隻腕剣鬼、剣を振る ~五体不満足にて開花する才能~
天然水珈琲
第1話 憧れなければよかった
誰か、誰でも良い、強く強く、心臓を締めつけられるように強く、誰かに憧れた経験はないか?
俺は、ある。
俺がまだ幼い子供だった頃。
故郷の町を魔物たちの大群が襲った時、俺たちを助けてくれた
その中でも一際活躍していた剣士がいた。
巨大な大剣を振り回し、獅子のごとき覇気を撒き散らす大男で、町中に溢れ返る魔物の群れなど、全く寄せ付けない強さだった。
彼が通る場所では、悲鳴と絶叫が塗り替えられる。魔物に襲われた人々が上げたそれらが、瞬く間に魔物の上げる悲鳴と絶叫に変わっていく。
まさに一騎当千の英雄のごとき所業だった。
彼が剣を振る度に魔物たちの首は斬り飛ばされ、人々は意気を取り戻し、彼を中心にして自然と男たちが集まり、魔物たちへの反抗軍が生まれていく。
家族たちと避難する道中、小さな段差に躓いて転んだ俺は、魔物の群れに囲まれた。その時、大剣の英雄に命を救われたのだ。
幼心にもうダメだと理解した瞬間、俺を囲んでいた魔物たちが虚空を縦横無尽に走る大剣により、瞬く間に駆逐された。
理解が及ばず、呆然と見上げる幼い俺の前で、その人は日常の
「おう坊主、大丈夫だったか?」
くしゃりと頭を撫でられた。
その温かい手の感触を、今でも覚えている。
その人が笑うと、獅子のような威圧感は途端に消え失せ、少年のように屈託のない表情になる。
身がすくむような威圧感ではなく、近所の兄ちゃんのような親しみやすい雰囲気は、けれど人を惹きつける何かがあった。
地獄のような非日常の中でも、恐怖を容易く払拭し、人々に安心感を与えてしまうような。
きっと、これこそが英雄なのだと理解した。
この人こそが英雄と呼ばれる人なのだと、理解した。
だから、これがきっかけとなったのだろう。
この日の出来事は、幼い少年に憧れを植え付けるには十分過ぎた。
いつか、きっと、この人のようになりたい。
この人のように強く、この人のように人々を助けられるような存在に。
そこにいるだけで、人々に希望を与えてしまうような、そんな存在に。
それは誰もが人生で一度は抱くだろう、他者への憧憬。現実を知らない幼い憧れ。
年月を重ねるごとに、現実を知り、諦めていく憧れという名の夢。
だがその夢を、決して諦めない者もいる。
俺は憧れたあの人のようになるため、町の復興もまだまだという頃から、木剣を持って下手くそに振り始めた。
胸がいっぱいで、じっとしていられなかった。
●◯●
15歳。
討伐士ギルドに登録できるようになると、俺は故郷を飛び出した。
向かったのは「法界都市ノア」。討伐士ギルドの本部が置かれ、世界最大の異界迷宮「アビス」を擁する、人類の最前線都市だ。
討伐士として頂点に成り上がるならば、この都市に来なければ始まらない。
俺の憧れた英雄も、かつてはこの都市にいた。
彼と同じように強く、そして活躍する討伐士になるのだと、まずは1人で迷宮に潜り始め――そしてすぐに頭角を現す。
ギルドに登録するよりもう何年も前から剣を振り続けていた俺は、同年代のルーキーたちと比べても、頭一つ抜けた存在だった。
確かに幼い頃から剣を、あるいは戦いの術を習っていた奴は、俺以外にも大勢いるだろう。だが、積み上げてきた努力の量では、誰にも負けているつもりはなかった。
そしてそれは、間違いではない。
子供らしからぬ執念にも似た情熱を持って、俺はルーキーとして明らかに必要以上の実力を身につけていた。
だからこそ、同時期にギルドに登録したルーキーたちの中で、俺は最も早く、アビスの第2層に到達した。
当然のように、注目が俺に集まる。そして、これまた必然のように、そんな俺に声をかけて来る奴がいた。
「――よう! お前、もう2層に到達したんだって? 強いな!」
そいつは同年代のルーキーたちの中でも、一際恵まれた体格をした大男だった。
名前はオリバ。
この頃、俺以外にも一目置かれているルーキーたちは何人かいたが、オリバもその1人だった。
「なあ、お前まだソロだろ? 良かったら、俺とパーティーを組まないか?」
オリバから誘われた。
それに、俺はこう返した。
「パーティーを組むのは構わない。だが、二つ条件がある」
「ん? 条件? 取り分の話とかか?」
身構えるオリバに、俺は首を振る。
「いや、違う。条件の一つは、俺がパーティーリーダーになることだ」
俺は誰かの下につくつもりはなかった。だからパーティーリーダーが俺以外の奴になるというのなら、そのパーティーに入るつもりはない。
「ふぅ~ん……まあ、お前の方が色々と詳しそうだしな。俺はお前がリーダーで良いぜ」
