげたら?」

 と新堂。

「え~、ぼくもう今日のシフト終わってるのに」

「でも、シゲさん最近、腰が痛いって言ってたもの」

「へぇへぇ」

 と、田辺。


 田辺は皆月たちに断りを入れて外に出ていき、皆月たちは旧館のロビーで桜子が持ってきてくれた煎茶を飲んだ。


 囲炉裏いろりの上にかかっていた自在鉤じざいかぎは、もちろん今はもうそこにはない。



 桜子も新堂も受付室の中に引っ込んだ。


 しばらくして、アサミが奏の袖を引いた。


「旧館の中を見てみたい」


「わかった」


 三人は立ち上がり、新堂に礼を言ってその場を離れた。





 十分に受付から離れてからアサミが首をかしげて言った。


「あの子に魂はふたつ入ってないわ」


「桜子ちゃんか」


「そう」


「なら、何かに取り憑かれてるって訳ではないな」

「そうね」


 奏はなぜかにやりとした。


 アサミが皆月に、

「奏くんの中には魂が二つ見えるからね、わたしは。奏くんと、ルーカスくんと。あはは」


 どういう内輪ジョークなんだよ。皆月は中途半端に笑ってみせる。


 やけに軋む音を立てる、擦りきれた緋毛氈ひもうせんのようなものが敷かれた階段を三人は上がった。


 昭和の遺物みたいな建物なためか、角度が急だ。


 と、アサミが足を止めた。


「うわ、すごいスキマがある……」


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