第四章 二十一話 広間の主
歩き出してすぐ、この洞窟の異常さに気付く。
「生き物が居ない……?」
最初に警戒していた熊や狼どころか、コウモリや虫の類すら見当たらなかった。危険な魔獣が居ないのは助かるけど、虫すら居ないなんて事、自然界に存在する洞窟としてはあり得ない。
理解の及ばない洞窟に恐怖を覚えるも、僕の好奇心がそれを押し殺していた。
それに奥に行くにつれて広くなっているのも妙な気がする。最初は僕が手を広げて二人並べる程度の通路だったのが、今や三人は入りそうだった。
いつの間にか、手汗でじっとりとしていた手のひらを拭い、果ての見えない通路への不安を打ち消すようにランタンを掲げた。終わりが見えないかと思われた一本道の通路、果たしてその先には――。
「扉だ……」
それは玉座の間へと通ずる扉の如き大きさをしており、洞窟にあるのが何かの間違いかのように荘厳な扉だった。
僕の中で好奇心と警戒心が大喧嘩をしている。明らかな異常、手加減無しの不思議、言うまでも無い危険性、未知への浪漫。そんな言葉が頭の中をぐるぐると回りながらも扉へと駆け寄る。
――気づけば僕の手は扉にかかっていた。
大きな扉は思いの外軽く開く。
扉の隙間から顔を覗かせたその先には、およそ地下とは思えない玉座の間のような広大な部屋があった。
一体だれが貼ったと言うのか、その壁も床も一面石のタイルで覆われている。
その部屋の中央では、僕の腰くらいの高さの台座の上で暗赤色の四角い水晶体が鎮座するように浮いており、それを囲むように存在する装飾の施された四本の大きな柱が部屋を支えているようだった。
「何だろ、あの水晶?」
いよいよもってこの不思議な洞窟が新発見の迷宮じみてくる。にわかに興奮した僕はその部屋に足を踏み入れた。
その瞬間、後方の扉が勢いよく閉まる。
「――なっ!」
焦った僕は扉に取り付くも、先ほどはあんなに軽かった扉が押しても引いてもビクともしない。
そうこうしていると大きな足音が響く。慌ててそちらを向けば、太い柱の陰から巨大な魔獣が姿を見せた所だった。
その魔獣は僕の二倍はありそうな体格で熊のような見た目をしていた。背後の水晶体と似た暗赤色の瞳と毛皮をしており、頭には山羊のような巻き角がある。勲章の様に胸についた大きな爪痕が目立つ上半身は巨大だが、その割に脚は短い。そのせいでどこか作り物めいて見えた。
丸太の様な腕の先には、ミューよりも鋭そうな太い爪が並び、掠っただけでもタダでは済まない雰囲気を漂わせている。
何故か背中には外套にように、己の物では無い真っ黒い毛皮を、器用にも首元で縛って纏っていた。
森で見かけた熊の様な魔獣に似ていたものの、それよりも更に凶悪な存在であろう事は見て取れる。
「これは、しくじった……」
退路を断たれ、目の前に明らかにヤバそうな魔獣。好奇心は猫をも殺す。そんな言葉を習った気がするが、後悔している時間は無さそうだった。
すぐさま鞄を降ろし、全身の装備を確認する。そして今まで使う機会が無かった鎧の左肩を外し兜として被り、剣を抜いた。
改めて周囲を確認する。この広い空間にあるのは大きな柱が四本と赤い水晶体が浮かぶ台座、そして出入口らしきものは背中の開かなくなった扉が一つだけ。つまり、逃げ場が無い。魔獣を倒さなければ出れない部屋と言う事だろうか。
その魔獣はこちらを見すえていながらも、動く気配が無い。まさか僕の出方を伺っているのだろうか。
「まさかこんな形で人生初の迷宮に挑む事になるとはね」
とにもかくにも、目の前に居る危険をどうにかしなければ安全が確保できそうに無い。
「覚悟を決めるほか無さそうだ」
剣を両手で握り深呼吸する。クレイグとの今までの訓練が頭によぎる。
部屋の中央に居座る、未だ動きを見せない魔獣に視線を移せば、彼に匹敵するほどの威圧感を放っているのが感じ取れる。そしてそれ以上に強く感じるのは、チリチリと肌を刺す感覚――なるほど、これが殺気か。
訓練中にこれほどの殺気を受けた覚えは無かった。クレイグも本気になるとこういった気を纏うのだろうか。
「目の前の相手が自分を殺しに来る感覚とは、こういう物か……」
