桜の舞う音
浅野エミイ
桜色のノート
4月――。
「わぁ…きれい…」
駅から降りるとそこには
長い長い桜並木。
私は思わず感嘆の声を
上げる。
(引っ越しの時は、
ここまできれいに
咲いてなかったけど…
この街の桜並木は本当に
見事ね)
今日からこの街で、
私の新生活が始まる。
来週から、この近くの
桜学園音楽大学に
通うことになっている
のだ。
2浪までしてこの大学に
進学したのには
わけがある。
初恋の男の子と
再会するため――。
たったそれだけと
言われたらそうなんだけど
私にとって彼は、
いつまでも忘れられない
特別な存在。
それは私が女子校だった
せいもあるかもしれない。
だけど、私は彼のことを
忘れたことは
一度もなかった。
・・・・・・・・・・・・
――彼と出会ったのは、
小学生の頃。
母と離婚した父のところへ
遊びに来ていたときの
ことだ。
父のマンションの近くに
あった大きな桜の木。
私がその下で一人
遊んでいると、
どこからともなく
美しいピアノの旋律が
聞こえた。
それは近くの豪邸から
流れている。
私は花の蜜に
引き寄せられる蝶の
ように、
ピアノの音色が
する方へと
近づいて行った。
ひょっこり窓から
顔をのぞかせると、
そこには私と同い年
くらいの
男の子が見える。
一心不乱にピアノを
弾く姿は、
子供ながらにドキリと
した。
美しい風景に目を
奪われていたら、
ピアノを弾いていた
男の子が
急に立ち上がり、
こちらを見つめる。
(邪魔しちゃったかな。
どうしよう…)
勝手にのぞいてたことを
怒るのかと思ったら、
静かに私の方を
じっと見つめる。
そして、私に
1冊のノートを
差し出した。
「…やる」
男の子がくれたのは、
桜色の譜面ノート。
そこには音符が
きれいに書かれていた。
「これは?」
「…そこで遊んでた
君を見てたら
思いついた曲。
今弾いてたやつ」
私は彼の言葉に驚いた。
「えっ?
今の曲
あなたが作ったの?」
男の子は顔を赤くすると、
小さくうなずく。
思いがけないプレゼントに
嬉しくなった私は、
譜面を胸に抱いて
笑みを浮かべた。
「ありがとう」
それから数日間、
私たちは一緒に
ピアノを弾いていた。
といっても、私はその頃
ピアノなんて弾けなくて。
彼が弾いてる姿を
横で見てるだけだったん
だけど。
それでも幸せな時間を
過ごしていた。
でも、別れの日は必ず
訪れる。
私が母の元に帰るとき、
男の子が言った。
「俺、大きくなったら
じいちゃんの学校…
桜学園音楽大学に
行く」
「もし、君も音楽が好きに
なってくれたなら…
そこで再会しよう」
その思い出だけを胸に、
今日まで頑張って
きたんだ。
母に頼んで
ピアノを習わせて
もらって。
結局2浪もしてしまった
けど、
やっと彼に会えるんだ。
「…ふう、ここね」
私はボストンバッグを
持ち直すと、
『メゾン・ブルーム』と
書かれたアパートの前に
立った。
今日からここが、
私の新しい家。
引っ越しの時にもらった
鍵で
部屋の扉を開けると、
最初に目に入るのが
グランドピアノ。
私は荷物を置くと、
さっそくピアノの前に
座った。
古くなった桜色の譜面
ノート。
ピアノのふたを開けて、
譜面台のところに置くと
1ページ目を開く。
もう見なくても弾ける
けど、
彼との思い出を確認する
ように、
音符のひとつずつを
丁寧に奏でる。
明るい曲調は、弾いて
いるだけでも心地よい。
私がのびのびと演奏
していると――。
「うるさいっ!!」
突然の怒声に、私は
びくりと身構える。
部屋のドアが、乱暴に
開けられる。
鍵を閉めて
おかなかったのは
失敗だった。
でも、そんなことを
後悔しても、もう遅い。
赤毛で、ピアスを
あけている、
いかにも
「ロックしてます」と
いった風貌の青年が、
ずかずかと部屋に
入ってきた。
すれた感じの子なのに、
やたら瞳が澄んでるのが
印象的だ。
「ピアノ、耳触りだから
注意してよね」
「す、すみません。
でも…ここのアパートって
防音されてるはず…
ですよね?」
そうだ。
全室防音ってこと
だったから、
私はこの部屋を
借りたんだ。
だけど――。
「それ、管理会社の
嘘だから」
「えっ?」
私は青年の言葉に
耳を疑った。
「嘘っていうのは
言い過ぎかもだけど…。
確かにこのアパート自体は
近隣の住民に
迷惑がかからないように
防音になってる」
「でも、隣の部屋の
音は丸聞こえだから」
「そ、そんな!」
「アンタ、おかしいと
思わなかった?」
青年の言葉に
首をかしげると、
「はぁ…」と
溜息をつきながらも
説明してくれた。
「こんな新築できれいな
アパートなのに、
住民が俺とアンタだけ
なんだよ?
その時点で気づけよ」
確かに、言われて
みれば…。
この辺は音大が
あるから、
どこも防音設備の
ついてるアパートは
満室だった。
なのに、ここだけは
ほとんど空室で……。
(なんで気づかなかった
んだろう、私!)
「そういうことだから、
少しは気ぃ使ってよね」
青年は私の部屋から
出て行こうとする。
「あ、ちょっと
待って!」
「…なに」
不機嫌そうな声。
それでも私はめげない。
「引っ越してきて
挨拶もしてなかった
から…」
「私は里見莉真です。
よろしくお願いします」
「…ヒロム。
ま、迷惑かけないでよ」
ヒロムと名乗った青年は、
そのまま振り向かずに
出て行ってしまった。
これからの新生活、
どうなるんだろう。
一抹の不安を感じつつ、
私は荷物整理を始めた。
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