「そうか。なら、もう一つの条件だが……」
「おう」
もう一つの条件。こちらは特に外すことはできない。
俺はオリバの目を真正面から見据え、覚悟を問うように言った。
「俺は討伐士として上を目指す。中途半端で終わるつもりはない。だから俺のパーティーメンバーもそうでなくちゃいけない。何がなんでも上を目指す。そういう覚悟か執念を持ってる奴としか、一緒に組むつもりはない。オリバ――お前はどうだ?」
「…………」
オリバは数秒の間、ぽかんとしていた。
今、何を言われたか理解していないように。
だが、ゆっくりと俺の言葉の意味を飲み下して――、
「へっ、良いねぇ……!!」
好戦的に笑った。その瞳の中に、炎が灯った。強い意思の炎が。
「俺もそう思ってたところだ。討伐士なんていつ死ぬか分からねぇシノギで食っていこうとしてんだ。上を目指さなくてどうする? ああ、そうだとも……!! 言われるまでもなく、俺もそのつもりだ……!!」
オリバは手を差し出した。
差し出されたその手を、俺もオリバのような猛々しい笑みを浮かべて握り返す。
この日、俺たちのパーティーは始まった。
それから3ヶ月。
俺たちの快進撃は続く。
俺とオリバのパーティーに、俺たちと志を同じくするメンバーが加わっていく。すぐにパーティーは6人に増えた。
パーティーリーダーにして大剣使いである、俺――ハーヴェイ。
パーティーの命綱、頼れる盾役の戦士たるオリバ。
斥候にして罠士、戦闘では遊撃と多彩な技能を持つ男、陰気なセス。
パーティーの中衛、鋭い槍で敵の隙を穿つ槍士、色男のカイル。
法術を修め、パーティーの補助と治癒を一手に引き受ける法術士、清楚なグレース。
魔術を修め、パーティーの要にして最大火力たる魔術士、陽気なトリスタン。
俺たちが上を目指す理由はそれぞれだ。憧れ、野望、嫉妬、金と女、大義、復讐――決して綺麗なだけの理由じゃない。だが、それがどうした? 上を目指すための強い原動力になるなら、それがどんな感情だって構わない。それでも向いている方向は皆が同じなのだから。
それぞれの目的を叶えるために、俺たちは討伐士として上を……頂点を目指す。
パーティー結成からわずか3ヶ月、俺たちは討伐士ランクを二つ上げた。ルーキーのGランクからFランクへ、そこから更にFランクからEランクへと。
それは法界都市ノアでさえ、数年に一度あるかないかというくらいの、快進撃。
人々は噂する。同業者たちは一目置いた。ギルドからは期待された。
「おい、あいつらが――」
「もうEランクまで上がったらしい」
「おいおい、マジかよ。早ぇな! まだ3ヶ月だろ?」
「俺たちの同年代じゃ、あいつらが出世頭だな」
「チッ、何であいつらだけ……」
「調子乗りやがって」
「すげぇよアンタら! なあ、何か特別なことでもしてるのか?」
「ハーヴェイさん、ギルドから皆さんに依頼が――」
順調だった。
全てが順調だった。
俺には、俺たちには、間違いなく才能があると思った。
このまま更に上へ駆け上がることを、俺たちは誰も疑っていなかった。
そして――。
EランクからDランクに上がるまで、2年が掛かり、
DからCランクに上がるには、更に3年を必要とした。
それから3年が経ち、俺たちは討伐士となってから8年が経過し、23歳になっていた。
Bランクに上がれる気配は未だなく。
かつて自分たちよりも下に見ていた同年代の討伐士たちが、あるいは俺たちよりも後に討伐士となった後輩たちが、その中でも才能があった者たちが、どんどんと、次々と、俺たちを追い抜いて上へ駆け上がっていった。
ああ――何と言うことはない。
俺が才能だと勘違いしていたそれが、才能なんかではなかっただけのこと。
俺が最初、他の奴らよりも早く成果を出せたのは、単なる下積みの優位に過ぎなかっただけのこと。
他の奴らが経験を積み、その優位が消えてしまっただけのこと。
そして――――俺たちには、才能なんてなかっただけのこと……。
俺は、俺たちは――もうとっくにかつての情熱を失っていた。
代わりに胸の内を占めるのは、自分自身、昔は思いもしなかった感情だ。
――憧れなければよかった。
――あの人に、憧れなければよかった。
――そうすれば、俺が道を踏み外すことは、人生に失敗することはなかったのではないか?
――もっと幸せな人生を歩めたのではないか?
――こんなにも苦しくて、悔しくて、惨めな思いをすることはなかったのではないか?
あの日、あの時、あの人に憧れてしまったことを、
俺は、深く、深く深く深く深く深く、
後悔していた――――。
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