恐怖と緊張で震えそうになる体。手やつま先も冷えて行くようだった。
「気合を入れろ、ヴェレス」
目を閉じて先程よりも深く、息を吸い込む――。
「――――――ッハ!」
裂帛の気合を籠めて、余計な思考を吹き飛ばした。
澄み渡る思考と視界で相手を見据えれば。僕の声を合図にしてか、膨らんだ殺気を纏ってゆらりと、いよいよこちらに近づいて来るようだった。
僕らの距離が縮まるにつれ、魔獣の近づく速度は上がり、やがて突進と言えるまでになる。もし正面から受ければこの広い部屋の壁から壁まで吹き飛びそうな勢いだ。
盾を構え腰を落として、相手の出方をギリギリまで待つ。
いよいよ相手の腕が届きそうな所まで距離が詰まった所で、魔獣の右腕が振り下ろされた。
それを左前方に転がって避ける。轟音と共に僕が居た場所のタイルは吹き飛んでいた。素早く起き上がり、魔獣が振り返るより早く、背中に向かって飛びかかる。
上段から振り下ろした剣は、強化を籠めたにも関わらず、黒い毛皮をいくらか切り裂いただけだった。どうやら、思いの外に丈夫な外套のようだ。
魔獣が振り向きざま、右から左から、上から横から、連続で爪を繰り出す。それを剣と盾で必死に受け流していく。その一撃一撃が致死の気配を漂わせていた。
また距離を空けられて突進されると面倒なので、可能な限り魔獣の攻撃に食らいつく。
爪と鉄が打ち合い、甲高い金属音が楽器のように広間に響く。それはいっそ耳当たりの良い音楽のようですらあった。
しかし、その荒々しい公演は不意に止む。
急に打ち合いを止めて一歩下がった魔獣が、黒い外套を翻した。一体何をと思えば、その外套が青白く光っているのが目に入る。
途端、魔術回路の発現も無しに目の前で魔力が急激に膨れ上がった。肌を刺す殺気がより鋭くなる。
「――!」
体を隠すには心もとない小盾を構え、全身に防御魔術を発動させる。その瞬間、魔力が弾け――。
――爆発した。
少しでも勢いを殺そうと咄嗟に後ろに飛ぶ。それでも体が地面を跳ねて何度も転がり、兜と左腕の盾は吹き飛ばされていた。
ようやく回転が止まった体を起こし、揺れる煙の向こう側を睨む。黒い毛皮の外套から、こちらを伺う魔獣の顔が見える。その顔は嗤ってるように見えた。
「掠ったら死にそうな爪に加えて、爆発魔術に便利な外套もお持ちですか」
ある種の魔獣は自然と魔力を扱えるようになると知識では知っていた。しかし先程の爆発は魔力の暴走と言った様相だった。暴発なのは単に魔力操作が下手くそなせいだろうか?
加えて自身の身は外套で防御したように思える。明らかに狙って外套を広げたようだし、なんか光ってたし……。
外套になっている黒い毛皮は魔力に耐性があるのだろうか、パンドラグレイウルフの亜種か何かか。とにかく僕の持ってる毛皮より性能は良さそうだ。僕が勝ったら戦利品にさせて貰うからな。
立ち上がりつつ体の具合を確かめながら状況を整理する。ギリギリで発動した強化魔術のおかげで骨折まではせずに済んだようだ。
「とんだビックリ箱だ」
相手から目を離さず、大きく嘆息する。
しかし変な感じだ。
魔力をただ高めて暴発させる、自爆覚悟の乱暴な力の使い方。魔術を知ってる者のソレではない。だが魔獣は外套を使って自身への被害を防ぎ、ただの暴発のような魔術を無理やり攻撃手段にしている。
知恵はあるが知性は無く、力はあるが技は無い。
獣の本能だけではない何かちぐはぐな物を感じる。小さい子供に力だけ与えたような、あたかもそう造られたかのような違和感。
「――――――――――!」
訳の分からないやりにくさを感じいていると、腹の底に響く咆哮が思考を中断させてくる。
またもや僕を軽く吹き飛ばしそうな勢いで、魔獣はこちらに向かって突進してきた。丸太の様な右腕が上段から振り降ろされる。
「それはさっきも見たぞ!」
今度は飛び退ってそれを避ける。
相手の下がった頭を狙い、反動を使って飛びかかるものの、すぐさま奴の左の爪と打ち合い弾かれる。
僕は左へと剣が弾かれた勢いのまま、背中を見せる様に飛び下がりつつ、その流れで横に一回転。剣を横に薙ぐ――しかし奴はギリギリで踏み込んで来なかった。
「――ちっ、野生の勘か!」
