11. 確かな命

 〈エマルネ・レプリオ〉の「殺人はしていない」という言葉は、妻夫木刑事を苦しめた。


(俺は殺した。あいつは殺していない。ナタリーも殺していない。俺は殺した。なぜだ? 俺が、生きていながらも子作りできない存在だからか? 「生」を作れないからか? ねたみか? そうか? そうなのか? いや疑問形は違うだろう。俺は、「生」が憎い。憎い、憎いんだ……)


 妻夫木刑事は、公務中に凶悪犯を射殺した。

 〈エマルネ・レプリオ〉は、殺人犯でもなければ、人間でもないため、裁きようがない。

 世界中の〈卵巣腫瘍獣らんそうしゅようじゅう〉使い——〈魔獣使いエイリアン・テイマー〉の女性たちから、「〈エマルネ・レプリオ〉が私たちを苦しめている」などと被害届が出ているわけでもない。それは、そもそも世界中の警察組織が、〈エマルネ・レプリオ〉に膣内射精された人間女性が〈卵巣腫瘍獣らんそうしゅようじゅう〉を産み出し続ける〈魔獣使いエイリアン・テイマー〉になってしまうという信じ難い事実を、被害者——便宜上そのように呼称する——を含む世間に向け公表していないせいでもあった。関係者内でも、ごく一部の人間を除いては、ただ「彼女たちは原因不明の病に冒されている」としか説明されなかった。しかし、不周知と無知とが、必ずしも誰かにとっての不利益となるわけでもなかった。

 事実が、二つの理由で隠匿いんとくされた。一つは、「世の混乱を避けるため」という、一見最もらしいが、独善的かつ不誠実な理由。もう一つは、カネだ。〈卵巣腫瘍獣らんそうしゅようじゅう〉の支離滅裂な身体は、皮膚組織や臓器などの器官のドナーとしての利用価値が高かった——というのも〈卵巣腫瘍獣らんそうしゅようじゅう〉を使った移植には血液学的遺伝学的問題がなぜか生じないという特徴があった——ため、重宝された。ドナー量産は、それなりの報酬を伴った。報酬は、〈魔獣使いエイリアン・テイマー〉に五、医者・科学者らに五、の割合で山分けされた。

 そして〈エマルネ・レプリオ〉から得られる最大限の情報を得ていたナタリー・レムは、全ての真相を知る唯一の〈魔獣使いエイリアン・テイマー〉だった。ナタリー・レムは、自分が特別な存在になったという錯覚に陥っていたが、それも束の間だった。ある時を境に、全ての〈魔獣使いエイリアン・テイマー〉は……



 ——〈卵巣腫瘍獣らんそうしゅようじゅう〉を産めなくなった。



(ナタリーが〈化け物〉の親をやめた。他の同じ境遇の女性たちも、同様だと聞いている。心当たりは、ある。〈エマルネ・レプリオ〉が、母星へと帰ったのだ。この星では繁殖不可能、この地球は侵略不可能、と悟ったのだろう。それでいい。殖えなくていい。生まれるだなんて、「生」だなんて……もう、うんざりだからな。)


 〈エマルネ・レプリオ〉が地球から去り

 〈卵巣腫瘍獣らんそうしゅようじゅう〉が

 産まれなくなって間も無く


 ナタリー・レムに子供ができた。

 それは、人間の子。

 妻夫木との、子だ。




 二人はすぐに、お揃いの指輪をめた。




(どうして俺は、あんなふうに衝動的に、ナマでヤろうだなんて思ったんだ……)


「妊娠の経過は、順調か?」

「ええ、順調。というか星一、言葉が堅くない?」

「あ、ああ。ちょっと仕事めいた口調だったかもしれないな。すまない(これは仕事ではない。)」

「別に謝らなくてもいいのよ? でさ、星一。なんだかずっと、考え事してる?」


(そう、だよな。バレる、よな。)


「実を言うと、そうだ。あれだ、俺は、不妊症だったのに。今こうして、ナタリー、君には別な命が宿っている。それはもちろんいいことには違いないが……なんというか、意外、だった」

「私、浮気はしてないわよ?」

「いや疑ってるわけじゃない!」

「わかってるわかってる。言ってみたかっただけよ。ドラマの台詞みたいで面白いじゃない?」


(今の冗談は……どうだろう、世間一般の感覚では、「面白い」のか?)


「まぁとにかく、妊娠は、めでたいことだ。それだけは、間違いない(俺は本当にそう思っているだろうか?)」

「そうね。めでたいわ…………そうだ、私一つ、気になったことがあるの」

「気になったこと?」

「ええ。でも厳密には、気になったというか、『疑っていることがある』と言うべきかしら?」


(疑い? なんのことだ? 俺に対する疑いか? 俺は何か、間違えたか? 間違えることは、怖い……)


「それは、誰に対する、何の、疑いなんだ? 詳細に教えてほしい」

「ちょっと星一、また刑事みたくなってるじゃないの。まぁいいや。つまりは、こうよ——」


 一年前……

 妻夫木星一は宝くじに高額当選した。その少し後で、妻夫木星一は離婚した。男性不妊を理由に、離婚した。当然のように、財産分与の手続きがあった。


「——当時の奥さんは星一の一億の金に目がくらんで、つまり離婚の財産分与目的で、離婚するに足る理由を。そのために、あなたを『不妊症』に仕立て上げたんじゃないかしら?」

(何だって!? 不妊症に仕立て上げただと!?)

