第2話 森の影と復讐の名

王都を追い出され、東へ向かう街道を歩き続けて、どれくらい経っただろうか。

足は鉛のように重く、頭もぼんやりしている。

半日……いや、それ以上かもしれない。正確な時間なんて、もうどうでもよかった。

腹は空っぽで、胃がきしむ。

喉は乾ききって、唾すら飲み込めない。

体を覆うのは、ほつれたボロ布一枚だけ。冷たい風が、肌を容赦なく刺してくる。


このまま、道端で朽ち果てるのか──

そんな嫌な予感が頭をよぎる。


「……くそっ、こんなとこで死んでたまるか」


乾いた声で吐き捨て、足を引きずるように前へ進んだ。

目の前に広がるのは、鬱蒼とした森と、なだらかな丘陵地帯。

東へと続く、王都から逃げ出した先に待つ、あてもない旅路。


森に一歩踏み込んだ瞬間、空気が一変した。

冷たく湿った風が木々を抜け、腐葉土の匂いが鼻を突く。

枯葉を踏みしめる足音だけが、異様に大きく響く。


その時──

「グルルル……」

低く唸る声。

振り向いた先、暗がりの中から獣の眼光がギラリと光った。

狼だ。しかも、こちらを狙っている。


「おいおい、マジかよ……!」

絶望が胸を締めつける。

武器もない、満足に立つ力すらない、こんな状況で──


──考える暇なんてなかった。

本能だけで、俺は森の奥へ向かって全力で駆け出していた。

枝が頬を掠め、根っこに足を取られそうになりながら、ただ無我夢中で逃げる。

背後から追いかけてくる狼の唸り声が、耳を突き刺す。

息は切れ、肺が焼けるように痛む。

それでも、止まれない。止まったら、終わりだ。


どれだけ走っただろうか。

気づけば、背後の気配が薄れていた。


「はぁ……はぁ……生きてる……か……」


一安心して、地面にドサッと座り込んだ。背中を木に預けて、目を閉じる。

疲れが一気に押し寄せてきて、意識が遠のきそうだった。


その時、背後に気配を感じた。

「──ねえ、あなた」

耳元で、柔らかな声がした。


慌てて目を開けると、そこには槍を担いだおっさんと、剣を腰に下げた女が立っていた。

「見ない顔ね。何者なの?」

女が警戒気味に問いかける。


「待て、待て! 俺はハルトだ! 王都から追い出されただけだ!」

両手を上げ、必死に訴える。

心臓がバクバクと耳を打つ。狼から逃げたと思ったら、今度は人間に殺されるのかよ。


「追放者? 何をしでかしてきたんだ?」

おっさんが目を細め、俺を値踏みするように見た。

槍を地面に突き立て、逃げ道を塞ぐような態勢だ。


「よくわかんねぇよ。俺も気づいたら王宮にいて、偉そうな奴らにゴミ扱いされて即追放だ。腹立たしくて仕方ねぇよ」


俺がそう答えると、おっさんが少し眉を上げた。

「勇者か……?」


その言葉に、俺は首を傾げた。

勇者って何だ?


おっさんが女の方を見た。

「リナ、多分こいつ、召喚されてきた勇者だな」


リナと呼ばれた女が俺をじっと見て、おっさんに尋ねた。

「ねえ、トマス、召喚って何なの? また王都の無駄遣い?」


トマスと呼ばれたおっさんが、ため息混じりに話し始めた。

「召喚ってのはな、王国が異世界から勇者を呼び出す儀式だ。

貴重な精霊石を大量に使って、魔法陣で向こうの世界から生きた人間を引っ張ってくる。王都の連中は、それで強力なスキルや加護を持った勇者を手に入れて、国を栄えさせようって魂胆だ」


俺は初めて聞く話に耳を傾けた。

精霊石、魔法陣、勇者――


王都で起きたことが、少しずつ繋がってきた。

俺は向こうの世界から、いきなりこっちに引きずり込まれたのか。


そして、トマスが一人の名前を口にした。

「王都のトップが、レオニスだ。このラガルト王国の王で、傲慢で腐った野郎さ。お前を追放したのも、そいつだろうぜ」


レオニス。


その名前が頭に突き刺さった。

王を名乗る偉そうな奴の名前が、ついに分かった。

俺をゴミ呼ばわりして、衛兵に腹を蹴らせて、宮殿から叩き出したあのクソ野郎が、レオニス。

胸の中の怒りが一気に燃え上がり、顔にそのまま出てしまった。


「レオニス……そいつが俺の復讐の相手の名前か……!」


歯を食いしばって呟くと、トマスが俺の顔をじっと見ていた。


「お前、何ができる? これからどうするつもりだ?」

トマスの声は冷静だったが、どこか試すような響きがあった。


俺は拳を握り直して答えた。

「スキルも加護もねぇ。でも、考える頭ならある。復讐は必ずする。レオニスを後悔させてやるって決めたんだ」


「ほう……」


トマスが小さく笑って、槍を肩に戻した。

「飯ぐらいは食わせてやるか。腹が減ってちゃ、頭も回らねぇだろ」


リナが目を丸くして、トマスに優しくたしなめた。

「ねえ、トマス、ちょっと待って。この子、信用しても大丈夫? 王都のスパイだったら、私たち困っちゃうよ?」


トマスが肩をすくめて答えた。

「当然、信頼はしてねぇよ。だが、話ぐらいは聞いてやろうぜ。敵の敵は味方って言うだろ」


そう言いながら、トマスは森の奥へ歩き出した。

「来い、ハルト。隠れ家に案内してやる」


リナも、小さく笑って俺に手を差し伸べた。

「……一緒に行きましょ。疲れてるでしょ?」


俺は立ち上がり、二人の後について歩き出した。


* * *

森の奥、木々に隠された小さな小屋に案内された。

粗末な木のテーブルに座らされ、トマスが干し肉と水を差し出してきた。

腹が鳴るのを我慢しながら、俺は今までの話をした。

王都での屈辱、追放の瞬間、そして復讐への決意。


トマスは黙って聞いてたが、やがて口を開いた。

「レオニスのクソ外道らしいやり方だな。この国はあのクソ野郎のせいで、めちゃくちゃだ。飢えて死ぬ子供がいる中で、増税を繰り返して私腹を肥やしている。東の俺たちみたいな貧しい地域は、見捨てられたも同然だ」


干し肉を噛みながら、俺はふと尋ねた。

「勇者って言うぐらいだから、魔王とかいねぇのか?」


トマスは鼻で笑った。

「魔王? 面白いこと聞くな。強いて言えば、レオニスって王が魔王そのものだ。民を苦しめ、国を食い潰している。そいつが一番の敵さ」


その言葉に、胸の中の復讐の炎がさらに燃え上がった。


レオニス。

王であり、魔王そのもの。


「レオニス……お前が魔王なら、俺がそれをぶち殺す勇者になってやるよ」


心の中で誓いながら、俺は干し肉を飲み込んだ。

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