空振りした剣を、右腕に肉体強化を発動させて無理やり止める。手首を返し、軋む関節を魔術で無理やり抑え込みながら大きく踏み込み、魔獣の左脚を斬りつけた――と思ったその時、頭上に影を感じる。
破城槌の様な両手が叩きつけられようとしていたが、懐に踏み込みすぎてしまい下がって避けるのはもう不可能だった。
「この、短足め……っ」
奴の狭い股下を転がり抜けようとする――嫌な予感。
咄嗟に、股の間から見えた外套の先を全力で引っ掴んで転がる。
一呼吸の後、再びの衝撃と轟音。
またも吹き飛びながら床を転がるが、魔獣の外套の効果か先程よりは楽に勢いをいなして体勢を立て直し振り返る。そこには焼け焦げた背中を見せ、苦しそうに唸る奴の姿があった。
正直賭けだったが魔獣の外套をむしり取り、それで身を守れたようだ。ついでに相手を自爆させたので一石三鳥である。どうやら魔力耐性と共に物理的な攻撃にも強い毛皮のようだ。
これを上手く奪い取る事が出来たのは、僕が最初の一撃を入れた部分から裂けたからのようだった。
上等な物なのは間違いなさそうなので、生きて帰ったら外套にでも利用させて貰おう。と思うものの――
「……いや、くっさいなぁ……これ……」
何年も洗ってない犬ですらもう少しマシな臭いがしそうなそれに、かなりの躊躇を覚えてしまった。
「僕の残りの魔力も、もう心許ない――ここらで、奥の手だ」
毛皮を手前に放り投げつつ相手から視線は外さず、手だけで腰の左右にあるイレーナ先生特別性の薬鞄を探る。瓶ごとに仕切りがあり保護するようになっている。
良かった、あれだけ転げまわっても割れてない。
特別製の瓶は丈夫だった。目的の黄色と黒の二つの瓶を取り出し、剣を左手に持ち替え、瓶の首を右手の人差し指と中指、薬指と小指でそれぞれ挟む。
「コレを城内で調合しないって誓約書を書いたっけ……」
この爆薬を開発して大騒ぎになった事を思いし笑ってしまう。
「ま、ここなら……怒られないよね……」
右手を軽く振り、ベルを鳴らすように瓶同士を軽く打ち合わせる。
戦いの場に不似合いな、乾杯でグラスを合わせた時のような透き通った高音が響く。そして瓶の中身が混ざり合うように黄色と黒のまだら模様に変わっていく。中の液体は沸々と、時と共に激しく泡立っていく。
「イレーナ先生を史上一番怒らせた爆弾――くらえっ!」
魔獣の顔めがけて瓶を投げつけ、それを追うように自分も駆け出す。奴は左腕で瓶を振り払おうとしていた。
「振り払おうとしても無駄だ!」
先程放り投げた毛皮を拾い上げ、僕は鼻が曲がりそうになるのを我慢しながら包まる。次の瞬間、魔獣の魔力暴発よりも激しい爆発音と共に、その丸太のような左腕が吹き飛んだ。
獣の咆哮が耳をつんざく。
衝撃をいなしてくれた臭い外套を今度こそ脇へ投げ捨て、残る距離を全力で駆ける。一歩一歩、強化魔術を脚が地面を蹴るのに合わせる。相手は片腕を失いつつも、まだ僕を迎え撃とうと右腕が振り上げた。
飛ぶように駆け寄り、奴の動きより早く、その胸に剣を突き立てる――。
「やったか!」
いや、クレイグが言っていたっけ、こと戦場においてそれは禁句だと。
魔獣は呻き声を上げて仰け反ったが、眼からはまだ光が消えておらず、腕を振り回してくる。
「しぶといな!」
咄嗟に剣を手を放しそれを避け、剣の柄尻へと強化魔法と共に後ろ回し蹴りを叩き込む。刀身が根元まで突き刺さり、断末魔のような咆哮が鼓膜を貫く。仰け反った魔獣の目から、とうとう光が消えていく。
勝った――と思ったその刹那――奴の瞳が燃えたように赤く光って見えた。
さっきまで力なく下がりかけていた右腕に、尋常ではない殺気が宿る。
もはや魔獣にとっても最期であろう一撃は、今までで一番早く強力だった。
ようやく倒したと思った不意をつかれ回避が間に合わない。
奴の踏み込みで石のタイルが割れるほどの力が籠められた致死の爪が、僕の上半身を吹き飛ばそうとした。
勢いに任せて城を出た結果がこれとは。父上、母上、申し訳ございません。
体は動かないのに、妙にゆっくりと見えるそれを眺めながら、僕の頭の中には何故かこれまでの思い出が巡っていた。これが走馬灯か、とそう思ったその時。