「いやちょっと待ってくれ、そんなコウトウ——」

「『そんな荒唐無稽な話はやめてくれ』と言いたいの? でも、私が〈エマルネ・レプリオ〉になま中出しされてから〈化け物〉を産むようになっただなんて荒唐無稽な主張をした時は、全部本当だったじゃない!」

「それは確かに、そうだ(そうだ。全て嘘みたいで本当だった。)」

「なら一旦最後まで、話を聞いてちょうだい」

「わかった。そうしよう」


 ナタリー・レムの話を最後まで聞いた妻夫木星一は、その荒唐無稽な仮説を検証してみる気になった。


「全部調べ上げてやる。警察のデータベースも利用して……」

「ちょっと星一、それはショッケン——」


   「「職権、濫用だな/乱用ね!!」」


 妻夫木星一は刑事らしく、だが公務外で、元妻の医療機関受診履歴を調べた。すると元妻には、当時不妊治療のために妻夫木星一と通った場所とは別な、妻夫木星一の知らない産婦人科医院に、通院歴があることが判明した。もちろん妻夫木星一は、そこへ向かった。


 目当ての産婦人科医院に着くと、受付嬢に向かって、自身が刑事であることを証明する警察手帳を誇らしげに見せてから、堂々と院内を練り歩く。すると、やけに広めの個室の、扉の前に辿たどり着く。ノック後は返事を待たずしてすぐに扉を開ける。


「ちょっと失礼(おお、いたいた)、私こういうもの(刑事だ!)ですが……産婦人科医師の葉内康太郎ハウチコウタロウさん、ですね? ある案件について尋ねて回っていることがありまして——お、お前は!!」


 妻夫木星一の視線の先——デスクには、ナタリーの〈卵巣腫瘍獣〉の研究に参加した、産婦人科医師がいた。

 デスク上には、〈特殊案件 4〉のファイルがあった。

 葉内康太郎ハウチコウタロウ咄嗟とっさに、近くにあった注射器──それはなぜだか既に薬液が充填じゅうてんされている──のようなものを手に取り、「くそっ、お前か! いつかはぎつけると予想しなかったわけじゃないが……ついに来てしまったか」と言って、妻夫木星一をにらみつける。すると妻夫木星一は瞬時に、静かに、ジャケットの内側に手を忍ばせる。


「そんな注射器ごときで、刑事の俺にどう太刀打ちするっていうんだ?」

「これは恐ろしい遺伝子製剤、つまりは毒だ。刑事さん、あんたの体にひとかすりでもすれば……刑、事? ああ! 思い出したぞ、お前、有名な立てこもり事件で凶悪犯を射殺したあの刑事じゃあないか!」

「だから、なんだ?」

「おいおい! どうした、あの時みたく拳銃を取り出さないのか? ほら、撃てよ! バァン! バンバンバァーン! てな」

(ふざけるな……)

「そうか。お望みとあらば、そうしてやろう」

「お? やるのか!? 撃つのか?」

「ああ、そうしようか——」


 妻夫木星一は、ふところから……




 拳を

 堅い、一つの握り拳を

 取り出した。




「——おっと、言い忘れていた。今日は私用なんだ。拳銃は携帯していない。この国は、拳銃の扱いにも、拳銃を使った者にも、やけに厳しくてな」

戯言たわごとを! ならこれを食らえっ!」


 葉内康太郎ハウチコウタロウは遺伝子製剤の入った注射器を雑に振り回す。

 妻夫木星一は、容易く注射器を取り上げてしまった。

 そして直後、硬い床にひれ伏す葉内康太郎ハウチコウタロウを見下すようにして、妻夫木星一がデスクについてしまった。


「どれどれ、このファイルが怪しいな。〈特殊案件 4〉か。俺はこれを、見たことがある……」


 産婦人科医師葉内康太郎ハウチコウタロウは、然るべき裁きを受けた。妻夫木星一の元妻から、一千万円を受け取っていた。その大金の原資は妻夫木夫妻の離婚による財産分与由来の五千万円であり、その倍額が妻夫木星一の宝くじの高額当選一億円だった。子種を仕込んだはずの日には強力な緊急避妊薬が使われていた。元妻は、なかなか妊娠しないことに悩むフリをして、実際には葉内康太郎ハウチコウタロウの元に不妊症検査の検体を送付して精子の異常を捏造、男性不妊に見せかけたのだった。また、葉内康太郎ハウチコウタロウは、妻夫木夫妻の件とは別な不妊治療詐欺で贈収賄ぞうしゅうわいを繰り返しており、法律で禁じられた臓器売買の常習犯でもあったと判明した。な妻夫木星一だったが、不幸中の僅かな幸いで、元妻からいくらか金を取り戻すことが叶った。


「ねえ星一」

「どうした?」

「変なことを聞くようだけれど——」

(変なこと? なんだ?)

「——前の奥さんとは、愛しあっていたの?」

「なんだ、そんなことか。そうだなあ——」

(こんな言い回しは、どうだろうか。)

「——〈エマルネ・レプリオ〉の言っていたように、愛がないと、子供はできないのかもしれないな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る