その走馬灯にアンガルフが割り込んで来た。よりにもよって、最期に思い出すのがこんなおじいちゃんの顔か?こんな時まで不敬な奴だ、と思わず笑ってしまう。
――身体強化の魔術は便利ですが、強力な物を発動し続けるのは非常に困難ですぞ。程度によっては関節や筋肉を保護する事にも使えますが、長時間の発動は負荷が高すぎますからな。しかし、瞬間的であればあるほど、非常に強い強化を、少ない魔力でかける事ができますので、修練を積めば実力以上の力を出す事が出来るようになりましょう。
ですが、まぁ……そのように連続で強化を使用すれば、反動に苦しむ事になりますぞ。一つ教訓を得ましたな、ホッホッホ――
あれ、わざとだろう? アンガルフよ。
そうか――僕にはまだやれることがあるか。
なけなしの魔力を絞り出して、一瞬、しかし、全力の身体強化と防御魔術。振り降ろされた腕を抱え込むようにして受け止める。肉の潰れる音と骨が軋む音は僕の物か奴の物か。鎧がひしゃげ、大きな爪が食い込むも何とか止まった。しかし爪を受け止めようとも、衝撃は体をつき抜けていく。内臓が全部、体の右側へと片寄った気がした。
「――ッ!!」
肺の空気も全部押し出され、膝をつき意識を手放しかける。それでも、奴の眼に僅かに光が残っている事実がそれを許さない。
まだ辛うじて動く右手で腰から
もはや僕もコレが最期の一撃。もう何も残ってない僕に、かけらでも残った何かを使って踏み込む。
全身全霊で短剣を突き立てた。
肉を切り裂き、骨をも砕き、小刀にしては長い刀身が、奴の顎から脳天までを貫いた。
魔獣はもう叫びもせず、その巨体を仰向けに倒し、地響きをあげる。
それを見届け、僕もその場に崩れ落ちた。
「勝負あり!だね!」
楽しそうな子供の声が場違いに広間に響いた。
「いやー!すごい白熱した戦いだったね!?君があの子の最後の一撃を耐えた時は思わず声が出そうになったよ!邪魔しないように心の中で応援してたんだけど、君が勝ってくれて嬉しいよー!」
興奮した様子で語る声はやはり子供の声だった。
「こども……?どこから……?」
この空間には僕と魔獣しか居なかったはずだ。
もう体を起こす力も無い僕は首だけを巡らせて、声のする方を見る。その先には暗赤色の四角い水晶体が浮いていた。
最初に部屋に入った時から気になってはいたが、特に戦闘には関係しなさそうだから意識から外していた。そうか、戦ってる間に近くまで来てたのか。
まだ興奮気味に何か言っている声は、その水晶体の方から響いていた。まさかこれが喋っていると言うのか。
「水晶が?……なんだこれ?」
「ん?僕かい?僕は
ダメだ、何を言ってるのか理解できない。それよりもそろそろ意識が飛びそうだ。気を失う前に傷をどうにかしないと死ぬ……。
「それよりも!君、そんな存在力垂れ流し状態じゃ、もう死んじゃうよ?だから、どうかな?僕と契約してくれないかな?」
「けい……やく……?」
「そ、詳細は一旦省くけど、僕と契約すればひとまず君は助かるよ。それは絶対に保証する」
水晶体が言うには助けてくれると言う。今まさに死にそうな状況だけど、死ぬほど胡散臭い。
こいつは混沌の神に遣わされたと言っていた気がするが、天使か何かか?それともそれを装う悪魔か?そもそも混沌の神ってなんだ?
そうこうしている内に意識を繋ぐのも段々と辛くなってくる。
「あんまり悩んでると間に合わなくなっちゃうよー!?」
水晶体が慌てたように揺れている。こっちの命は風前の灯火だと言うのに、いっそ微笑ましくすら見える子供のような様子に毒気が抜けて頷く気になった。
「わかった……けいやく……するよ……すきにしてくれ……」
他に方法がないのは事実、もうどうにでもなれ、だ。
「やった!まっかせてー!絶対に助けるから!」
契約の宣言と共に目の前が白く染まっていく、視界の端で赤い水晶体がぐるぐると勢いよく回っているのが見えたのを最後に、そのまま意識を手放す。
張り切った子供の騒がしい声が、妙に頼もしく聞こえた気がした――。
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